ジョン・ル・カレのスパイ小説の映画化で主演はリチャード・バートンです
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こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、マーティン・リット監督の『寒い国から帰ったスパイ』です。原作は英国秘密情報部にいた経験もあるジョン・ル・カレの代表作で、1963年に出版された小説は二年後に映画化されることになりました。東ドイツの真ん中にあったベルリンの街に東側陣営によってベルリンの壁が作られたのが1961年8月のこと。小説は東西冷戦真っ只中の時代において諜報部同士が裏の裏をかきあうスパイの実態を描き出していて、本作はそれをほぼ忠実に映画化しています。主演は舞台出身のイギリス人俳優リチャード・バートンで、当時結婚していたエリザベス・テイラーが撮影現場を頻繁に訪れていたという話が伝わっています。
【ご覧になる前に】キャメラマンは英国を代表するオズワルド・モリスです
ベルリンの壁に面した検問所で東側から協力者リーメックが出てくるのを待っていた英国秘密情報部リーマスの目の前で、自転車に乗ったリーメックは東側警備隊に射殺されてしまいました。ロンドンに戻ったリーマスはMI6を退職して職業紹介所を通じて図書館司書手伝いの仕事に就きます。昼食もとらず酒ばかり飲んでいるリーマスに対して司書のナンシーは優しく接し、ナンシーは自宅にリーマスを招待するようになります。しかし食料品の店主を殴りつけたリーマスは警察に捕まり、拘置所から出所したところを慈善団体の職員を名乗る男に声をかけられます。ドイツ語が堪能なリーマスに良い仕事があるという男の誘いにのったリーマスは、夜待ち合わせ場所のキャバレーを訪れるのですが…。
ジョン・ル・カレは大学卒業後に教鞭をとっていましたが、英国保安局に入局してイギリスの国内治安維持を担当する情報機関MI5の職員になりました。その後国外の秘密情報を扱うMI6に転属して西ドイツの英国大使館で外交官として諜報活動に関わるようになり、その経験をもとにしてスパイ小説を執筆するようになります。同じく諜報部員出身のイアン・フレミングが007シリーズ第一作「カジノ・ロワイヤル」を発表したのは1953年のことでしたが、ジョン・ル・カレは1961年に「死者にかかってきた電話」で小説家としてデビューし、ジェームズ・ボンドとは正反対のくたびれた中年男を主人公にして地味なスパイ活動のリアルな実態を作品化していきます。1963年に発表した「寒い国から帰ってきたスパイ」は出版されるとすぐにパラマウントピクチャーズから映画化のオファーがかかり、ベストセラーとなりました。ミステリー小説としての最高権威である英国のゴールド・ダガー賞とアメリカのエドガー賞をふたつとも受賞したのは本作が初めてのことだったそうです。
監督のマーティン・リットは製作にもクレジットされているので、ジョン・ル・カレの小説を映画化するにあたっての全権を掌握する立場にありました。まず脚本化にあたっては『007ゴールドフィンガー』の共同脚本に参加したポール・デーンに加えて、バート・ランカスター主演の『終身犯』の脚本を書いたガイ・トロスパーの二人を起用します。ポール・デーンは『戦慄の七日間』でアカデミー賞を受賞していますし、のちに『オリエント急行殺人事件』を脚色することになる人です。
そしてキャメラマンに起用されたのはオズワルド・モリス。戦後のイギリス映画界を代表する撮影監督で、『白鯨』『武器よさらば』『ナバロンの要塞』などの大作でキャメラを回しました。モノクロ作品の本作では英国アカデミー賞撮影賞を受賞していて、以降も『チップス先生さようなら』『クリスマス・キャロル』『探偵スルース』『007黄金銃を持つ男』などイギリスを代表する作品で撮影監督をつとめています。1971年には『屋根の上のバイオリン弾き』でアカデミー賞撮影賞を獲得していますので、イギリス出身のキャメラマンとしてはジャック・カーディフと双璧をなす巨匠だといえるでしょう。
主演のリチャード・バートンは元はイギリスの舞台俳優でしたが、ハリウッドに招かれて映画にも出演するようになりました。1963年に主演した『予期せぬ出来事』と『クレオパトラ』で共演したエリザベス・テイラーと恋に落ち、ともに既婚者だったため二人とも離婚が成立した後に結婚しました。本作は結婚まもない頃に撮影されたため、撮影現場には頻繁にエリザベス・テイラーが顔を出すことになり、オープンセットでの撮影時にはエリザベス・テイラーをひと目見ようという野次馬で撮影が大幅に遅れることがあったそうです。
おまけにリチャード・バートンはクレア・ブルームが演じたナンシー役にエリザベス・テイラーをあてるようマーティン・リットに進言したとも言われています。そんなこんなでマーティン・リットとリチャード・バートンの関係は撮影中にどんどん悪化していきますが、逆にそれがリチャード・バートンの疎外感に溢れたリアルな演技につながったという説もあります。ジョン・ル・カレはリーマス役にトレヴァー・ハワードかピーター・フィンチを望みましたが、結果的にはリチャード・バートンが適役だったと納得したそうです。
【ご覧になった後で】モノクロ映像が美しいリアルなスパイ映画の傑作でした
いかがでしたか?ジョン・ル・カレの原作を読んでいなかったこともあり、二転三転のどんでん返しが周到に用意されたストーリー展開に引き込まれましたし、長回しを多用したモノクロームの画面が実に静謐な印象を醸し出していました。本作はリアルなスパイ映画の最高傑作のひとつだと思いますし、もっと広く認められるべき隠れた名作なんではないでしょうか。
ジェームズ・ボンドがカッコいいのは言うまでもないにしても、本作のリーマスのような諜報部員こそが実際の諜報活動の現場で使い捨てにされる現実的なスパイ像なのでしょう。特に冷戦時には東側と西側はそれぞれに相手の裏をかこうとして二重スパイ、三重スパイを仕込んでいましたので、誰が味方で誰が敵かもう何が何だかわからない世界で諜報部員たちは必死にもがきながら活動していたはずです。本作はその冷徹なスパイという仕事の裏側を見事に映像化していて、実にスリリングでありつつも登場人物の深層心理までえぐるように描き切っていました。
すばらしい原作を得たことが本作の成功の第一要因ですが、ポール・デーンとガイ・トロスパーの脚色は原作の魅力を損なわずに小説世界を映画的時間に置換していました。特にリチャード・バートン演じるリーマスが拘置所を出たあとで東側が接触してくるところの不穏な空気感の醸成の仕方や、金に困っているはずのリーマスがタクシーを何度も乗り換えてスマイリーのところへ行くあたりで、逆スパイの手の内を段階的に見せるあたりのさばき方は本当に参ってしまうくらいに鮮やかでしたね。
またちょっと退廃的な雰囲気を漂わせるジャズっぽい音楽も効果的で、ソル・カプランという人が音楽を担当していて、TVシリーズの「スター・トレック」なんかをやっていた人のようですね。またナンシーの質素なアパートや東ドイツに入った後の無機質な室内などの美術セットも雰囲気づくりに貢献していました。美術全体を統括したアートディレクターはエドワード・マーシャルという人で、本作の後には『トム・ジョーンズの華麗な冒険』の美術を担当することになります。
そしてやっぱり本作の魅力を支えているのはオズワルド・モリスの撮影でしょう。ほとんどすべての画面が曇天そのものを映像に定着させたようなグレートーンに調整されていて、ワンショットたりとも明朗さやさわやかさを感じさせる画面はありませんでした。この一貫したトーンが本作のイメージそのもので、東西冷戦のリアル感や国と国の争いの閉塞感がオズワルド・モリスのキャメラによって見事に表象されていました。マーティン・リットによる俳優の演技を重視したシュアな演出もよかったのですが、それ以上にオズワルド・モリスが撮影監督をやったことで本作の雰囲気が決まったのではないでしょうか。
脇役でいえば、007シリーズで「M」を演じていたバーナード・リーが食料品店の店主役を演じていたのは英国流ユーモアとでもいうんでしょうか。もしかしたらこの店主もトリックに一役買っていたんではないかと疑いたくなってしまいますよね。またフィードラー役のオスカー・ウェルナーがなかなかの好演で、個人を越えた国同士のスパイ戦のむなしさを強調する存在感を示していました。
あえて難癖をつけるならナンシーが当時の世界情勢でいえば海外旅行先としては絶対に選ばないだろう東ドイツにわざわざ出かける決心をなぜしたかという部分で、もしそこまで共産党員としての活動に貢献したいのであれば、先鋭分子のコミュニストであることを詳細に描いた方がよかったかなというあたりでしょうか。クレア・ブルームは『ライムライト』のバレリーナの印象とは打って変わって、地味な司書役を堅実に演じていましたが、ジョン・ル・カレの指摘通りにちょっと魅力的過ぎてしまい、本来であればもう少し地味で目立たない女優のほうがリアリティが出たんでしょう。でもそれでは映画としての見栄えがしなくなりますので、まあクレア・ブルームの選択は間違っていなかったと思います。
本作の原題はジョン・ル・カレの小説のタイトルそのもので「The Spy Who Came In From The Cold」です。日本語タイトルでは小説も映画も「The Cold」を「寒い国」と訳していまして、確かにそのほうがわかりやすいのですけど、ちょっと英語の原題のニュアンスを限定してしまっているような気もします。「The Cold」は東側の国という具体的エリアだけではなく、「冷戦」そのものを意味しますし「冷徹な生活」を余儀なくされるスパイの寒々しさも表しています。この辺が翻訳の難しさだとは思いますが、多重的な深い意味をもつ「The Cold」そのものが本作の魅力だったといえるのではないでしょうか。(V022723)
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