夜霧の恋人たち(1968年)

トリュフォー監督による「アントワーヌ・ドワネルの冒険」の第三作です

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、フランソワ・トリュフォー監督の『夜霧の恋人たち』です。ロマンチックな邦題がついていますが、トリュフォーが自分自身を投影したといわれるキャラクター、アントワーヌ・ドワネルが登場する三作目の作品で、コメディタッチの恋愛劇になっています。本作に続いてジャン・ピエール・レオーが主人公ドワネルを演じる映画は『家庭』(1970年)『逃げ去る恋』(1979年)と製作されていき、後に「アントワーヌ・ドワネルの冒険」シリーズと呼ばれることになります。

【ご覧になる前に】兵役を除隊となったドワネルが職を転々とするお話です

陸軍の兵舎で上官に呼び出されたドワネルは兵役不適格者として除隊処分となりました。パリの娼館で女を買った後すぐにガールフレンドのクリスティーヌの家に行きますが、「スキーに行っている」という彼女の両親に歓待され、除隊の事情を話すとすぐにホテルの夜番の仕事を紹介してくれました。クリスティーヌがホテルでの仕事ぶりを見に訪ねてきてくれたものの、ある朝突然やってきた男たちの言うままに部屋の鍵を開けたところ不倫夫婦による警察騒ぎを引き起こしてしまい、ホテルの支配人はドワネルに首を言い渡します。意気消沈しているドワネルにさきほどの男が話しかけてきて、探偵の仕事に興味はないかとドワネルを誘うのでしたが…。

フランソワ・トリュフォーの最初の長編映画『大人は判ってくれない』は1959年のカンヌ国際映画祭で上映されるとその瑞々しい映像づくりが大絶賛されて、トリュフォーはジャン・リュック・ゴダールとともにヌーヴェル・ヴァーグを代表する映画監督として注目されるようになりました。『ピアニストを撃て』『突然炎のごとく』と話題作を連続して発表した後に、『二十歳の恋』という世界五ヶ国の若い映画監督が恋をテーマにした短編を競作するオムニバス映画に参加します。日本からは石原慎太郎、ポーランドからはアンジェイ・ワイダが作品を提供する中で、トリュフォーは『大人は判ってくれない』の主人公アントワーヌ・ドワネルのその後を描くことにして、二十歳になったドワネルがコレットという女性に恋をする上映時間30分の映画を作りました。フィリップス社でレコード盤を手作業で作る仕事をしているドワネルをジャン・ピエール・レオーが引き続き演じていて、この中編作品は現在でも『アントワーヌとコレット』というタイトルで単独上映されています。

この『夜霧の恋人たち』は、『アントワーヌとコレット』に続く「ドワネルもの」の第三作にあたりますが、注目すべきなのはフランスで1968年9月に公開されていること。1968年といえば世界的に民主化運動のムーヴメントが起きた年で、フランスでは学生たちが大学の自治を訴えたことをきっかけにして大衆が蜂起する「パリ五月革命」が勃発しました。同じ5月にカンヌでは毎年恒例の国際映画祭が開催されていたのですが、パリの民主化運動に連携して映画業界の在り方に抗議が唱えられ、映画祭は会期の途中で中止となりました。このとき映画祭中止を訴えた中心人物がゴダールとトリュフォーで、二人の呼びかけに審査員をつとめていたロマン・ポランスキーやモニカ・ヴィッティ、テレンス・ヤングらが応じて審査を棄権したのでした。

五月革命が起きる前から、ジャン・リュック・ゴダールは毛沢東主義者を描いた『中国女』を発表していますし、商業映画との決別を宣言していて、パリの学生たちに少なからず思想的な影響を与える立場になっていました。カンヌ国際映画祭中止を主導したのはゴダールとトリュフォーでしたが、ゴダールと違ってトリュフォーはより娯楽色の強い映画を製作するようになっていて、1966年にはレイ・ブラッドベリ原作のSF映画『華氏451』を、パリ革命の前月にはコーネル・ウールリッチ原作のサスペンス映画『黒衣の花嫁』を公開させています。そしてこの『夜霧の恋人たち』は革命後半年も経っていない9月にフランスで公開されていますので、トリュフォーはカンヌ事件での先鋭的行動とは裏腹に自分の撮りたい映画を粛々と製作していたのでした。これらの一連の出来事がきっかけとなって、トリュフォーとゴダールは袂を分かち、別々の道を歩むことになっていくのでした。

脚本はトリュフォーとクロード・ド・ジブレーの共同で書かれていまして、ジヴレーはヌーヴェル・ヴァーグの作家たちのうちのひとり。トリュフォーの短編『あこがれ』やクロード・シャブロルの『美しきセルジュ』で助監督をつとめていたほか、「ドワネルもの」第四作『家庭』もトリュフォーとの共同脚本になっています。キャメラマンはドニ・クレルヴァルという人で、アラン・レネの『二十四時間の情事』での撮影助手からキャリアをスタートさせてドキュメンタリー映画でキャメラを回していたのですが、本作で本格的な長編映画の撮影を担当することになりました。トリュフォーとは『暗くなるまでこの恋を』でもコンビを組んでいます。

【ご覧になった後で】軽いタッチでドワネルのキャラを深掘りしていました

いかがでしたか?『大人は判ってくれない』で自由気ままだけどナイーヴで傷つきやすい少年だったドワネルが『アントワーヌとコレット』では実らぬ恋に悩み、そして本作では働きながら住みにくい社会とどう折り合いをつけていくのかが描かれていて、アントワーヌ・ドワネルというキャラクターが深掘りされて、観客にとっても身近な存在として長年の知り合いのように思えてくるようでした。何をやらせても不器用でソツなくこなすということが苦手なのだけど、常にまともかつ誠実で人恋しいのに人との付き合い方は洗練されていないというドワネルの独特なキャラクターが本作の最大の魅力だったのではないでしょうか。もちろんジャン・ピエール・レオーの俳優としての魅力によるところも大きいと思いますけど。

そんなドワネルのキャラが最も際立つのはデルフィーヌ・セイリグ演じるタバール夫人とのエピソードでした。その美しさや上流階級らしいたおやかさに魅了されたドワネルが、朝食に誘われてマダムというべきところをムッシューと間違えてしまう場面は特に印象的で、コーヒーを入れるタバール夫人と砂糖をかき混ぜるドワネルが無言のまま互いを強烈に意識しあっている空気感が見事に映像化されていました。そしてコーヒーカップを倒してしまうところの急激なカッティングは、トリュフォーがヒッチコックから学んだサスペンスとショックの使い分けが完璧に応用されていたと思います。

デルフィーヌ・セイリグはアラン・レネの『去年マリエンバートで』でデビューした女優で、その彫刻のような無機質感が独特でしたが、本作はカラー作品ということもあり、高級ブランドを着こなす魅力的な社長夫人になりきっていて、こんなに美人だったんだなあと見直してしまいました。でもよく考えてみたらフレッド・ジンネマン監督の『ジャッカルの日』で機密情報をピロートークで聞き出すスパイ役をやっていた人だったんですよね。逆光でネグリジェから肢体のシルエットが浮かび上がるショットは今でも忘れることができませんって余計な話ですが。

探偵稼業での不審者のような尾行や機械に弱そうなテレビ修理工など、いかにも仕事ができなさそうなドワネルを描く一方で、電話番号だけで相手の住所を聞き出す懸賞当選電話や公衆電話をコツコツ叩いて混線を装って一方的に電話を切ってしまうやり方などで機転を利かす才覚をなにげなく伝える演出がうまかったですよね。社会不適応なドワネルなのにどこか才能を感じさせるところもあり、それを喜劇的に軽いタッチで描くトリュフォーの語り口が非常に口当たりがよくて、見ている観客側も軽やかな気分になってくるようでした。

また『アントワーヌとコレット』で失恋したコレットが旦那と子供を連れて偶然ドワネルと再会する場面も「ドワネルもの」がシリーズ作品であることを思い出させてくれました。「なんで電話しないの?」とかいわれても失恋相手に電話なんかできないよねと、観客にドワネルへの共感を起させる効果もありました。前作『アントワーヌとコレット』と本作の共通点は、ドワネルがなぜかガールフレンドの両親からはめちゃくちゃ好かれること。前作はドワネルと彼女の両親の三人でテレビを見るというショットで終わりましたし、本作でもクリスティーヌの両親はドワネルのことが大好きで、父親は車をぶつけられても「なんだドワネルか」と警察を追い返してしまいます。こんなところもドワネルのキャラクターを表現するのに有効だったと思います。

ドワネルはトリュフォーの分身でもあるので常に本を読んでいますが、ホテルの夜番をしているときに読んでいるのがウィリアム・アイリッシュの「La Sirène du Mississipi」で、この小説を映画化したのがトリュフォーの次の作品『暗くなるまでこの恋を』です。この映画の撮影時にはもしかしたら次回作として決定していたのかもしれませんね。(T082822)

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