アパートの鍵貸します(1960年)

アカデミー賞の作品賞・監督賞・脚本賞をビリー・ワイルダーが独占しました

《大船シネマおススメ映画 おススメ度★》

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、ビリー・ワイルダー監督の『アパートの鍵貸します』です。デヴィッド・リーンの『逢びき』からインスピレーションを受けたビリー・ワイルダーが、『昼下がりの情事』以降コンビを組んでいたI・A・L・ダイアモンドとオリジナル脚本を書き下し、『お熱いのがお好き』のジャック・レモンを主演に起用したロマンティック・コメディの傑作です。製作を担当したビリー・ワイルダーは本作で1960年度のアカデミー賞作品賞・監督賞・脚本賞を受賞し、アカデミー賞史上初めて個人で主要三部門を独占することになりました。

【ご覧になる前に】ニューヨークの高層ビルにある保険会社が舞台となります

ニューヨークの保険会社に勤めるバド・バクスターは、アメリカの人口など数字を諳んじながら、5時20分の退勤時間を過ぎても19階の広大なオフィスで残業をしています。バドは会社の幹部たちに自分のアパートを浮気相手との密会の場として提供しているため、早く帰っても家に入れないのでした。約束の時間を大幅に過ぎた頃、やっとアパートの部屋が空き、ベッドで寝ようとすると別の幹部から電話がかかってきて、今から部屋を空けろと言われます。セントラルパークの公演のベンチで時間つぶしをしたバドは、翌朝鼻水をすすりながらエレベーターガールのキューブリックさんに声をかけ出社するのでしたが…。

オーストリア・ハンガリー帝国出身のビリー・ワイルダーは、ベルリンに渡って映画の脚本を書いていましたが、ナチスドイツが台頭したためフランスに亡命し、ピーター・ローレらと共同生活を始めます。知り合いの伝手でコロンビア映画と契約することになり、ハリウッドに移住したワイルダーは、脚本家として下積み時代を経てパラマウント映画でジンジャー・ロジャース主演の『少佐と少女』で監督デビューを果たします。1945年の『失われた週末』でアカデミー賞監督賞・脚本賞を受賞すると、1950年にはハリウッドの内幕を描いた『サンセット大通り』を完成させハリウッドの一流監督の仲間入りを果たします。

名声を得たワイルダーは、自分の思い通りの作品を作るため、アルフレッド・ヒッチコックと同様に製作も兼ねるようになり、1951年の『地獄の英雄』以降は、ほとんどすべての作品で製作・監督・脚本を担当して作品のコントロール権を掌握するようになりました。しかし脚本については単独ではなく、共同脚本体制をとっていて、初期はチャールズ・ブラケットとのコンビ作が多く、『昼下がりの情事』以降の全作品でI・A・L・ダイアモンドと共同で脚本を書いています。

I・A・L・ダイアモンドは、脚本家としてパラマウント・ユニバーサル・20世紀フォックスのメジャー映画会社を渡り歩いた後に独立し、フリーの脚本家としてビリー・ワイルダーとコンビを組むようになりました。本作でワイルダーとともにオスカーを獲得し、1981年の『バディ・バディ』が二人にとっての遺作となりました。

ワイルダーとダイアモンドは原作ものもやっていますが、本作は二人によるオリジナル脚本で、デヴィッド・リーン監督の『逢びき』で密通に使われる部屋の持ち主の立場から着想を得たと言われています。また、ハリウッドで起きた不倫関係が原因となった殺人事件で、殺されたエージェントの男が部下のアパートを使って不倫していたことや、別れた恋人が自分のベッドで自殺を図ったというダイアモンドの友人の話などから、ワイルダーとダイアモンドのコンビはストーリーを膨らませていきました。

ジャック・レモンは『お熱いのはお好き』で初めてビリー・ワイルダー監督作品に出演し、本作を含めると7作品でビリー・ワイルダーに起用されたお気に入りの俳優でした。本作のオファーを受けたジャック・レモンは、脚本を読むことなく即諾したそうで、脚本の登場人物を忠実に演じることからビリー・ワイルダーはチャップリンを引き合いに出してレモンを褒めるほど心底信頼していたようです。一方で1955年にヒッチコックの『ハリーの災難』で映画デビューしたシャーリー・マクレーンは、ヴィンセント・ミネリ監督の『走り来る人々』でアカデミー賞主演女優賞のノミネートされた後の出演でした。本作も含めて四度もノミネートされたのにオスカーをもらえず、1983年に『愛と追憶の日々』でやっとアカデミー賞を獲得することになります。

保険会社のシェルドレイク部長役は当初『三人の妻への手紙』で百貨店経営者を演じたポール・ダグラスがやることに決まっていました。しかしポール・ダグラスが、撮影開始の直前にニューヨークで朝食をとっているときに心臓発作を起こし急死したため、フレッド・マクマレイが代わりに部長役を演じることになりました。当時フレッド・マクマレイはディズニーの家族向けコメディー映画で明るい父親役を演じていたため、本作の役どころはそのイメージを崩されたといって多くのファンから失望されたそうです。役の上でのことなんですから俳優本人には関係ないんですけどね。

【ご覧になった後で】感傷的で皮肉の利いた脚本と主演二人が素晴らしいです

いかがでしたか?2時間の上映時間があっという間に過ぎてしまうほど、巧みに構成された脚本と主人公を魅力的に演じるジャック・レモンとシャーリー・マクレーンが素晴らしかったですね。特にワイルダーとダイアモンドの脚本は、不倫相手を愛してしまったシャーリー・マクレーンとすべての事情を知ってからも彼女の気持ちをいたわるジャック・レモンのセンチメンタルな感情がじんわりと伝わってきて、見ているうちにとても感傷的な気分に浸ることができました。同時に、出世をのぞむジャック・レモンが幹部たちに部屋を貸すことを通じて人生の裏側を知ることになるシニカルな設定が、シンプルなのにサラリーマン同士の人間関係の薄さを皮相的に浮かび上がらせていました。本作はロマンティック・コメディにジャンル分けできるような単純な作品ではなく、ある意味で社会風刺劇でもありますし、別の見方をするとサラリーマン版の寓話ともいえるかもしれません。

脚本の見事な点は、クドくないところと品が良いところでしょうか。冒頭でジャック・レモン演じるバクスターが会社の幹部に部屋を貸している設定を見せた後は、部屋を借りる幹部が四人いてそのスケジュールを調整するのも仕事のひとつになっているのがわかってきます。そして幹部四人の推薦があったと思ってシェルドレイク部長のもとに行くと、部長が五人目の客となり、係長への出世が実現する運びになります。しかしクリスマスパーティでシャーリー・マクレーンを係長の個室に招き入れたものの、彼女が部長の浮気相手であることを知ってしまい、飲んだくれて帰った後は自殺未遂騒ぎで一気にドラマがぐるぐると回転し始める展開になります。これらの語り口が無駄なく簡素に構成されていて、そんなの一度セリフを聞けばわかるよ、というようなクドさがなく、観客の映画を見る力を信頼している姿勢が伝わってきました。

また品の良さはセリフで表現されていて、登場人物が口にするセリフのどれも少し気の利いた表現で統一されており、「Lost Weekend」などの楽屋落ちも散りばめられていました。ジャック・レモンとシャーリー・マクレーンは互いのことをファーストネームではなく、最後まで「ミス・キューブリック」「ミスター・バクスター」と呼びますし、ジャック・クルーシェンとナオミ・スティーヴンスがやる隣室の医者夫妻も、自殺騒ぎを起こしたシャーリー・マクレーンに親切な言葉で接します。題材は男たちの身勝手な浮気を扱っているのですが、それが下世話に見えないのはこうした丁寧さが通底しているからでしょうね。

こうした設定を面白く見せるのは小道具の使い方で、やっとアパートに戻ったジャック・レモンが食べるのはTVダイナーと呼ばれる冷凍ミールセットで、まさにTVでなかなか始まらない『グランドホテル』や『駅馬車』の襲撃シーンを見ながらの夕食はひとり暮らしの侘しさを強調します。また部長の相手がシャーリー・マクレーンだとわかるきかっけは部屋に忘れられた鏡が割れたコンパクトでしたし、幹部の日程を調整する際の回転式卓上電話帳やなぜかジャック・レモンが携帯している体温計(その後ペンと間違える)など、身近なものが印象的に扱われます。あとは15ドルで買ったという管理職っぽい帽子を掃除夫の頭に被せるところやワーゲンでドライブした幹部が持ち込んだシャンパンが終盤にピストルの音に間違われるなど、小道具それぞれがストーリー展開とうまく絡んでいて相乗効果を上げていました。

本作のほとんどはバクスターのアパートと保険会社のオフィスで進行しますから、アパートの部屋とオフィスのセットが映像の大半の印象を決めることになるわけですが、美術を担当したのはアレクサンドル・トローネルで、あの『天井棧敷の人々』で犯罪大通りの巨大セットを作った人です。犯罪大通りも遠近法を利用して奥の方のセットを小さめに作り、群集には子供を使ったという逸話がありまして、本作に出てくる19階のオフィスも奥の方まで続くデスクを次第に小さくしていき、子供を座らせて表現しているそうです。またアパートの部屋も入口の脇にキッチンがあり、その横にベッドルームと洗面室があるというレイアウトになっていて、要するにキャメラが入口のほうをとらえただけで、キッチンや寝室の人の動きを捉えられるように設えているのでした。このように映像として撮影するとどう映るかを計算したうえでセットを作っていたトローネルは、現場に精通した美術職人だったといえるでしょう。トローネルは装置担当のエドワード・G・ボイルとともに本作でアカデミー賞美術賞(白黒部門)を受賞しています。

義理の兄に部長のことを隠して自分を悪者にして殴られ、部長に部屋を貸すのを断って会社を辞めたというバクスターこそが、成り行きで自分が恋する相手だと悟ったフランは、バクスターのアパートへ駆け付けます。走るフランを追いかける横移動ショットは、本作の中でも最高に観客の気分を高揚させましたよね。アパートの部屋でシャンパンで乾杯してカードゲームを始めると、バドはフランに「I absolutely adore you」と告白します。それに対するフランの返事が「Sht up and Deal」。「黙ってカードを配りなさいよ」というのは間抜けっぽいジョークのオチに使われるフレーズで、フランにとっての「私も愛してる」という返事になっていました。こんなに洒落たエンディングには滅多にお目にかかれません。思わず涙が出てくるくらいに、この素敵な二人のハッピーエンドを祝福したくなるようでした。

唯一の欠点は、ジャック・レモンが睡眠薬を飲んだシャーリー・マクレーンに姉の家に電話をさせないことでしょうか。もちろん死にかけたとか相手が部長だったとか言う必要はありませんけど、二日間何の連絡もなく家を空けたらどんな家族でも事故に遭ったんではないかと心配してしまうでしょう。とにかく友達の家にいるからとかなんとか連絡を入れるのが普通です。でも連絡しないことで、あの強面の義兄が新しい人物として登場するわけなので、脚本家としては義兄のほうを優先せざるを得なかったんでしょうね。本当にたったひとつの綻びでした。

本作はアカデミー賞を五部門で受賞しただけでなく、1960年全米興行成績で6位に入る大ヒットを記録していますし、双葉十三郎先生が「☆☆☆☆」、レナード・マルティン氏が「****」と高評価しています。大昔にTVで見て以来の再見でしたが、ここまで完成度の高い作品だとは思いませんでした。こうした作品こそクラシック映画として後世に残していきたいものですね。(V092924)

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