大いなる西部(1958年)

ウィリアム・ワイラーとグレゴリー・ペックが共同製作した西部劇の傑作です

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こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、ウィリアム・ワイラー監督の『大いなる西部』です。ウィリアム・ワイラーは1953年に監督した『ローマの休日』以来、グレゴリー・ペックと僚友関係となり、二人は共同製作者として西部劇の大作に取り組みました。東部と西部、旧世代と新世代など様々な対立関係を乗り越えようとするストーリーは当時の東西冷戦を背景としたもので、当時大統領だったアイゼンハワーはホワイトハウスで何度もこの映画を上映して「史上最高の映画だ」と賛辞を惜しまなかったそうです。

【ご覧になる前に】バール・アイヴスがアカデミー助演男優賞を獲得しました

荒野を疾走する駅馬車がテキサス州サンラファエルに到着すると、東部からやってきたジム・マッケイは出迎えの牧童頭リーチに案内されてテリル少佐の娘で婚約者のパットと再会します。パットは教師をしている親友ジュリーの家でジムが来るのを待っていたのでした。ジムとパットはラダー牧場に向かう途中、ヘネシー一家の息子バックたちに待ち伏せされ、ジムを投げ縄で縛って嫌がらせしますが、ジムは意に介しません。少佐に決闘用の銃をギフトとして贈ったジムは、リーチから荒馬に乗るよう勧められ、それを断るジムにパットはもどかしさを感じます。翌朝、少佐は牧童たちを引き連れてバックを探し出しに向かうのですが…。

ウィリアム・ワイラーはドイツ出身で元はヴィルヘルム・ヴァイラーという名前でした。母方の親戚にユニバーサル・スタジオの社長カール・レムリがいたことからアメリカに渡って、映画スタジオで働くようになります。コネで入ったという声にもめげずに監督となってから頭角を現し、1942年に『ミニヴァー夫人』でアカデミー賞監督賞を受賞するとハリウッドを代表する監督のひとりとして認められます。戦時中は陸軍に従軍し、戦後すぐに撮った『我等の生涯の最高の年』で再びオスカーを獲得。本作はワイラーがキャリアのピーク時に撮った代表作のひとつになりました。

1944年に映画俳優としてデビューしたグレゴリー・ペックは、『仔鹿物語』『紳士協定』で二年連続アカデミー賞にノミネートされ、ハリウッドの良識派男優としての地位を築きました。『ローマの休日』でいち早くオードリー・ヘプバーンの才能を見抜いたペックは、監督のウィリアム・ワイラーと親交を結ぶようになり、共同プロデューサーとして本作の製作に乗り出します。しかし、撮影が始まるとウィリアム・ワイラーとグレゴリー・ペックはことごとく対立し、一時はペックが現場を飛び出してしまうほどだったそうで、「90テイク・ワイラー」とあだ名されるほど繰り返しテイクを重なるワイラーと自分の気に入るまで何度も撮り直しをさせたペックの双方が完璧主義者だったことが原因だったようです。

原作者ドナルド・ハミルトンは1947年にサスペンス作家としてデビューしましたが、著作が売れずに家族を養うためにウェスタン小説を書いていました。「ブロンコ谷の待ち伏せ」という短編小説をリライトした「The Big Country」が映画化されて、一躍時の人となり、1960年代には念願のサスペンス小説家として「マット・ヘルムシリーズ」を生み出します。ディーン・マーティン主演で映画化されますが、映画のとぼけたお色気路線とは違って原作は乾いたタッチのハードボイルドなスパイ小説なんだそうです。

脚色は、ジェームズ・R・ウェッブ(『西部開拓史』『夜の大捜査線』など)サイ・バートレット(『頭上の敵機』)とロバート・ワイルダー(他に目立った作品なし)の共作となっていて、ウィリアム・ワイラーとグレゴリー・ペックは脚本の出来栄えに納得できないまま、予算とスケジュールの都合上、やむなくクランクインすることになりました。そのせいか脚本は撮影中に何度も修正が行われたようで、ジーン・シモンズは「セリフを覚えたのに台本が変更になってまた覚え直し、当日現場に行くとその場でまた台本が新しくなっていた」と後年になって告白しています。これもワイラーとペックのこだわりの強さのせいだったんでしょうか。

チャールトン・ヘストンは1956年に『十戒』に主演していますが、本作の牧童頭リーチ役は脇役ですし、クレジットでも4番目に回されています。オファーを受けたときにヘストンはあまりに役が軽すぎるので断ったそうなのですが、エージェントが「ウィリアム・ワイラーが監督して、グレゴリー・ペックと共演できるチャンスなんだから、出演すべきだ」と説得されて、渋々その言葉に従いました。結果的に本作でワイラーから認められたチャールトン・ヘストンは、翌年ワイラーの代表作『ベン・ハー』の主役に抜擢され、見事にアカデミー賞主演男優賞をゲットすることになります。

対立するテリル少佐と大地主ヘネシーを演じるのは、チャールズ・ビックフォードとバール・アイヴス。チャールズ・ビックフォードは特に激しくウィリアム・ワイラーのやり方に反発したらしく、テイクを繰り返すごとにわざと違った演技をしてみせたそうです。一方でバール・アイヴスは何の問題もなくワイラーと良好な関係を築き、息子役のチャック・コナーズとは十二歳しか違わなかったにも関わらず、威厳に満ちた父親役を演じ切りました。結果的に本作でアカデミー賞を受賞したのは、バール・アイヴスの助演男優賞だけだったというのは、ちょっと意外な気がします。

【ご覧になった後で】対立関係の描写とロングショットの使い方が見事でした

いかがでしたか?製作プロセスは紆余曲折があったみたいですが、完成した映画は見事な出来栄えで、ハリウッドが送り出した西部劇の中でも傑作に入る一本でした。そして他の西部劇のようなガンマンやガンファイトが登場せず、牧場経営や土地の所有権など西部において暮らす人々の生活者としての視点が盛り込まれた異色の西部劇でもありました。まさに主人公は「Big Country」なわけで、本作は西部劇であると同時に、西部開拓ドラマであり、そこに生活する人々の人間関係を描いた群像劇であるともいえるでしょう。

ストーリーの特徴は多くの対立関係を盛り込んでいることで、テリル少佐とヘネシーの個人的な対立がドラマの中心軸になりながら、ジムと少佐、ジムとリーチ、ジムとバックなど東部からやって来たジム・マッケイが西部のテキサス人たちと対立する姿が描かれます。同時にパットとジュリーの親友同士の対立、ヘネシーとバックの親子の対立、少佐とリーチの主従の対立が物語の進行とともに浮かび上がってきて、様々な対立関係が提示されて展開して収束していくストーリーを見ていると、2時間46分の長尺があっという間に過ぎてしまうほど、うまく作品の中に収められていました。

それらを映像的に印象づけるのがロングショットの使い方でした。さすがにパンフォーカスを使いこなしたウィリアム・ワイラーだけあって、奥行きのある広角な画面を雄大なロケ撮影によって、場面ごとに効果的にロングショットが配置されていましたね。キャメラマンのフランツ・F・プラナーは『ローマの休日』でワイラーとコンビを組んだ人で、『噂の二人』でも撮影を担当した人。チャック・コナーズたちが日陰で寝そべっている向こうの道をジムとパットの馬車が通るショットや、ジムがジュリーの家を去ると同時に高台から数人の男たちが馬に乗ってやってきてジュリーがバックにさらわれると予想させるショットなどは、画面の奥行きの中で対立する者が交錯するストーリー展開が見事に表現されていたと思います。

さらに大西部の中で人間の小ささを強調するのが、超ロングショットの中に豆粒のように人物を置いた構図でした。ジムとリーチがほかの誰にも知られずに殴りあう深夜の場面は、延々と続く二人の殴り合いをフルショットでとらえながら、ロングショットを挿入することによって、大きな世界の中でそんな小競り合いをしてていいのかい?みたいな対立することの無意味さを伝えていました。この場面は映画史においても名シーンとして必ず登場しますが、やっぱり2時間46分の本編をじっくり見る中で体感しないと、ワイラーの意図は感じ取れないと思われます。ついでに言うと、グレゴリー・ペックに起こされたチャールトン・ヘストンがベッドから起き上がってジーンズを履くときの片足ずつズボッと真っすぐに突っ込んで、一気にグイっと履いてしまう動作がカッコよかったですね。

グレゴリー・ペックがテリル邸の二階テラスから大牧場の平原を見渡すショットは、横移動しながらテラスの柱を次々に見せることで、平板な荒野の広大さを映像化していましたし、終盤のブロンコ谷のシークエンスは、設定上俯瞰ショットが多くなり、特に相討ちするテリルとヘネシーを俯瞰のロングショットのみで描写したところは、寄りのショットを排除することで旧世代に見切りをつけるようなメッセージにつながっていました。ブロンコ谷に単身向かう少佐の移動ショットにチャールトン・ヘストンや他の牧童たちが追いつく姿がカットインしてくるのも純粋な映像表現でカッコよかったですよね。

そのようにして様々な対立関係は、テリルとヘネシーの死をもって氷解していきます。悪役バックはヘネシーに撃たれて死んでしまう(チャック・コナーズは悪役ながら決闘シーンまで用意されていて準主役級の扱いなのでお得でした)ので、ちょっと感傷的に親子の対立も解消されます。唯一、放置されたままなのがキャロル・ベイカー演じるパットになるわけで、父親を失った後の彼女を支えるものが何も示されずに終わるのは、緻密な脚本の中のわずかな失点かもしれません。

そんな対立関係の中で一人だけ融和的な人物として描かれるのが、メキシコ人のラモンでした。グレゴリー・ペックが荒馬を乗りこなしたことをジーン・シモンズに白状させられる場面などは笑いを誘います。演じたのはアルフォンソ・べドヤという俳優で、残念ながら本作の撮影が完了した数か月後に病気で亡くなってしまったそうです。

オーケストラの弦楽チームを疲弊させるという旋律でおなじみのジェローム・ロモスのテーマ曲は、いろんなところで流用される有名な音楽ですが、当初ウィリアム・ワイラーはこの曲が気に入らず、最後まで他の音楽に入れ替えようと画策していたそうです。いろんな人と揉めていたというエピソードとともに、ジェローム・モロスの音楽を認めなかったという話を聞くと、ウィリアム・ワイラーという人物がかなり変人だったのではないかと思われてしまいますね。ちなみにこのテーマ曲が存分に聞かれるタイトルデザインはソール・バスが担当しています。

映画的にはアメリカ映画史に欠かせない傑作というポジションにあることは間違いありませんが、当時の世相的に本作の評価はどんなもんだったんでしょうか。というのもこれだけの大作でありながら、1958年度のアカデミー賞では、バール・アイヴスの助演男優賞受賞だけにとどまっており、ノミネートされたのもジェローム・モロスの音楽賞のみです。また興行成績を見ても、日本では『リオ・ブラボー』に続いて洋画部門第2位にランクされたものの、全米や全世界興行記録を見ても上位には出てきません。辛口映画評論家のレナード・マルティンも「***」と今一つの評価で、どうやらアメリカでは本作の評価はそんなに高くなかったようです。

その理由はよくわかりませんけど、グレゴリー・ペックはリベラリストとしても有名で、当時の東西冷戦の状況を好ましくないものと考えていたようですし、ウィリアム・ワイラーもマッカーシズムに真っ向から反発した映画人ですので、本作の立ち位置は保守的というよりは民主的であったと思われます。主人公のジム・マッケイはどんな脅しにも誹謗にも決して反抗せず、話し合いで互いに納得しようとする人物として描かれています。婚約者パットはそれを臆病者の態度だと非難するのですが、確かに本作のジム・マッケイは無抵抗主義を貫くガンジーのような人物にも見えてきます。結果的に本作のストーリーが丸く収まるのは、ジムが超大金持ちでビッグマディなる水源地を買い取ることができたことと、大地主ヘネシーが実は悪人ではなく昔気質の正義感であったことの二つが重なったためでした。

現実社会では、敵対する国家にヘネシーのようなまともな人物がいるとは限りませんし、対立の火種になっている土地を購入すれば事が収まるなんてことはありません。『大いなる西部』は映画的に傑作であることは疑いようがないのですが、公開当時にはその理想主義が絵に描いた餅的にとらえられたのかもしれず、実際にこの数年後にキューバ危機によって米ソが戦争直前まで緊張状態に陥ったことを思うと、世界はなかなか映画のようには行かないもんだなあと考えさせられるのでもありました。(V092224)

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