ヒッチコック監督の「巻き込まれ型」サスペンスの集大成、本物の傑作です
《大船シネマおススメ映画 おススメ度★★》
こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、アルフレッド・ヒッチコック監督の『北北西に進路を取れ』です。ヒッチコック監督はイギリスで1935年に作った『三十九夜』をリメイクしたいと考えていて、それは何も関係のない普通の男がある事件に巻き込まれるというタイプのサスペンス物語でした。さらにヒッチコックはラシュモア山にある過去の大統領の巨大彫刻を映画のクライマックスにするアイディアをもっていて、脚本家のアーネスト・レーマンとともに新たなストーリーラインを練ったといいます。その結果、出来上がった作品は、ヒッチコック監督の巻き込まれ型サスペンスの集大成となって、誰もが楽しめる傑作となりました。前作『めまい』に引き続き、本作はアメリカをはじめ世界各国で大ヒットし、年間興行収入で1959年の第五位にランクインしたのでした。
【ご覧になる前に】事件につぐ事件、冒険につぐ冒険の2時間15分です
広告会社を経営するロジャー・ソーンヒルは秘書にメモを取らせながらプラザホテルに入って商談を始めます。ホテルのボーイがカプラン氏の呼び出しをしているところ、秘書への伝言をし忘れたロジャーがそのボーイに声をかけると、いきなり二人の男が現れてロジャーにピストルを突き付けて強引に車に乗せてしまいます。郊外のタウンゼント邸に連れて行かれたロジャーはそこでタウンゼントと名乗る男性からどんな情報を握っているかを教えろと脅されますが、ロジャーには何のことかさっぱりわかりません。するとタウンゼントの指示で男たちは強引にロジャーにバーボンを飲ませ、泥酔したロジャーを車の運転席に乗せて崖から突き落とそうとするのでした…。
主人公ロジャー・ソーンヒルを演じるのはケーリー・グラントで、ヒッチコック作品には『断崖』『汚名』『泥棒成金』に続いて四回目の出演となります。同じく四度ヒッチコックに起用されていたジェームズ・スチュワートは本作の脚本を読んで主演することを熱望したのですが、ヒッチコックはヒロインと恋に落ちるソーンヒル役をやるにはジェームズ・スチュワートでは老け過ぎて見えると考えていました。しかしあまりにスチュワートが主演にこだわるので、彼が『或る殺人』の撮影に入って身動きが取れなくなるまで本作の撮影開始を遅らせて、スチュワートの機嫌を損ねることなくケーリー・グラントを主役に据えたのだそうです。
一方でヒロインをやるのはエヴァ・マリー・セイント。ブロンドが美しくスレンダーな肢体の女優さんですが、ヒッチコックは本当は1956年に引退してモナコ王妃に収まったグレース・ケリーをカムバックさせたかったそうです。まあさすがにヒッチコックでもそれは無理ですよね。本作はヒッチコック映画としては唯一MGMで製作されたので、MGMサイドからはシド・チャリシーを使えとかエリザベス・テイラーはどうかなどと横やりが入ったそうです。もちろんヒッチコックはプロデューサーも兼ねているのでメジャースタジオのそんな要望ははねのけてしまったようです。
脚本のアーネスト・レーマンはアカデミー賞に6度ノミネートされたのに一度もシナリオで受賞することが叶わなかった名脚本家です。そのキャリアをみると『麗しのサブリナ』『王様と私』『傷だらけの栄光』『ウエスト・サイド物語』『サウンド・オブ・ミュージック』『ブラック・サンデー』と錚々たる作品ばかり。しかも恋愛ものからミュージカル、サスペンスまであらゆるジャンルのシナリオを成功に導いています。ヒッチコックとは本作でコンビを組んだあとは、ヒッチコックの遺作となった『ファミリー・プロット』でも脚色を担当しています。本作の撮影中に主演のケーリー・グラントは「もう三分の一も撮影が済んだのに何が何だかさっぱりわからない。ひどいシナリオだ」とボヤいたといいます。まさにロジャー・ソーンヒルその人が事件に巻き込まれて困惑しているかのような印象を主演俳優が持つくらいですから、アーネスト・レーマンのオリジナル脚本がいかに優れていたかがわかりますね。
開巻していきなり流れる音楽はバーナード・ハーマンが作曲したもの。ハーマンはジュリアード音楽院で作曲の基礎を学んだのちに交響曲を発表するかたわらに映画音楽にも多くの楽曲を提供した人です。特にヒッチコックとのコンビが有名で1955年の『ハリーの災難』以降、本作を含めて1964年の『マーニー』までの全作品で作曲を担当しました。しかしながら1966年の『引き裂かれたカーテン』で二人のコンビに亀裂が入り、二度と再び一緒に仕事をすることはなかったそうです。バーナード・ハーマンの音楽はヒッチコックの映像にドンピシャだったので、本当に残念なことでした。
【ご覧になった後で】ヒッチコックの映像術がとことんまで味わえましたね
いかがでしたか?この映画はヒッチコックの代表作といっても過言ではなく、サスペンス映画史上で最も面白い作品ではないでしょうか。映画史上の名作を選出するオールタイムベストにもしばしば登場していて、イギリスのSight and Sound誌が2012年に選んだ「The 100 Greatest Films of All Time」では53位に選ばれています。もっともこのときにはなんと『めまい』が第一位になっていて、『サイコ』が35位ですから自慢できないんですけど。でも大船シネマとしてはヒッチコック映画の中のベスト・オブ・ベストとしてすべての映画ファンに見てもらいたい作品だと確信しております。
本作のすばらしい点はたくさんあるので、もう書ききれないのですが、列記するとこんな感じでしょうか。
●MGMのライオンマークのバックが緑色になっていて、そのままクレジットタイトルに移るソール・バスのデザインがカッコいいです。
●ミディアムショットを基本にキャメラは登場人物を真ん中に映すのですが、例えばタウンゼント邸でソーンヒルがバーボンを飲まされるところで、いきなり近づいてバストショットに変わり、激しい移動ショットになるような、テンポの切り替えが見事です。
●酔っ払って運転する自動車が運転中にはぶつからずに、停車した途端に玉突き事故になってしまうような、シニカルなユーモアの使い方がうまいです。
●「特急20世紀」のコンパートメントでのラブシーンがキスと抱擁と会話のミックスで、しっとりエロいところがいやらしいです。
●エヴァ・マリー・セイントのほんのちょっとした表情の出し方が演技の巧さでもありますし、その表情が印象に残るので、あとになってエージェントだったんだという種明かしの伏線になっています。
●農薬散布機に追われる平原のシーンは映画史上に残る名場面でした。ヒッチコックが「サスペンスというと雨の夜に黒猫が通りを横切って音楽が高まるような描き方になるけど、その正反対をやってみたんだ」と語るように、真っ昼間の何もない乾いた平地で一級品のコワさを演出したのがすごいところです。
●オークション会場から逃げ出すソーンヒル。常に緊迫した状況をユーモアとともに打開するので、観客も笑いながらハラハラドキドキできるんですよね。映画評論家の植草甚一氏もスラップスティックなサスペンスだというような表現でベタ褒めしていますね。
●レオ・G・キャロル演じるCIA高官が現れて空港でソーンヒルに事件の経緯を語って聞かせるところは、観客にとっては既知の内容なので飛行機のプロペラ音で会話を消しています。こういう省略法がシャレてますねえ。
●監視下の病院からソーンヒルが逃げ出すところ。窓の外から隣室に移るというサスペンス映画の基本中の基本をあえて見せてくれるところに集大成的な位置づけが強調されます。
●ラシュモア山に近いバンダム邸は、フランク・ロイド・ライトの建築をもとにしてデザインされたそうですが、こういうセンスがディテールまで行き届いているんですね。ル・コルビュジエがデザインした国連本部ビルも撮影許可が下りなかったのを内部までカメラで隠し撮りして再現させたのだとか。そんなこだわりが生きてますね。
●ラシュモア山で落下していくマーティン・ランドー。光学合成の特殊技術を使っていますが、人が落ちていく俯瞰ショットを完璧に使えるのもヒッチコックならではですね。人形を放るみたいなゲスなことは絶対しません。また国連の場面ですが、ソーンヒルが逃げ出すのを豆粒のように映し出す俯瞰ショットはその視点の置き方が見事でした。
●そしてエンディング。エヴァ・マリー・セイントがベッドに引き上げられて、最後のショットはトンネルに入っていく列車という最高にいやらしいメタファーで終わります。
脚本のアーネスト・レーマンは当初は主人公の職業をスポーツアナウンサーか新聞記者かエンターテイナーにしたいと考えていたそうです。しかしそのような職業の主人公をどうやって事件に巻き込むかのアイディアが出せないでいました。そんなとき政府機関が架空のエージェントを囮に使うという話をニューヨークの新聞記者から聞いたことをヒッチコックが思い出して、巻き込まれ型の展開が決まったのだそうです。他にも自動車工場で徐々に自動車が組み立てられるのを見学していると最後に完成した車の中から死体が転がり出てくるというアイディアをヒッチコックが思いつき、でもうまくストーリーにはめ込めずにボツにしたという逸話があるくらい、いつもいろんな見せ方を考えていたんですね。
ケーリー・グラントが飛行機に追われるシークエンスの一番最初のショットは、平原の中に巨大クレーン車を持ち込んで、その一番高い位置にキャメラを据えて撮影したらしいのですが、ヒッチコックは、このショットの構図をいかにも簡単に紙に書いて見せたそうです。すなわちヒッチコックの映画は、すでにヒッチコックの頭の中ではすべてのショットやそのアングル、ショットの長さ、そこで俳優がどんな動きをするかまで、全部計算済みだったのでした。撮影現場はヒッチコックのイメージを再現する場でしかなかったんですね。
観客はヒッチコックのイメージをフィルムを通して追体験しているわけでして、そんな意味からすると飛行機に追われるケーリー・グラントの一連のショットの組み立ては本当にアートとしか思えないくらいの完成度でした。映画の基本を振り返りたいなら、『北北西に進路を取れ』を再見すればそれで十分というくらいに映画とは何かを教えてくれる傑作がこの映画です。いつまでも究極に面白い映画として見続けたい作品ですね。(V051122)
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