恐怖省(1944年)

グレアム・グリーンの原作をフリッツ・ラングが監督したスパイサスペンス

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、フリッツ・ラング監督の『恐怖省』です。原作はイギリスの作家グレアム・グリーンが1943年に発表した小説で、映画化権を獲得したパラマウントピクチャーズがフリッツ・ラングを監督に起用して映画化しました。1944年といえば、第二次世界大戦の真っ最中であり、ドイツ敗戦が濃厚になっていた時期。本作ではそんな戦時下のロンドンを舞台にした情報戦がサスペンスフルに描かれています。

【ご覧になる前に】翌年にオスカーをゲットするレイ・ミランドが主演です

時計が6時を指すのを待っていたニールは院長に見送られて精神科病院を退院します。駅でロンドン行きの切符を買ったニールが立ち寄ったのは慈善団体のバザーで、占い師から告げられてケーキの重さを当てたニールは箱に入ったケーキをもって列車に乗り込みます。出発間際に乗車してきた盲人は空襲警報で列車が停まるとニールからケーキを奪って逃走しますが、爆死してしまいました。ロンドンに着いたニールは私立探偵を雇って慈善団体の本部を訪ねることにしたのですが…。

1904年に東イングランドに生まれたグレアム・グリーンは、オックスフォード大学を卒業してジャーナリストになった後、1929年に「内なる私」を発表して作家生活に入りました。「スタンブール特急」で乗客の悩みを映画的手法で描写したグリーンは1930年代に作家としての地位を確立する一方で、共産党に入党していて、共産主義への共感は終生変わらずに持ち続けたといわれています。

オックスフォード在学中にドイツ大使館に雇われて対仏諜報活動に従事したことがあり、第二次大戦下にMI6の諜報部員として西アフリカやイベリア半島でスパイ活動を行った経験もあるグリーンは「スパイの経験をもつ作家」としても有名でした。本作はグリーンがMI6を辞めた1943年に書かれた作品で、アメリカのメジャースタジオのひとつだったパラマウントピクチャーズが1万ポンドで映画化権を買い取りました。その報酬にグリーンは大喜びだったそうですが、映画の出来栄えには失望したんだとか。グリーンがアレクサンダー・コルダからの依頼でキャロル・リードのために「第三の男」の原作・脚本を書くのは本作公開から数年経過した1950年のことでした。

原作を脚色したシートン・I・ミラーは1930年代から40年代にかけてハリウッドでアドベンチャー映画やアクション映画の脚本家として活躍した人。20世紀フォックスからワーナーブラザーズに移籍し、エロール・フリン主演作の脚本を書いていましたが、本作はワーナーを離れてフリーになった頃の作品と思われます。プロデューサーも兼務していたため、監督のフリッツ・ラングが脚本を手直ししようとしても受け入れられず、それがグレアム・グリーンの失望につながったのかもしれません。

主演のレイ・ミランドはイギリスのウェールズ出身で、1930年代にハリウッドに渡って映画に出演するようになりました。いったんMGMを解雇されてイギリスに戻ったものの、再挑戦して1940年代には二枚目俳優のひとりとして活躍することに。その当時はハンサムだけれど大根役者という評価だったそうですが、本作の翌年に出演したビリー・ワイルダー監督の『失われた週末』でアカデミー賞主演男優賞を獲得。演技派としての地位を確立して、ヒッチコックの『ダイヤルMを廻せ!』が代表作となるのでした。

【ご覧になった後で】不安なムードの巻き込まれ型サスペンスの傑作でした

いかがでしたか?精神科病院を出所した主人公が慈善団体のバザーに立ち寄る導入部から不安感が充満していて、一体この主人公は何者なのかと観客たちはいぶかりながらも映画の中に引き込まれていきます。バザーで手に入れたケーキには何かの秘密が隠されているらしく、列車を降りたところで爆撃に遭うあたりで観客はレイ・ミランドとともに行動するような気持ちにさせられます。つまりレイ・ミランドはいつのまにか国家的陰謀に巻き込まれているわけで、好奇心旺盛なためにさらに足を突っ込み始めて、とてもやっかいな状況に陥っていきます。観客もよせばいいのにと思いつつ、慈善団体を運営するヒルフェ兄弟の兄とともに降霊の儀式に参加することになるのです。こうした不安なムードの作り方がいかにも巧く、フリッツ・ラングの語り口から映像職人のテクニックが垣間見えるのでした。

ファーストショットの6時を指す時計のアップからしてそうなのですが、ワンショットがじっくりと長く続くので、フリッツ・ラングが遅めのテンポで映画のムードを醸成しようとしているのがわかります。どのショットも人物を離れた位置からフルサイズからミディアムサイズで映し、人物がどこにいるのかという場面設定に目が行くように画角が決められています。おそらく本作は100%スタジオセットで撮影されていまして、どのセットもそこそこお金をかけて作られているように見えますので、脚本に口出しできなかったフリッツ・ラングが美術にだけはこだわったんではないかと思われます。もちろん邪推に過ぎませんけど。

時計のある部屋の建物を出ると外には槍が突き出した頑丈な門扉があり、レイ・ミランドが出ていくとそこに「精神科病院」の表示が見えてきますし、慈善団体のバザーは夜に開催されていて占い女がいる狭いテントやケーキの重さ当てブースなどは閉塞的な空間が強調されています。列車はコンパートメントの内側しか映しませんし、ロンドンの私立探偵事務所や慈善団体があるビルの廊下、降霊儀式が行われる部屋など観客は狭い場所を次々にさまようがごとく案内されるのです。レイ・ミランドとともに観客も事件に巻き込まれるような雰囲気になっていくんですよね。

さらにフリッツ・ラングはクライマックスでもアクションよりムードを大切にした演出を徹底します。妹のカーラが兄ウィリーを撃つシーンでは扉を開くとウィリーが倒れているのがわかるとか、屋上に追い詰められたレイ・ミランドが非常階段にいる敵に銃口を向けると、非常階段の中でいくつかのピストルが火を噴くのが映り、やがて電気が灯されると警察が階段を上がって来るとか。つまりアクションそのものではなく、その結果どうなったかを提示するという手法を多用しているわけで、それがムード醸成に大いに貢献していました。

グレアム・グリーンが失望したというのには理由があって、グリーンが書いた原作では主人公は妻を安楽死させたというわけではなく、妻の看病から逃れるために毒殺したという罪悪感を背負っている設定になっていて、映画では主人公の苦悩が掘り込まれていないと感じたようです。また映画では兄ウィリーがナチスの諜報員で妹カーラはそれを知らなかった設定になっていましたが、原作では兄が自殺してしまったために、主人公が殺人犯と疑われ妹がスパイ容疑で逮捕されるかもしれないという不安がいつまでも続くという暗い終わり方になっているんだとか。グレアム・グリーンはスパイ活動に一度手を染めたら最後その疑いは終生つき纏うのだという、真っ暗な崖の底を覗き込むような望みのない世界を描きたかったのかもしれません。

落胆するグレアム・グリーンにフリッツ・ラングは謝罪したと伝えられているものの、ヒッチコック風に「結婚式にケーキだけは御免だ」というユーモアで明るく終幕となる映画は決して非難されるものではありません。精神科病院から始まるので慈善団体のバザーもレイ・ミランドが見ている幻影ではないか妙な先読みをしてしまうくらいに不安感いっぱいのストーリーは、スコットランドヤードの登場とともに徐々に陽が差すようにして状況が明白になり、ナチスドイツの諜報部隊が全滅して事件は解決を見るわけなので、ラストシーンくらいレイ・ミランドとマージョリー・レイノルズの未来を予感させても良いのではないでしょうか。

本作は第二次大戦下のロンドンを舞台にしていますが、ロンドンがナチスドイツの空襲にさらされたのは1940年9月から1941年5月までの期間でした。英軍が爆撃機スピットファイアで迎撃し、チャーチル首相の徹底抗戦が国民の意思になったことでナチスドイツはソ連侵攻に軸足を移すことになります。そしてスターリングラード攻防戦でドイツが敗退するのが1943年2月のことですから、グレアム・グリーンが原作を書いた1943年にはロンドンにおけるドイツの諜報作戦は、たぶん連合軍によるヨーロッパ上陸作戦の情報収集が中心だったのではないでしょうか。ケーキに隠されていたマイクロフィルムに写っていた地図は、英国からヨーロッパ大陸と北欧地域への侵攻図のようなものだったのもそんな背景があったのかもしれません。

ちなみに本作は戦時下の製作作品だったこともあり、日本ではなかなか公開されず、初公開は40年以上経過した1988年でした。レナード・マルティン氏は本作を***1/2とそこそこ高評価していまして、「戦時下のロンドンを描いた美的雰囲気をもつスリラー映画」とコメントしています。(A101125)

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