ベティ・デイヴィスとジョーン・クロフォード共演のサイコ・サスペンスです
こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、ロバート・アルドリッチ監督の『何がジェーンに起ったか?』です。ハリウッドの大女優ベティ・デイヴィスとジョーン・クロフォードは犬猿の仲で互いを忌み嫌っていましたが、その二人に老姉妹を演じさせたのが本作で、共演が話題となって大ヒットを記録しました。興行収入は900万ドルに達し、1962年の全世界興行収入ランキングで16位となるほどでした。また、ベティ・デイヴィスだけがアカデミー賞にノミネートされたことで、映画公開後も二人の行動はタブロイド紙に恰好のネタを提供することになりました。
【ご覧になる前に】監督のロバート・アルドリッチが自ら製作も兼ねています
1917年、大勢の人々が人気少女歌手ベビー・ジェーンが出演する劇場に入って行きます。舞台ではジェーンが「パパへの手紙」を歌い、司会役の父親がお帰りの際はベビー・ジェーン人形を買うよう観客に薦めます。楽屋口から出てきたジェーンはアイスクリームが食べたいと父親にねだり、姉のブランチは母親から「大人になったら妹に優しくしなさい」と諭されます。1935年、映画会社の試写室でジェーンの出演作をお蔵入りさせたプロデューサーは、姉ブランチだけを出演させてジェーンとの契約を打ち切るよう指示します。その晩、姉妹の乗った車は自宅の門に突っ込み、大破してしまうのですが…。
ベティ・デイヴィスとジョーン・クロフォードはある男性をめぐって三角関係になって以来、互いを蛇蝎のごとく嫌い合う仲で、その関係はハリウッドでも有名だったそうです。1908年生まれのベティ・デイヴィスは1935年に『青春の抗議』でアカデミー賞主演女優賞を獲得しますが、これは前年に出演した『痴人の愛』がRKO作品で、デイヴィスが所属していたワーナーが圧力をかけてアカデミー賞をとらせないようにしたことの罪滅ぼし的な受賞でした。一方のジョーン・クロフォードは、ベティ・デイヴィスより四歳年上の1904年生まれ。MGMでフラッパーを代表する女優となり、1945年には『ミルドレッド・ピアース』でオスカーを獲得しています。
1950年代には、ベティ・デイヴィスは『イヴの総て』(1950年)で舞台の大女優マーゴ・チャニング役を演じてアカデミー賞にノミネートされ、ジョーン・クロフォードは『大砂塵』(1954年)で女性ながら西部劇の主人公を堂々と演じ切るなど、それぞれベテラン女優としてキャリアを築くようになります。しかしながら、二人とも五十歳を超えると次第に出演作品も少なくなり、あってもB級映画の主役以外での出演で、要するにハリウッドでは完全に「過去の人」として忘れられていく存在だったのです。
そこに目をつけたのがロバート・アルドリッチで、ヘンリー・ファレルの原作をルーカス・ヘラーが脚色した物語の主役姉妹にベティ・デイヴィスとジョーン・クロフォードを起用したのです。ヘンリー・ファレルの原作は、本作以外には『ふるえて眠れ』と『私のように美しい娘』くらいしかなく、ルーカス・ヘラーもほぼ本作が脚本家としてのデビュー作です。つまり、売れている小説を映画化したというよりは、姉妹という設定にベティ・デイヴィスとジョーン・クロフォードを当てれば絶対にハリウッドの注目を浴びることができるとロバート・アルドリッチが踏んだのでしょう。それまで『キッスで殺せ!』などで製作の経験があったロバート・アルドリッチは、ゼヴン・アーツ・プロダクションとワーナーブラザーズを組ませて本作を完成させたのでした。
そもそもの元ネタは、1922年にパラマウントの映画監督ウィリアム・デズモンド・テイラーが何者かによって銃殺された「テイラー殺人事件」のようで、結果的に犯人不明のまま迷宮入りした事件がありました。事件後の現場検証でテイラーの書斎から一通のラブレターが発見され、「Dearest, I love you, I love you, I love you」 と書いたのがテイラーより三十歳以上年下のメアリー・マイルズ・ミンターというパラマウントが売り出し中の新人女優だと判明。十三歳で映画デビューしたメアリーが、本作のベビー・ジェーンのモデルではないかと言われています。というのも真犯人はメアリーのステージママであるシェルビー夫人ではないかと疑われていて、金ヅルの娘を中年映画監督にとられてなるものかと殺害してしまったのをパラマウント上層部がモミ消したという話もあるようです。そんなこともあり、テイラー監督を失って錯乱状態になったメアリーはパラマウントから契約解除となり、華やかな表舞台に二度と帰ることはなかったんだそうです。
映画の公開時にはベティ・デイヴィスもジョーン・クロフォードも、それぞれ宣伝のためにあちらこちらの映画館でプロモーション活動に専心したようですが、1962年度のアカデミー賞では、ベティ・デイヴィスだけが主演女優賞にノミネートされ、ジョーン・クロフォードはベティ・デイヴィスだけにはオスカーを獲らせたくないと妨害工作に奔走したんだとか。結局オスカーは『奇跡の人』のアン・バクロフトに行き、しかも授賞式当日に他の予定があって出席できなかったアン・バンクロフトの代わりにステージに上がってオスカー像を受け取ったのはジョーン・クロフォードでした。たぶんあらかじめアン・バンクロフトにネゴしていたんでしょうけど、ベティ・デイヴィスは発表を聞いた途端に授賞式の会場から出て行ってしまったそうです。
【ご覧になった後で】怪演のデイヴィスと熱演のクロフォードのバトルでした
いかがでしたか?自分自身の老醜に向き合うことなく、少女趣味のドレスを着て、得意げに「パパへの手紙」を唄うベティ・デイヴィスの演技はまさに怪演というにふさわしく、一方で妹を貶めた贖罪を感じながらも過去の栄光を忘れられないジョーン・クロフォードは真っ当な熱演でブランチを演じていました。題名自体にジェーンの名前が入っている通り、主人公はジェーンで、ブランチはジェーンの対立キャラとしての位置づけなので、必然的に観客の目はベティ・デイヴィスに引き付けられるわけでしいて、それも「怖いもの見たさ」的に注目せざるを得ないような他に類を見ない存在感でした。そういうことからすると、ベティ・デイヴィスとジョーン・クロフォードの共演はベティ・デイヴィスの圧勝だったといえるかもしれません。
ベティ・デイヴィスはジェーンを表現するために「顔を洗わずに化粧を上塗りする」だろうと想定して、皺だらけの顔に厚化粧を塗りたくったようなメイクアップを自分で完全にコントロールしたそうです。それはもちろん普通のメイクアップ係に頼んだら、大女優のベティ・デイヴィスにそこまでひどいメイクアップはできないからで、ベティ・デイヴィスが自己完結でやり切るからこそ実現したのでした。原作のヘンリー・ファレルは、ハリウッドの歩道を歩いている年増の女性をベビー・ジェーンのモデルにしたといわれていて、要するに昔は撮影所に出入りしていたのに今となっては誰にも見向きもされず、厚化粧をして昔を懐かしんでいるだけの年老いた女性が、精神に錯乱を来すジェーンというキャラクター造形につながったそうです。その意味ではベティ・デイヴィスの役作りは、原作者ヘンリー・ファレルの想像を大きく上回っていたといえるでしょう。
それに比べるとジョーン・クロフォード演じるブランチは常識を弁えた普通の中年女性ですし、車椅子生活を余儀なくされていて介護が必要なこともあり、突飛な演技を披露するわけにも行かず、逆に抑制の利いた静かに燃える青い炎のような印象でした。平静を保とうとしながらも、ジェーンの用意した食事にネズミの死骸がのせられていたときのショックの表現などは、演技のしどころでしたが、映画全体を通じていえば、食事も与えられず拘束されて瀕死の状態になったブランチの心身ともに虚脱した演技が、ベティ・デイヴィスの怪演に対抗するかのような執念を感じさせました。
このようにベティ・デイヴィスとジョーン・クロフォードの演技合戦が本作の一番の見どころでして、そのベースを形成していたのがヘンリー・ファレルの原作による基本設計ですし、ルーカス・ヘラーの脚本だったと思われます。というのもロバート・アルドリッチの演出は、サスペンス映画として見ると今ひとつキレが悪く、主演の二人の演技と見事に構成されたシナリオがなかったら、どこにでもあるようなB級サイコスリラー程度で終わっていたかもしれません。
例えば、ブランチが一階に下りて電話しようとする場面。ここはセリフなしで見せる場面なので、純粋に映像的処理が観客の不安感に直結するはずですが、車椅子から階段の手すりを頼りにしてブランチが階下に下りるプロセスが十分なサスペンスを感じさせるまでに至りません。額に汗するジョーン・クロフォードをひたすらクローズアップでとらえるだけで、滑り落ちるんではないかとか手すりが折れてしまうのではないかなどのサスペンスは全く感じられませんでしたし、途中で挿入されるブランチが電話を見る主観ショットも、アングルやサイズがブランチの視線になり切っておらず違和感ばかりが残りました。また、車に乗って外出したベティ・デイヴィスがいつ家に戻ってくるのかというシチュエーションは、サスペンスを盛り上げる恰好の素材なのですが、どの場面でも意外に早くベティ・デイヴィスが帰宅してしまってあっさりした処理に終始しています。ジェーンが何か忘れ物をして取りに戻るとか、いくらでも時間感覚を制御してサスペンスを醸成することができた場面なので、非常に惜しい感じがします。
銀行でジェーンが現金の払い出しを受ける場面でも、窓口の女性が上司に確認するとあっさり係員は現金を渡してくれます。アルフレッド・ヒッチコックならこういう場面こそ監督の腕の見せ所と言わんばかりに、上司に無駄な動きをさせたり女性係員の視線を操ったりしてジェーンの不安感を最大マックスまで引き上げていたでしょう。また、家政婦のエルバイラが殺される場面も金づちのアップショットがジェーンの主観ショットになっていないので、ジェーンが殺意を抱く心情が観客に伝わりにくく、ロバート・アルドリッチの演出はほんの少しずつズレてしまっていたと思います。
ちなみに酒屋の注文とドクターの往診を断るところで、ジェーンが二度ブランチの声色を使いますが、あそこはどちらもジョーン・クロフォードの声が使われているそうです。ベティ・デイヴィスには他人の声を真似る演技ができなかったためだったんだとか。また、ベティ・デイヴィスが車に乗って外出するショットは本当に家の駐車場から道路に出るのが後部座席から映し出されますが、これは本作が低予算で製作されたためにスクリーンプロセスが使用できなかったためだそうです。結果的にはベティ・デイヴィスとジョーン・クロフォードの共演が話題となり、製作費は11日間の興行で回収できてしまったようですから、そんなにケチる必要はなかったんですね。
1935年のシークエンスで映画会社のプロデューサーが試写室で見ている映画は、実際にベティ・デイヴィスが1933年に主演した「Ex-Lady」で、ひどい演技なのかどうかはわかりませんが、『痴人の愛』で注目される前の出演作でした。また、場面が現在に戻って隣家の母娘がTVで熱心に見入っているのは、ジョーン・クロフォードが1934年に主演した「Saddy McKee」という作品。どちらも主演女優二人の過去の出演作を引用しているわけで、ジェーンとブランチでありながらも本作はベティ・デイヴィスとジョーン・クロフォードの対決映画なんですよと宣言しているかのように感じられました。
キャメラマンのアーネスト・ホーラーは、なんと『風と共に去りぬ』を撮った人で、ほかには『理由なき反抗』や『野のユリ』などもこの人の手によるものです。屋敷の中でベティ・デイヴィスが過去のベビー・ジェーンに戻って踊るのを正面から捉えたローアングルのフルショットなどが印象的でしたし、ラストの群衆がジェーンを取り囲み、警官だけがブランチに駆けよる俯瞰ショットも見事でしたね。また、マザコンピアニストを演じたヴィクター・ブオノは、本作でアカデミー賞助演男優賞にノミネートされています。
余談ですが、「黒澤明が選んだ100本の映画」という本がありまして、黒澤が幼少期から晩年までに見た国内外の映画からおすすめの100本を選出しているのですが、本作はその100本のうちのひとつに選ばれています。また、映画評論家では双葉十三郎先生が「☆☆☆★★★」と傑作に一歩及ばないという評価。淀川長治先生は「ベティ・デイヴィスは悪女。ジョーン・クロフォードは怖い役をやってもダメ。悪くなれないね」とコメントしていて、ベティ・デイヴィスは真からの悪女であるという印象だったそうです。そう思わせてしまうんですから、女優の演技ってすごいですね。(U100624)
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