夏の嵐(1954年)

ルキノ・ヴィスコンティ監督のはじめてのカラー作品で普墺戦争が舞台です

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、ルキノ・ヴィスコンティ監督の『夏の嵐』です。原作は「官能」(Senso)という短編小説で、1866年にプロイセン王国とオーストリア帝国の間で勃発した普墺戦争が舞台になっています。ルキノ・ヴィスコンティ監督のデビューは1942年の『郵便配達は二度ベルを鳴らす』で、イタリアのネオリアリスモの先駆的作品と位置付けられていますが、1954年の『夏の嵐』はヴィスコンティ初のカラー作品でした。後の豪華絢爛かつ退廃的な貴族生活を描く大作路線の嚆矢ともいえる作品です。

【ご覧になる前に】アリダ・ヴァリが禁断の恋におちる貴族夫人を演じます

オーストリア占領下にあるヴェネツィアのオペラハウスでイタリア国旗の三色のビラが撒かれます。劇場内が混乱する中で小競り合いが起こり、反オーストリア運動を主導するウッソーニ侯爵はオーストリア軍のマーラー中尉に決闘を申し込みます。セルピエーリ伯爵夫人のリヴィアは従兄弟のウッソーニを救おうとマーラー中尉に決闘を中止するよう依頼しますが、中尉は上層部に報告してウッソーニを捕縛させてしまいます。伯爵の協力も得られなかったリヴィアは、中尉との再会を重ねるうちに次第に中尉に心を惹かれるようになっていくのですが…。

夫がありながら敵国の中尉と恋に落ちてしまう伯爵夫人を演じるのはアリダ・ヴァリ。言うまでもなくイギリス映画『第三の男』でアンナを演じた女優さんですが、もとはイタリア人でイタリア映画に出演していたときにデビッド・O・セルズニックに見い出されてイギリス映画に出演していたのでした。しかしイタリア訛りが抜けずに英語圏では長続きせず、イタリア映画界に戻って出演したのが本作です。祖父が男爵という家系の出身ということもあってなのでしょうか、上流階級の貴族夫人を堂々とした威厳をもって演じています。

プロイセン王国とオーストリア帝国の間で起こった普墺戦争は、ドイツやボヘミア地域だけではなく、オーストリアが一部の地域を占領していたイタリアにまで戦線が拡大しました。イタリア半島をブーツに見立てるとちょうど膝裏の位置にあるヴェネツィアは、地政学的にヨーロッパの本土の影響を受けやすく、ナポレオンによって侵略された後の十九世紀にはオーストリアに割譲されていました。よってイタリアには親オーストリア派の人々とヴェネツィア独立を望む人々がいて、普墺戦争の戦火が及ぶ状況においてプロイセン王国を支援したイタリアの独立派は、オーストリア帝国からヴェネツィアを取り戻そうとしたのです。

そのような国の関係が背景にありますので、本作ではオーストリア出身のブルックナーの音楽がBGMになっています。ブルックナーは十九世紀後半に活躍し、ベートーヴェンやマーラーから影響を受けながら交響曲を次々に発表していきました。本作で取り上げられているのは「交響曲第7番ホ長調」で1883年の作品。同じ年に亡くなったワーグナーに向けた葬送曲という側面をもつ曲でもあります。

監督のルキノ・ヴィスコンティはイタリア貴族ヴィスコンティ家の出身で、十四世紀に建てられた城で育ち、軍隊にも入隊経験がありました。映画監督になってからはデビュー作をはじめ『揺れる大地』や『若者のすべて』でネオリアリスモ調の作品を発表していきますが、その中でこの『夏の嵐』は貴族と軍人を扱っていてヴィスコンティ自身の出自や経験が色濃く反映されたはじめての作品でもありました。1963年の『山猫』以降はヴィスコンティは貴族の没落や退廃的な生活様式を描いていきますので、本作はヴィスコンティのキャリアの中でターニングポイントとなる映画だったと言って良いかもしれません。

【ご覧になった後で】撮影と衣裳でリアルな豪華さが映像化されていました

いかがでしたか?本作はヴィスコンティ初のカラー映画ということもあって、色彩豊かで豪華絢爛たる映像がいちばんの見どころになっていました。なんといっても衣裳デザインが素晴らしいですよね。アリダ・ヴァリが着る伯爵夫人のドレスはコルセットとパニエで腰をギュッと締めあげたうえでスカートの裾を大きく膨らませたロココ調スタイル。それが様々な色と生地に変わって登場します。またオーストリア軍人の制服は白の上着に青のズボンで、そこに白いマントを翻せばもう女性たちは誰しも一目惚れしてしまうくらいのカッコよさです。

そうしたカラフルな衣裳を身にまとった俳優たちが実際の劇場や宮殿を使ったロケーションを生かしてリアルな姿として撮影されていました。ここらへんはネオリアリスモ的な映画作りを経験したヴィスコンティの強みかもしれず、変にスタジオセットで室内撮影していたら本作のようなリアルな豪華さは出せなかったでしょう。キャメラマンのロバート・クラスカーは『第三の男』の撮影監督で、キャロル・リードの演出のもとで光と影を自在に扱った人です。本作はヴィスコンティの『揺れる大地』のキャメラを担当したG・R・アルドが撮っていたのですが、撮影中にアルドが急死したために途中からロバート・クラスカーに交代したんだそうです。

アリダ・ヴァリは『第三の男』のようなクールな演技ではなく、貴族のプライドを出しながら自らの情念に取り憑かれる伯爵夫人を演じていましたし、ファーリー・グレンジャーはヒッチコック作品のようなややナイーヴな青年という感じを捨てて、自己中心的で高慢だけれども見事なまでの美男子で女性を虜にしてしまう軍人にぴったりでした。しかし、これは脚本のまずさなんでしょうか、ファーリー・グレンジャーのマーラー中尉がリヴィアの金銭的援助で除隊した後に変心してしまうのはなんとも腑に落ちませんねえ。遠くから危険を冒して戦線を突破してまで会いに来たリヴィアを急に冷たくあしらって、娼婦との睦まじい仲を見せつけるなんて、中尉の心情変化が描写されていないので唐突にしか感じられません。結局中尉の心変わりの裏切りにリヴィアが密告という裏切りをして中尉は銃殺されてしまうので、終幕に銃殺場面を組み込みたいだけだったような気がしてしまいます。なにしろ逮捕から銃殺まであんなに一気に事が進むなんておかしいですもんね。

でもイタリアとオーストリアが戦争していたという歴史的な事実は全く知りませんでしたし、ブルックナーの交響曲が使用されていて映画にズバリとハマっていたのも驚きでした。有名な映画なのに見る機会を逃がしている作品がたくさんあるので、まだまだ修行が足りないなと自戒するしかありません。(A052822)

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