まぼろしの市街戦(1966年)

フィリップ・ド・ブロカ監督が戦争の愚かさを皮肉ったカルトムービーです

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、フィリップ・ド・ブロカ監督の『まぼろしの市街戦』です。1966年にフランスで公開されたときにはほとんど話題にもならなかったものの、アメリカではボストンのレパートリー・フィルム・ハウスで1973年以降繰り返し上映されたことから人気に火が点き、アメリカ全土のミニシアターで深夜上映されるようになりました。その意味ではカルトムービーの走りの一本ともいえるのですが、現在的にはフィリップ・ド・ブロカ監督の代表作としても多くのファンから支持されています。

【ご覧になる前に】フランスの小さな町の住民が避難してしまった後のお話

第一次大戦末期のフランスのある小さな町では、占領していたドイツ軍が連合軍の進撃を前にして撤退を始めています。ドイツ軍が撤退後に町全体を破壊するため時限爆弾をセットしたことから町の住民はひとり残らず避難していってしまいました。その情報を取得したイギリス軍は爆発物を除去するため伝書鳩飼育係のプランピックを町に送り込みますが、プランピックは撤退中のドイツ軍に見つかり、ある建物に逃げ込みます。そこは町のはずれにある精神病院で、取り残された大勢の患者の中に紛れてドイツ軍の追跡をかわしたプランピックは患者たちから「ハートの王」という呼び名をつけられたのでした…。

この映画の原案にはモーリス・ベッシーという人がクレジットされていまして、ジャン・ギャバンが主演した『殺意の瞬間』でジュリアン・デュヴィヴィエ監督とともに原作を担当したという記録が残っていますが、他には特に目立った作品は残していないようです。ともあれベッシーが考えたアイディアを脚本にしたのがダニエル・ブーランジェで、ブーランジェとフィリップ・ド・ブロカはジャン・ポール・ベルモンド主演の『リオの男』など一連の冒険活劇を創作したコンビです。それらに比べるとこの『まぼろしの市街戦』は戦争を皮肉った喜劇になっていて、ブーランジェの脚本歴の中では異色の作品といえるかもしれません。

監督のフィリップ・ド・ブロカはクロード・シャブロルなどヌーヴェル・ヴァーグの作品で助監督を多く務めた後に監督としてデビューしまして、日本に初めて公開された監督作品が1962年の『大盗賊』でした。以降はジャン・ポール・ベルモンドとタッグを組んだ作品でおなじみですが、本人はフランス人にしてはちょっと小柄な人だったようで、本作では冒頭での撤退中のドイツ軍の場面で、ドアから現れるアドルフというチョビ髭の兵士役で特別出演しています。ちなみにアドルフ・ヒトラーは第一次大戦時にフランスやベルギーの西部戦線に従軍した経験があり、伝令兵として勲章も授与されています。本作の舞台は第一次大戦ですが、あえて若い頃のヒトラーと思わせるような兵士を登場させたのは、普遍的な戦争批判の姿勢の表れだったのかもしれません。。

主演のアラン・ベイツはイギリスの舞台俳優で、映画出演は本作の他にはジョン・シュレシンジャー監督の『遥か群衆を離れて』やジョセフ・ロージー監督の『恋』などがありますけど、日本ではあまり知られていない人ですね。イギリス軍というかスコットランド部隊の隊長役にはなぜかイタリア人俳優のアドルフォ・チェリがあてられていて、『007サンダーボール作戦』では悪役をやっていました。女優に目を向けると、可憐なチュチュ姿がよく似合うジュヌヴィエーヴ・ビジョルドはカナダ出身の人なんだそうで、フランス巡業の際にアラン・レネ監督の目に留まり『戦争は終わった』で映画デビューしていますから、本作はデビュー二作目にあたります。あとは『天井桟敷の人々』のピエール・ブラッスールや『肉体の悪魔』のミシュリーヌ・プレールや『いとこ同士』のジャン・クロード・ブリアリあたりが精神病院の患者役として出演しているのにも注目したいところです。

ついでに音楽はジョルジュ・ドルリューで、この人もフィリップ・ド・ブロカ一家ともいっていいほどほとんどのブロカ作品で音楽を担当しています。本作ではこの映画の寓話というかおとぎ話的な側面を強調した遊園地のBGMのようなスコアを書いていて、非常に映像にマッチした音楽を聴くことができます。

【ご覧になった後で】ジュヌヴィエーヴ・ビジョルドの可憐さに尽きますね

いかがでしたか?カルトムービーとして誉れ高い本作ですし、大昔にTVの深夜放映バージョンで見たときにすごく感激した記憶があるので、かなり期待してレストアバージョンを見に行ったのですが、意外にも一番印象的だったのはジュヌヴィエーヴ・ビジョルドでした。チュチュを着て日傘をもってバレエのパドブレのようにちょこちょこと歩く姿の可憐なことといったらもう目が離せないほど魅力的でした。ジュヌヴィエーヴ・ビジョルドは1942年生まれですから本作撮影時は二十四歳。まさに美しさの絶頂期なので、映画館で『大地震』を見たときにもなかなかキュートな感じでしたけど、そんなの比較にならないほどの圧倒的な可愛らしさでした。精神病患者という設定ですから、会話もどこかヌケているようなアンバランスさがあって、まさしく「聖痴愚」を体現したようなキャラクターを演じていましたね。

本作がカルトムービーとして支持されているのは、映画の基本設定によるところが大きいと思われるのですが、どんなもんでしょう。ある町がもぬけの殻になり、そこに精神病の患者たちが取って代わって住民になる。その町の支配権を巡って軍隊が争うものの、戦争など意に介さない住民たちに翻弄されて、両軍ともに全滅してしまう。このストーリーラインを思いついたモーリス・ベッシーに座布団一枚あげていいのではないかと思います。

というのもこの着想をひとつの映画にするためのプロットはあまり洗練されているとはいえませんで、時限爆弾が爆発するというサスペンスはほとんど効果を発揮していないですし、ジュヌヴィエーヴ・ビジョルド演じるコクリコ以外の患者たちは、ちょっとズレた世界観を演じているものの印象的なキャラクターになり得ていません。イギリス軍とドイツ軍双方の描き方もドタバタが中心でエスプリを利かせるところまではいっていないので、全体的にはややまだるっこしい展開になっていたと思います。

そんな中でフィリップ・ド・ブロカの演出は、ショットのリズムを基本に置いていて、そこはかとない可笑しみを映像上で表現していました。たとえば、イギリス軍から派遣された斥候兵3人が逃げ帰るショット。いきなりローアングルの超ロングショットに転換して、そこを3人が画面奥に逃げていくというあのショットのインサートの仕方が非常に喜劇色を強めていました。他はあまり思い出せないのですが、そんなようなショットのリズム感が本作の全体印象をドライで軽いものにしているのではないかと思います。

フィリップ・ド・ブロカは本作のことを「パステルカラーのブラックコメディ」と表現していたそうです。まさに言い得て妙で、確かにブラックコメディではありますが、どこかフェリーニが描くサーカス団を思わせる雰囲気を備えているんですよね。やっぱりモーリス・ベッシーの着想自体を褒めるべきだと思いますけど、小さな町そのものが正気なのか狂気なのかどちらかわからない世界に取り込まれていくという世界観が、本作を独自の立ち位置にしているのでしょう。それにしても精神病患者を演じるのは、すべての出演俳優たちにとってとても楽しい機会だったのではないでしょうか。町を占拠した精神病患者たちをとらえたショットにどこか歓びが溢れているのは、俳優たち自身が感じていた解放感が観客に伝わったからかもしれませんね。(T081822)

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