にっぽん昆虫記(昭和38年)

貧しい農村に生まれた娘が都会で昆虫のように逞しく生きる姿を描いています

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、今村昌平監督の『にっぽん昆虫記』です。今村昌平監督は軽喜劇とは正反対の「重喜劇」にこだわって人間の本質をえぐり取るような映画を得意としていましたが、その代表作となったのがこの『にっぽん昆虫記』でした。成人映画に指定されたことが話題になり、劇場公開されるとたまたま4月起算の昭和38年度には他にめぼしい作品がなかったこともあって年間配給収入第一位となる大ヒットを記録しました。しかもキネマ旬報ベストテンでは、黒澤明監督の『天国と地獄』をおさえて見事にトップに選出されています。誰がどう見ても『天国と地獄』のほうが面白い映画だと思うのですが、重喜劇のテーストが当時の映画評論家たちの嗜好に合ったのかもしれません。

【ご覧になる前に】左幸子は本作でベルリン映画祭主演女優賞を獲得しました

東北地方の寒村で生まれた女子トメの出生届を出した父親は、役場の職員から二ヶ月前に婚姻届を出したばかりの子なので誰が父親なのかわからないと笑います。少女になったトメは母親が納屋で知らない男と抱き合うのを見て以来、父親になつくようになり、父親もまたトメを可愛がるのでした。成人して製紙工場に働きに出たトメは父危篤の知らせを受けて実家に駆け付けますが、それは口実で母親がトメを地主の家に足入れ婚させるためでした。事情を知らない父親が母親を殴り倒すのを見たトメは形の上だけならと承知して地主の家に嫁ぎます。しかし出征を控えた次男に無理やり犯されたトメは娘信子を産み落として、地主の家を出て東京に働きに出るのでした…。

脚本は今村昌平と長谷部慶次のオリジナルで、今村昌平は農村の暮らしをリアルに描き出すためにキャスト・スタッフ全員でロケハンで見つけた山形県の廃村で合宿を組み、本作の撮影を行いました。当時録音助手だった紅谷愃一によりますと、今村昌平はキャメラが捉えた映像のリアリティを再現するためには絶対に同時録音が必要だという方針を持っていて、本作でもセリフや背景音などをすべて同時録音したそうです。しかし山里離れた廃村でもロケーション撮影となると遠くを走る車の音などが聞こえてきてしまい、助監督が音の発生元に出向いてわざわざ音止めをして撮影したようです。

本作はモノクロ、シネマスコープで撮影されていまして、キャメラマンは姫田真佐久が回しています。姫田真佐久は大映から映画製作を再開した日活へ移籍した人で、ちょうど今村昌平と同じ時期に日活入りしました。今村昌平の監督第三作『果しなき欲望』でキャメラマンをつとめてから、本作を含めて第八作の『人類学入門』まで連続して今村昌平とコンビを組んでいます。その後、今村組を離れた期間もありましたが、昭和54年の『復讐するは我にあり』でコンビが復活することになりました。

主演の左幸子は日活の『女中ッ子』での演技が注目を集めて以来、映画会社の枠を超えて活躍を続けていましたが、久しぶりに日活に戻って出演したのがこの『にっぽん昆虫記』でした。胸や太ももを露わにする大胆な演技によって本作でベルリン国際映画祭の主演女優賞を獲得しまして、今井正や黒澤明が監督賞を獲ったことはあったのですが、女優としては日本人初の受賞となりました。

本作が大ヒットした要因は成人映画に指定されたことでしたが、戦後にGHQの要請によって映画倫理規定管理委員会が設立されたのは昭和24年のことでした。昭和29年に十八歳未満の鑑賞を禁ずる「成人向映画」の選定が始まり、組織が映画倫理管理委員会という現在の映倫に変わると「成人映画」と改称されました。その成人映画に指定された作品でも昭和37年の『肉体の市場』、昭和38年の『セクシールート63』といったエログロ作品が警視庁に摘発されていて、たぶんこの『にっぽん昆虫記』が公開されたときには成人映画での性描写がどこまで許されるのかが世間の耳目を集めていた時期だったのではないかと思われます。

【ご覧になった後で】なぜ成人映画に指定されたのかわかりませんでした

いかがでしたか?本作が成人映画になったのはなぜなんでしょうか。映像的にはほんの少し乳房が映る場面がありますが、それは臨終寸前の父親が娘の乳を求めるという父娘の近親相姦的な情愛を表現する場面でしたし、河津清三郎と娘の吉村実子とのからみは静止画面のみで示されていて具体的な性描写はどこにも見当たりません。性産業自体を取り上げたことが問題だったなら、溝口健二の『赤線地帯』なんかも成人映画になってしまいますから、当時の映倫の立場としては、観客動員数が落ち込む中で大蔵映画などが進めるエログロ路線になんとか歯止めをかけたいという意図があったのかもしれません。本作はいわばそのスケープゴートにされたんでしょうけれども、結果的にそれが観客の興味をそそってしまい、怖いもの見たさではなくエロいもの見たさによって大ヒットしてしまったのではないでしょうか。

しかし本作にはエロの匂いは少しもないわけで、泥臭くしぶとく生き抜く左幸子のバイタリティには性的に歓喜させるものは何ひとつなく、逆にここまでたくましい生き方になると映画として見るのも勘弁してほしいような気持ちになってきます。北林谷栄が寒村の老婆と隠れ売春の元締めの二役を演じていますが、元締めの女将が没落した後に左幸子がかつては女中奉公していた春川ますみに対して女将とまったく同じ言葉を投げかける場面などは、まあやり過ぎというかわかりやす過ぎるくらいに左幸子のキャラクターの粘っこさが出ていたと思います。

北村和夫演ずる父親との関係が非常に微妙なラインで表現されていたのも成人映画の範疇に片足を突っ込む原因だったのでしょうが、ほとんどまともなセリフがないにも変わらず父親の微妙な愛情を表現した北村和夫は巧かったですね。自分の実の娘ではない左幸子を愛する気持ちが父親としてなのか単なる欲ボケ爺としてなのか、そのどちらともとれるような演技でした。また河津清三郎もリアルな中年男を体現していて、肉欲のために餌をちらつかせながらも結局は若い信子に金を騙し取られる展開をうまく演じていました。

そのようなリアルな演技は同時録音による音の効果もあるのでしょうけど、やっぱり映像的には姫田真佐久のスネマスコープの画角をいっぱい使ったキャメラが効果的だったと思います。寒村では左奥が土間で右手前で家の者たちが囲炉裏を囲むという構図が繰り返し使われていて、特に変化のない日が繰り返される寒村の日常を表現していましたし、都会の街頭撮影では望遠レンズを使って空間が圧縮されて息の詰まるような埃っぽい暮らしぶりが伝わってきました。それでも一番印象的だったのは、左幸子の太ももの付け根にできた腫物を父親が吸い取るショットで、照明によって明暗をくっきりさせた左幸子のむき出しの足がモノクロの画面にしなやかに映し出されていて、記憶にプリントされるような陰影のある映像でした。

今村昌平は年号の字幕やストップモーションや素っ頓狂なナレーションの挿入などで2時間以上の長尺にテンポを出そうとしていて、そのような映画的なテクニックがなければなかなか見続けるのがツラい作品でした。この映画がサスペンスフルな犯罪映画『天国と地獄』よりも上に評価されるというのは現在的にみても全く理解できないのですが、この『にっぽん昆虫記』を繰り返し見たいと思う観客がどれくらいいたんでしょうか。配給収入トップのヒットを飛ばしたわりには多くの観客が拍子抜けというか成人映画の看板に騙されたと感じたのではないかと想像します。(A110922)

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