幻の女(1944年)

ウィリアム・アイリッシュの名作ミステリー小説を映画化した作品です。

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、ロバート・シオドマク監督の『幻の女』です。原作はウィリアム・アイリッシュのミステリー小説「幻の女」で、1942年に出版されました。二年後に映画化されているということは小説がヒットしたせいでしょうか。小説のほうは、現在でも「ミステリー小説ベスト100」などの人気投票をやると必ず上位にランクされる名作ですが、映画になっているとは今まで知りませんでした。実際にこの映画自体は、小説をかなり改変しているので、未見の方は原作から入ったほうがいいかもしれません。

【ご覧になる前に】原作とは違う展開ですが脚本が面白いので飽きさせません

エンジニアのスコットはバーで鳥の羽根がついた帽子を被った女と出会います。スコットは妻と一緒に芝居を見に行くはずだったのですが喧嘩をして家を飛び出してきたのでした。スコットは帽子の女に代わりに劇場へ行こうと誘うのですが、帽子の女はどこかうわの空の様子ながらも、スコットとともにタクシーに乗ったのでしたが…。

ウィリアム・アイリッシュはコーネル・ウールリッチという名前でも小説を書いていて、何本も映画化された作品を発表しています。アルフレッド・ヒッチコックの『裏窓』やフランソワ・トリュフォーの『黒衣の花嫁』『暗くなるまでこの恋を』など、言われてみれば「あれもそうなんだ」という作品が多いですね。しかしながら一番有名なのがこの『幻の女』で、日本でも昭和30年の和訳が出版されて以来、ミステリー小説のガイド本では必ず紹介されるほどの傑作として知られています。最近は有名作品でも売れなくなると文庫本でも絶版になってしまうことがよくあるのですが、『幻の女』は今でもハヤカワ・ミステリ文庫で現役でがんばっています。「死刑執行〇日前」と徐々に期限が迫ってくる中で、いかに「幻の女」を探し出すかがポイントで、そこに真犯人がからんでくるというサスペンスの王道のような小説です。

監督のロバート・シオドマクは『らせん階段』以外ではあまりその作品は知られていません。また、俳優陣も、フランチョット・トーン(後半から登場します)、エラ・レインズ、アラン・カーティスの三人は1930年代に活躍した人たちのようで、ほとんど日本では知られていない役者です。ということでスタッフ・キャストともに二流どころかと思いきや、プロデューサーとしてクレジットされているのがジョーン・ハリソン。この女性は、ヒッチコックの『レベッカ』や『断崖』、『海外特派員』などの共同脚本メンバーのひとり。なんと『幻の女』は脚本家ジョーンがはじめて製作したプロデューサー・デビュー作なのでした。

【ご覧になった後で】凡庸な前半とは打って変わって、後半は見どころ十分

前半はなんだか演出が冴えなくて、全く映画に入り込めませんでしたね。例えばスコットがアパートで殺された妻と対面する場面。ただ単に横からのミディアムショットでなんとなく映しているだけで、ベッドの死体にかけられたシーツをめくるだけ。原作が有名なので妻が殺されたことを観客はよく知っているのですが、もう少しショッキングな表現が必要なところですよね。また、製作費が足りなくてセットが組めないのか、面倒な撮影はしたくないのか、省略表現がチープにしか見えないのも興ざめです。法廷シーンで傍聴席しか映さないとか、駅のホームで通過する列車を窓の灯りだけで表現するとか、安っぽさしか感じられません。法廷シーンでは速記者による速記で裁判の進行を映像化していましたが、これもどうなんでしょうか。速記文字の物珍しさに目がいくばかりだったように感じました。

しかしながら、後半になると少しずつ調子を取り戻してきて、サスペンスムードが盛り上がってきます。夜の街に浮かぶ高架鉄道の場面やキャロルがしつこくバーに通うあたりから、光と影を強調した映像が目立つようになっていました。特に真犯人のジャック・マーロウが出てくるところからは、彼の手が異様に白く光るように表現されていて、絞殺魔としての異常性格者的雰囲気が漂っていましたね。ちなみに原作と大きく違うのが、このジャックが犯人であると途中でバラしている点で、キャロルとペアを組むところも映画化では脚色されています。まあ小説が有名過ぎるので、脚本家としてはちょっとヒネらないとドキドキ感が醸し出せないと思ったのかもしれませんね。

原作を読んだときには、ラストの種明かしがなんだか物足りない感じで、いかにも竜頭蛇尾という印象でしたし、現在の感覚では、最初の殺人の捜査が甘すぎて、こんなので死刑になるのはあり得ないと思えてしまいます。それでも原作が長く愛好されているのは、たぶん「幻の女」そのもので、小説の特徴を生かして読者の立場でも「あれは幻だったのではないか」と思わせるような書き方をしているからではないでしょうか。ところが映画だと、最初からリアルに帽子の女が出てきてしまうので、幻の可能性はハナからゼロです。だから帽子屋経由で買い主がわかるという展開が、そんなの最初から捜査するだろうにと思わせてしまって、トリック設定が弱くなってしまっていましたね。

最後に蛇足として、幻の女を探し当てることは「アリバイの立証」につながるわけですが、原語のセリフでも幾たびか「アリバイ」と言っています。アリバイという言葉がすでに日本語化しているので深く考えたこともなかったものの、英語の「alibi」は「現場不在証明」を意味する法律用語なのでした。日本語だと信じていたんですけど、残念です。(A110621)

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