アステアとロジャースが10年ぶりにコンビを組んだ唯一のカラー作品です
こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、チャールズ・ウォルターズ監督の『ブロードウェイのバークレー夫妻』です。この映画は日本では劇場未公開のままでして、『ザッツ・エンタテインメント』の名場面集のひとつとしてしか見る機会がなかったのですが、現在では動画配信サービスで簡単に見ることができます。フレッド・アステアとジンジャー・ロジャースとしては1939年の『カッスル夫妻』以来10年ぶりの共演作で、RKOではなくMGMで製作されました。RKO時代はすべて白黒でしたので、二人が共演した映画としては初めてのカラー作品となり、これ以降共演はしていませんの結果的に唯一のカラー作品となったのでした。
【ご覧になる前に】ジュディ・ガーランドの降板によって黄金コンビが復活
ジョシュとダイナのバークレー夫妻はブロードウェイのカーテンコールで作曲家エズラとともに観客に挨拶をするとタクシーでパーティ会場に向かいます。ジョシュがショーのワンシーンについてダイナの演技に注文をつけたことで二人は喧嘩状態になりますが、それはいつものことですぐに仲直りしてジョシュは会場のテラスで休もうとダイナを誘います。ところがダイナは劇作家ジャックに声をかけられ、「あなたはコメディではなく本格的な演劇をやる才能がある」と称賛され、ジョシュのことをほったらかしにしてしまい、二人はまた喧嘩状態に。そんな二人をエズラが郊外のスポーツクラブに誘うのですが、そこに現れたのがジャックでした…。
フレッド・アステアは一時的に映画界を引退していましたが、1948年のMGMミュージカル『イースター・パレード』に出演して見事にカムバック。主演する予定だったジーン・ケリーが足を骨折したことによる代打出演だったものの、ジュディ・ガーランドとの共演が好評で年間興行収入でベスト5にランクされるほどの大ヒットを記録しました。MGMはすぐにアステアとガーランドの次の共演作を企画して、ベティ・コムデンとアドルフ・グリーンがオリジナル脚本として仕上げた『ブロードウェイのバークレー夫妻』の製作が発表されました。
ところがリハーサルが始まるとジュディ・ガーランドが心身ともに不調となり主治医からも映画出演は難しいという判断で出てしまい、プロデューサーのアーサー・フリードはアステアにジンジャー・ロジャースとの再結成を勧めます。早速フリードがオレゴンの牧場にいるジンジャーに電話をするとジンジャーの答えはYES。以前コンビを組んだRKOではなく、MGMでアステア&ロジャースコンビが復活することになったのです。ジンジャーは二人で作り上げた名声をアステアが独り占めしたことに不満をもっていましたが、いざ共演するとなると絶妙のコンビネーションがすぐに蘇り、順調に製作が進むようになっていきます。
しかしある日のこと、突然衣裳を着たジュディ・ガーランドが大声を上げながらスタジオに現れたのです。恐怖にかられたジンジャーは自分の楽屋に閉じこもりましたが、ジュディは我が物顔で自分の登場場面を演じ続けました。監督のチャールズ・ウォルターズが冷静になだめてもダメで、ついにはジュディの腕をつかんでステージドアまで彼女を引っ張っていきました。そのときジュディは「私がスタジオからつまみ出されるのはジンジャー・ロジャースのせいよ。くたばれ、ジンジャー!」と叫んで出て行ったそうです。
まあそのようなゴタゴタがあってアステア&ロジャース映画が復活したわけですが、本作でアイラ・ガージュインの詞に曲をつけたのはハリー・ウォーレンで、ジュディ・ガーランド主演の『ハーヴェイ・ガールズ』や『サマー・ストック』などで音楽を担当した人。しかしジュディ・ガーランドが歌うはずだった曲は削られて、逆にジンジャー・ロジャースのためにアステアが歌う「誰にも奪えぬこの思い」を復活させることになり、このジョージ・ガーシュインの名曲が挿入されるのをハリー・ウォーレンは快く思わなかったとか。脚本のコムデンとグリーンの二人はこのあとも『雨に唄えば』や『バンド・ワゴン』の脚本を書いていますし、監督のチャールズ・ウォルターズは『上流社会』の監督をしているので、本作はMGMのおなじみのスタッフが初顔合わせした作品でもありました。
【ご覧になった後で】アステア&ロジャースの二人にウットリしてしまいます
いかがでしたか?RKO時代から10年が経過して本作製作時にアステアは五十歳になるところでジンジャーは三十八歳でした。アステアのエレガンスさは変わない一方でジンジャーは若くはないものの熟した女性の色香が匂い立つような魅力が積み重なっていて、二人の踊りには本当にウットリとさせられてしまいますねえ。極め付きなのは病院のチャリティショーでエズラの計略にハマって仕方なくデュオでステージに立つ場面での「誰にも奪えぬこの思い」。この日本語タイトルはなんだかセンスがないので、原題の「They can’t take that away from me」そのままのほうがシックで良いのですが、この歌と踊りは本当に絶妙というか秀逸というか超絶というかとにかくこれだけ艶と深みと潤いのあるラブソング&ダンスシーンは普通のミュージカル映画では絶対に見ることができないくらいの貴重なデュオシーンでした。
この「They can’t take that away from me」はRKO時代の『踊らん哉』でアステアがジンジャーに向けて歌った曲ですが、そのときはまだアステアの歌もちょっと薄い感じでしたし、ただ単に挿入歌を唄うという場面にしか感じられませんでした。しかし本作ではアステアの歌も渋みが増して豊潤とした深みが出ていますし、それを受けてダンスするジンジャーもアステアに負けないくらいの優美さというか優雅さというか見事な曲線を描きながら踊っていました。もう至芸対至芸の一騎打ちのようなもので、画面のどこを注視しても足りないくらいの名ダンスシーンでしたね。いやいや眼福とはまさにこの場面を見るためにある言葉だと思います。
その前に出てくるのは靴が勝手に踊り出す「Shoes with wings on」の場面。ここでは特殊効果によってアステアとダンスシューズのダンス対決が楽しめましたが、たぶん光学合成で靴だけが踊っているように見せているのでしょうけどこれは当時としてはかなり難易度の高い技術だったんではないでしょうか。それはともかく踊りができない靴屋の主人が勝手に踊り出す靴に身体をもっていかれそうになるというアステアの演技が愉しくて、常に新しいダンスシーンを創造し続けたアステアならではの、アステアより靴のほうがダンスをするという新発想でした。
アステア&ロジャース以外ではオスカー・レヴァントが主要登場人物として活躍していまして、この人は後にMGMミュージカルの代表作でもある『バンド・ワゴン』でアステアの盟友役を演じています。『バンド・ワゴン』ではあまり披露する場面はなかったと記憶しているのですが、本作でのピアノ演奏は本当にプロのピアニストとしての実力を余すところなく伝えていて、ハチャトリアンの「剣の舞」とチャイコフスキーの「ピアノ協奏曲第一番」の演奏シーンをかなり長めに見せていましたね。ここまで本格的なピアノ演奏映像はハリウッド映画でも珍しいと思います。
チャールズ・ウォルターズはミュージカル映画らしく、ショットを短く切らずに人物をきちんと画面におさめた長めのショットを多用していました。ミュージカル映画に必要なのは俳優たちの演技やダンスを中心にきっちりと見せていくことにあるわけでして、映像的に変なこだわりを入れてしまうと演技もダンスも死んでしまうのです。アステアのダンスシーンは基本的にはアステア本人がどのようなキャメラ位置でどのようにカットするかの決定権を持っていたようで、ロングショットでカットなしというのが原則だったようです。アステアがいうには「キャメラが踊るか私が踊るかだ。同時に両者が踊ってもうまくいかない。キャメラを動かせば踊り手はまったく静止しているかのように見える」んだそうです。これは本当に納得できる話で、現在の音楽番組でタレントの踊りを見せるときにかなり短めの映像をコマ切れにつないでいくのが多いのも、平たくいえば「タレントが踊れないのでキャメラのほうで踊ってみせる」ということなのかもしれません。(A092822)
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