日本の悲劇 自由の声(昭和21年)

亀井文夫が戦時中の記録映画を再編集して作った反資本主義ドキュメンタリー

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、亀井文夫監督の『日本の悲劇 自由の声』です。亀井文夫は昭和14年に陸軍の後援を得て中国戦線を描いたドキュメンタリー『戦ふ兵隊』を東宝で作っていますが、本作は終戦の翌年に戦時中の記録映画を再編集したもので、軍部や財閥のことを支配階級と呼び、戦時中の戦争責任をつまびらかにする内容になっています。タイトルについては『日本の悲劇』とだけ記載する映画本もたくさんあって確かに戦後すぐに公開された映画に附番された「No.230」の数字とともに『日本の悲劇』というタイトルが映し出されるのですが、日本映画社のロゴのすぐ後にズームインで大きく表示される「自由の声」もタイトルのように見えます。『日本の悲劇』だけだと昭和28年の木下恵介監督の傑作『日本の悲劇』と完全に重複しますので、大船シネマでは本作を『日本の悲劇 自由の声』と表記したいと思います。

【ご覧になる前に】上映時間39分の作品は公開1週間で上映禁止になりました

ナレーターが「侵略戦争は日本の支配階級が終始一貫してとってきた政策である」と語り始めると、東アジアの地図の台湾、樺太、朝鮮、中国に次々に軍刀がアニメーションで突き刺されます。「ここに田中覚書という怪文書がある」とナレーターは説明し、田中義一大将が支那を制すると欲すればまず満蒙を制すべきと示した通り、日本は昭和に入ってから太平洋戦争に至るまでその言葉通りの侵略を行ってきたというナレーションに怪文書の文字が重なります。このような政策をとった理由は日本の資本主義が欧米のようなオートメーションによる重工業化ではなく、低賃金労働者による家内制手工業に頼っていたからだと説くのですが…。

本作は上映時間わずか39分の中編記録映画で、クレジットでも冒頭に「編輯 亀井文夫 吉見泰」としか出てきません。ただしネットで本作の製作スタッフを検索してみると「製作 岩崎昶」「ナレーター 丸山章治」「監督 亀井文夫」と記載されたものが多く見つかります。それを信じるとしたならば、まず岩崎昶の名前に注目しなければなりません。岩崎昶は戦前の日本映画評論において最も先鋭的な左翼的論客で、若い時期から森岩雄や川喜多長政らの映画人たちとも交流がありました。佐々元十が興した日本プロレタリア映画同盟によるプロキノ映画運動の中心になって活動し、映画法施行に反対して治安維持法違反で逮捕拘留されたといわれていますから、戦時下において国威発揚を目的とした戦意高揚映画の製作・公開に映画界が傾いていった中においては筋金入りの左翼人でした。当然ながら敗戦によって岩崎昶は自由に表現活動ができるようになったわけですから、プロキノ映画時代の経験をいかして、本作の製作を自ら企画したのかもしれません。

ナレーターの丸山章治はサイレント映画時代には弁士として活躍した人で徳川夢声の直弟子だったそうです。トーキーになってからは俳優やナレーターとして活動を続け、成瀬巳喜男の『桃中軒雲右衛門』や山本嘉次郎の『綴方教室』に出演したという記録が残っていますが、どんな役だったかはまったく思い出せないので、端役だったのかもしれないですね。本作のナレーションはナレーターというよりは俳優的な話し方になっていますし、なにしろ全編ほぼナレーションだけで進行していきますので、丸山章治にとっては本作が唯一の「主演作」であると言っていいでしょう。

亀井文夫は大学中退後に美術を学ぶため単身ソビエトに渡り、そこで映画を見たことがきっかけになってレニングラード映画技術専門学校の聴講生となって映画を学んだというつわものでした。帰国してPCLに入社し、PCLがそのまま統合された東宝が軍部にすり寄って国策映画の製作を推進していたこともあり、中国に渡って『上海』や『戦ふ兵隊』などの記録映画を監督することになりました。しかし『戦ふ兵隊』を見てもわかる通り、戦意を昂揚させるどころかいかに戦争の現実が厳しく無残なものであるかを描いていて、軍部から「疲れた兵隊だ」と非難されてしまいます。大々的に宣伝されて試写会も盛況だった『戦ふ兵隊』は結局お蔵入りとなり、太平洋戦争が始まると亀井文夫は治安維持法違反で投獄され、映画法で定められた演出家資格も剥奪されてしまったのでした。

自由な社会が実現された戦後であればどんな映画を作っても許されると岩崎昶も亀井文夫も考えていたのではないかと思いますが、そんなことは全くなく軍部に変わって映画を統制したのはGHQでした。GHQは日本を最も効率的に占領するためには天皇の存在を利用した方が得策であると判断し、最高司令官マッカーサーは天皇を戦争犯罪人として扱うことをせず、天皇は昭和21年1月1日に詔書で「人間宣言」をすることになります。本作には軍服姿の天皇の写真が背広姿の天皇にオーバーラップするショットが出てくるのですが、これが問題となり本作は公開1週間で上映中止に追い込まれてしまいました。

GHQはすべての日本映画に対してCIE(民間情報教育局)とCCD(民間検閲支隊)による二重の検閲を行っていて、本作は一度はGHQの検閲を通過して上映が許されたものの、時の総理大臣吉田茂が圧力をかけて本作を上映中止に追い込んだという説があるそうです。しかしまた別の話では、GHQ内部でCIEとCCDが反目しあっていて、本作の扱いがその派閥争いに巻き込まれたんだとか。まあ真相はわかりませんけど、GHQによってすべての表現が規制されていたのは事実ですし、天皇というタブーを正面から扱うにはまだ時代が早過ぎたのかもしれません。

【ご覧になった後で】資本主義否定・共産主義礼賛のプロパガンダ映画でした

いかがでしたか?映画というのは作る側が適切に自己批判しながら多角的な視点をもたないと、独りよがりな作品になってしまうことがよくあります。その意味では国家や宗教団体が自らのイデオロギーを教宣しようとする映画はそもそも自己批判などあり得ず自己礼賛の観点で映画を作ってしまうので、そうした作品はその主義主張がどのような方向に向いているかは別にして、すべからくプロパガンダになることは必定です。本作もその例に漏れず資本主義は全否定、共産主義を全面的に礼賛するという、特定の主義主張だけの宣伝映画に堕しています。この裏返しが戦時中には行われていたわけで、アジア太平洋地域における戦争を植民地からの解放だとうそぶいて正当化した劇映画やニュース映画などと本質的には同じプロパガンダだといっていいでしょう。

プロパガンダですから軍部や資本家のことを「支配階級が自分たちが肥え太るために戦争を利用した」と貶め「共産党やその他の進歩的な労働団体や文化団体は無謀な戦争に反対して勇敢に戦った」と誉めそやすのも当然です。そのうえで「日本の民衆が正しい言葉に耳を傾け支配階級の野望に反対したなら歴史は今日のようにはならなかっただろう」といって、共産党は正しかったんだけど結局は民衆がバカだから軍部や資本家の言いなりになって戦争に突っ込んじゃったんだよと主張するわけです。戦時中に「共産党や進歩的な文化団体」がどんな活動をしていたかはよく知りませんが、きちんとした記録映画であれば軍部がやったことと共産党がやったことを事実として客観的に並べて見せて、その良いところと悪いところを見せたうえでその判断は観客に任せるという描き方をすべきですが、本作にはそうした姿勢はひとつもありません。これではとてもまともな映画とは受け取れないですよね。

そんなスタンスで過去のニュース映画や新聞記事が切り貼りされて映し出され、皮肉っぽいナレーションが時代の流れを恣意的に語っていくことになります。当然、東京大空襲など一般市民たちが焼夷弾によって焼き殺されたことは取り上げられませんし、広島・長崎の原爆投下も出てきません。いきなり戦艦ミズーリ艦上での降伏文書調印に画面が変わるのはGHQが検閲した時点で変更されている可能性もありますが、本作の方向感としては日本軍によるアジアでの残虐行為は取り上げるがアメリカによる無差別爆撃は取り扱わないということのようでしたね。もっとも昭和21年の時点では原爆の映像は日本側に開示されていなかったので仕方ないかもですけど。

その中で問題となった天皇の写真ですが、天皇を扱うことは日本映画にとって最大のタブーのひとつでした。もともと明治天皇の時代から「御真影」なるものによって肖像写真自体が統制されていたわけですから、映画で天皇を取り上げることはおろか映し出すことさえ事実上禁じられていたのです。大正14年に公開された衣笠貞之助監督の『日輪』が卑弥呼を題材にしていて、卑弥呼が神功皇后かもしれないという説があった時代だったことから『日輪』は不敬な映画であると抗議されたんだという話があるくらいです。また稲垣浩監督も「皇室に関することは一切ふれることができず、御紋章については内務省の検閲がうるさく、十六花弁の菊に限らずそれに類似したものでも画面に写せばカットされた」と述べているそうです。

そういう検閲があった戦前の体制は日本の敗戦によって瓦解し、GHQによって正反対の価値観を強制されることになりました。本作で天皇の写真が大写しになるなんてそれこそ前代未聞の大事だったのではないでしょうか。しかも御前会議の様子を映した写真を出して、そこに「インド南洋の諸民族は必ず我に降伏すべし」というナレーションをかぶせて天皇が侵略戦争を主導したかのように描くに至っては、もう驚天動地というくらいの日本映画史上初めての天皇批判なのでした。そのうえで戦後に天皇が人間宣言したことを皮肉って軍服の天皇が背広の平服姿になるオーバーラップショットまで作ってしまいました。このような天皇の描き方をしたという点において、本作は歴史に名を残る作品になったことは間違いありません。

同時にプロパガンダ映画というのは偏った主義主張を喧伝するためだけのものなので、そこに何ひとつ興味を感じない観客が見ても何の感興も呼び起こさないものだなと再認識させる作品にもなっていました。いずれにせよドキュメンタリー映画であれば、極端に偏った視点ではなく事実を事実として多角的に提示して客観視したうえで作者の主義主張を述べる、そんな作品を作ってもらいたいものだなと思わされるのでした。(Y120623)

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