夜の河(昭和31年)

京都を舞台にして山本富士子と上原謙が不倫関係の男女を演じるカラー作品

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、吉村公三郎監督の『夜の河』です。京都は水質の良い鴨川に恵まれ染め色が鮮やかな京染めが産業として発展しましたが、本作は京染の老舗の看板を継いだ分家の娘を山本富士子が演じて、上原謙の大阪大学教授と不倫関係に陥る男女の恋愛を描いています。昭和30年代初頭の京都の街をカラーで映した映像は大映のキャメラマン宮川一夫の手によるもので、キネマ旬報ベストテンでは年間2位に選出されました。

【ご覧になる前に】原作は澤野久雄の芥川賞候補作で田中澄江が脚色しました

京都堀川沿いに並ぶ京染め店の中にある丸由では高級車で乗りつけたお客を二階から娘きわが覗いています。客は購入した着物について苦情を言いに来たのですが、それは生地の性質ですと言ってきわが手際よく追い払ってしまいました。裏の作業所では父由次郎が職人の利雄から労働基準法違反だと不満を言われ、三十歳に手が届く娘きわの嫁ぎ先を後妻美代と心配しています。きわがモデルになって美大生岡本が描いた絵を見物に行ったついでに寄った近江屋では、きわの美貌を狙う近江屋がろうけつ染めの商品を取り扱いましょうという約束をします。染物の題材を写真におさめるため奈良に出かけたきわはそこで女学生からシャッターを押してくれと頼まれますが、女学生の父親竹村教授はきわの店で作ったネクタイをしていたのでした…。

原作を書いた澤野久雄は朝日新聞学芸部記者をしながら小説を書き、芥川賞の候補になって川端康成からも評価されるようになった人です。三度目の芥川賞候補作だった「夜の河」でも落選し、結局受賞することはできませんでした。昭和50年代まで小説を発表し続けましたが、現在ではほとんどの著作は絶版になっていますから、映画化された「夜の河」のみがその名前を伝えるにとどまっているようです。

脚色の田中澄江は中村登監督の松竹映画『我が家は楽し』で脚本家としてデビューしたものの成瀬巳喜男監督の『めし』を井手俊郎と共同で書いたように、最初の数作は男性脚本家との共作でした。昭和27年の『稲妻』あたりからは一本立ちして田中澄江がひとりで脚本を書き上げるようになり、田中絹代監督の『乳房よ永遠なれ』や久松静児監督・原節子主演の『女囚と共に』など注目作で脚本を任されるようになります。この『夜の河』は井手俊郎との共作で『流れる』を書いた直前の作品で、田中澄江のキャリアを代表するシナリオのひとつです。

監督の吉村公三郎は戦前は松竹大船撮影所で島津保次郎監督のもとで助監督をつとめ、高峰三枝子主演の『暖流』を監督して高評価を得ました。戦後は没落貴族を描いた傑作『安城家の舞踏會』を監督してから脚本家新藤兼人とコンビを組むようになりますが、作品の内容を干渉されるのを嫌って松竹を退社し、新藤兼人とともに「近代映画協会」を設立し、自分たちが本当に作りたいと思う映画を製作する体制を整えます。昭和25年の近代映画協会製作『戦火の果て』を配給したのが大映で、その縁があったためかどうかわかりませんが、近代映画協会の経営が行き詰まると新藤兼人を残して吉村公三郎は大映に入社することになりました。入社後の第一作がこの『夜の河』で、吉村公三郎は本作以降の昭和30年代は大映を拠点として作品を撮るようになっていきます。

大映を代表するキャメラマンだった宮川一夫が本作の撮影を担当していて、宮川一夫は本作の前年に溝口健二監督の『新・平家物語』で初めてのカラー作品を撮影したばかりでした。本作は宮川一夫にとっては二作目のカラー作品ですので、岡本健一の照明とともにカラー映画での映像表現にチャレンジしはじめた頃のキャメラワークが見どころになっています。

主演の山本富士子は昭和25年に開催された「ミス日本コンテスト」で満場一致でミス日本に選出されました。三年後の昭和28年には映画会社の争奪戦の末、大映に入社することになり、三年間で34本の映画に出演していますが、大映での35本目の出演作となる本作が山本富士子にとっての代表作となりました。後のインタビューで山本富士子が自身のキャリアを振り返った際には、昭和33年の小津安二郎監督『彼岸花』への出演は『夜の河』を代表作として評価してもらったうえでの出演だったと語っていますし、『夜の河』で吉村公三郎監督から京言葉や京女のことを教わったことが役に立ったとも言っています。

【ご覧になった後で】電気を消した旅館の部屋でのラブシーンは至高の美しさ

いかがでしたか?ファーストシーンの堀川沿いを走る市電や京染店が並ぶ街並み、鴨川の川床など京都の風景が映像として残されていて、非常に貴重な映像アーカイブとして見ることができる映画でしたし、その京都を舞台として見事な京言葉を話す山本富士子が見事に京都の女性になりきっていて、その演技力を余すところなく披露した山本富士子独擅場の作品でもありました。その大前提としては山本富士子ほど着物が似合う女性は他にいないんじゃないかというほど和装姿がいつもぴったりと決まっていて、ろうけつ染めの職人というか作家という立場にある主人公には山本富士子以外考えられないくらいの適役でしたね。

山本富士子の相手役を演じる上原謙は、女性を主役にしたホームドラマや恋愛ものばかりでは飽き足らなくなって松竹を退社しフリーで各社の作品に出ていた頃。妻も娘もいる二枚目の教授という役柄は本作出演時に四十六歳だった上原謙にとってもアジャストしていて、特に山本富士子との旅館「美よし」の部屋でのラブシーンは宮川一夫のキャメラテクニックによってまさに至高の美しさとなっていました。

ここでは阿井美千子演じるせつ子が部屋に蛾が入ったといって、部屋の電気を消して出て行きます。山本富士子と上原謙が暗くなった部屋に残されて、そこでついには関係を結ぶ展開になるわけですが、暗さを赤黒い照明で表現していて、抱き合った二人を赤黒い画面で右の方に移動で撮っていくと最後には山本富士子が履いた足袋が白くぼおっと浮かび上がるところでフェイドアウトされます。岡本健一による照明と宮川一夫によるキャメラのコンビネーションが生み出したこの場面は、『夜の河』を代表するような名シーンでしたし、日本映画史の中でもこんなに美しい不倫場面はちょっと他にはないのではないかと思われるほど、演出と撮影と照明と演技が一体となった至芸のシーンでした。さらに風呂上りで部屋に戻った山本富士子が激しく上原謙とキスを交わす流れも、大人の許されない交情が画面から迸るように感じられました。

というわけで本作の価値は京都の映像とこの不倫場面に尽きるのでありまして、他は原作がそうなっているのかもしれませんがまあ普通にそこそこの映画だったかなという印象でした。小沢栄のクレジットで出ている小沢栄太郎は下心ミエミエの卸問屋をうまく演じていましたが、納涼床の宴会で醜態をさらすのを山茶花究に止められてそれで出番が終わりというのではちょっと人物像が薄過ぎます。また本家の紹介で雇うことになった伊達三郎の職人もいつのまにか顔を見せなくなったという設定であしらわれていて、分家の立場が悪くなるとか山本富士子に手を出すとかいう厄介ごとに発展しません。画家の川崎敬三は観念的なセリフを言い続けて田舎に帰りますし、洋装の大美輝子が着物は廃れる運命にあるみたいなセリフを言う割には京染という伝統産業が今後どうなるのかの展望も描けていません。すべては主人公の不倫物語の背景にしか過ぎなかったんでしょう。せっかく良い題材を扱っているんですから、もう少し不倫以外のサブストーリーを複線的に盛り込んでほしかったです。

しかしスタッフの仕事ぶりは相変わらず堅実で、池野成の音楽はちょっと現代音楽をアレンジしたような不安感を醸し出していて、池野成にとって映画音楽二作目とは思えない斬新さがありました。このようなベースがあったから後に川島雄三の『しとやかな獣』あたりの音楽を担当できたんでしょうか。また美術の内藤昭にとっては美術監督昇進後四作目にあたっていて、染物の作業場や物干し台にあがるスタジオセットなどが染物職人を扱った本作の雰囲気づくりに貢献していました。

冒頭とエンディングにメーデーの行進を持ってくるあたりは、昭和27年のメーデー事件からは四年も経過していますので思想的な背景があったからというよりは当時の風俗描写をやってみました程度だととらえたほうが良いのでしょう。赤い旗と労働歌が亡くなった妻の後釜に座ることを拒否した主人公の心情に重なるということを言いたかったのかどうか知りませんが、現在的に見るとメーデーの行進は全くのアンマッチに思えます。それを見つめる山本富士子のアップで映画は終わりますが、二十四歳の山本富士子が三十歳目前の独身女性を演じていても全く違和感がないというのは、この人の人間的な成熟度のおかげなのかもしれません。三島由紀夫が「外見だけでなく内面も素晴らしい女性」だと評した通り、女優としてのスケール感は日本映画史においても類を見ないほどの大きさを山本富士子は持っていたのでした。(A051323)

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