軽蔑(1963年)

ゴダールの長編劇映画第6作でブリジット・バルドーが主演に起用されました

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、ジャン・リュック・ゴダールの『軽蔑』です。『勝手にしやがれ』でヌーヴェル・ヴァーグの一番最後に映画監督デビューを果たしたゴダールは、結婚したアンナ・カリーナを主演にした作品を発表していましたが、本作ではブリジット・バルドーが主演に起用されています。というのも製作にカルロ・ポンティやジョセフ・E・レヴィンなどの大物プロデューサーがつき、ゴダールにとって初めて莫大な製作費がかけられたからでした。しかしその大半がバルドーとフリッツ・ラングとジャック・パランスの出演料となり、残ったのは20万ドルだけだったとか。それでもゴダールとしてはそれまでの2倍以上の製作費を手にすることができたのでした。

【ご覧になる前に】フリッツ・ラングが映画監督役として実名で出ています

赤や青の照明の中、ベッドで男と戯れる女は自分の身体のあちらこちらを好きか質問を続けます。男は作家のピエールでアメリカ人プロデューサーのジェリーから「オデュッセイア」を題材にした脚本を任されていて、試写室でフリッツ・ラングが監督した映像を見たジェリーは突然激怒し脚本の書き直しをピエールに要請します。ピエールの妻カミーユを見たジェリーはカミーユだけを車に乗せて邸宅に行ってしまい、ピエールがタクシーで遅れて到着すると、カミーユはなぜこんなに遅れたのかとピエールを詰問します。ジェリーの秘書を慰めているところをカミーユに見咎められたピエールは、脚本料を当てにして購入したアパルトマンでもカミーユと言い争いになるのでしたが…。

カイエ・デュ・シネマ誌の映画評論家出身の映画作家たちによるヌーヴェル・ヴァーグがフランス映画界に登場したのは1950年代末期のこと。遺産を手にしたクロード・シャブロルや義父が映画配給会社社長だったフランソワ・トリュフォーが製作費を得て次々に映画監督としてのスタートをきったのに対して、ジャン・リュック・ゴダールはプロデューサーのジョルジュ・ド・ボールガールのバックアップを受けて『勝手にしやがれ』でやっとデビューすることができました。ボールガールはイタリア人プロデューサーのカルロ・ポンティと組んで「ローマ・パリ・フィルム社」を設立し、『女は女である』や『カラビニエ』などゴダール作品やアニエス・ヴァルダの『5時から7時までのクレオ』などを製作して初期ヌーヴェル・ヴァーグを支えることになります。

本作もボールガールとカルロ・ポンティが製作していますが、そこに加わったのがアメリカのプロデューサー、ジョセフ・E・レヴィン。自らの製作会社エンバシー・プロダクションではエドワード・ドミトリクの『大いなる野望』やマイク・ニコルズの『イルカの日』を製作し、戦争映画の超大作『遠すぎた橋』をプロデュースすることになる人です。ジョセフ・E・レヴィンが絡んだことによって本作は100万ドルの製作費がかけられ、主演には当時のフランス映画界のトップスターでありセックスシンボルでもあったブリジット・バルドーが起用されました。映画製作現場を題材にした内容ということで、戦前ドイツで活躍し戦時中にハリウッドに渡ったフリッツ・ラングが映画監督役に指名されました。当時七十三歳のフリッツ・ラングは1960年に『怪人マブセ博士』というB級作品を撮って以来監督作がなく、金を必要としていたことから出演を承諾したという話が伝わっています。

カルロ・ポンティは最初はゴダールに監督をさせるのを嫌がっていたようですが、ブリジット・バルドーがゴダールに声をかけ、ゴダールも原作となったアルベルト・モラヴィアの小説が気に入っていたことから監督を引き受けることにしたそうです。モラヴィアの小説にもドイツ人演出家が出てくるようで、ゴダールは映画の古典的な世界を取り上げるチャンスだとして、映画の世界では物事はこう進行しているということを示そうとしたのでした。

アメリカ人プロデューサー役には『シェーン』の黒ずくめガンマンを演じたジャック・パランスが起用されて、バルドー、ラング監督、そしてジャック・パランスの三人で100万ドルのほとんどが消えてしまったんだとか。でも残りの20万ドルでもゴダールにとっては大金で、カプリ島でのロケーション撮影ができることになりました。ゴダール自身は興行的には大失敗だったと振り返っているものの、1963年のフランスで7番目の興行収入だったそうで、ゴダール作品の中では最大の商業的成功作なんだとか。

冒頭からブリジット・バルドーが全裸の背中を披露していて、これはプロデューサーのジョセフ・E・レヴィンが本作をセールスするためにはバルドーのヌードを入れるしかないと判断したからでした。しかし当時注目の的だったバルドーの姿を写真に収めようとするパパラッチが頻繁に登場して撮影はしばしば中断されたそうです。本作の撮影と並行して、バルドーを追うパパラッチを記録したドキュメンタリー映画まで作られたという記録が残っていますので、ブリジット・バルドーの人気の凄まじさが伝わってきますね。

【ご覧になった後で】寂寥感が残る一方で長回しと色彩設計が印象的でした

いかがでしたか?冒頭で「乳首と乳房とどっちが好き?」とか自分の身体を褒めてもらいたくて質問するブリジット・バルドーがエロ可愛くて、そんなバルドーが楽しめる映画かと思いきや、撮影所で再登場した後はほとんど笑顔もないままに終始一貫不機嫌顔のバルドーを見させられることになり、非常に不満がたまる映画でしたね。アパルトマンでのミシェル・ピコリとの言い争いのシーンはなんと34分もあるんだそうで、小麦色の裸を赤いバスローブに包んだ肢体を拝めるにも関わらず、内容的にはフラストレーションが募る展開でした。カプリ島に移動してからは、言い争うこともなく気持ちが食い違うばかりになり、フリッツ・ラング演じる映画監督が自らの芸術的志向を曲げてまで、アメリカ人プロデューサーの言いなりになって映画を撮り続けなければならないシチュエーションがあまりに寂しく感じられました。

ゴダールはジャック・パランス演じるアメリカ人プロデューサーのような存在を心底憎んでいるんだなと思われる一方で、そういうプロデューサーの元でさえも仕事を進めなければならない映画製作のリアルな現場を描くことが本作を作る意義だと捉えていたのかもしれません。ゴダールはプロデューサーのジェリーという存在を「いくらか私に似たところがある」と語っていて、というのも映画作りにおいて大事なのは金と時間をコントロールすることであると知っているからなんだそうです。真の権力は金額ではなく金が使われる時間であると言い切るゴダールは、本当ならそういう立場で映画を作りたかったのかもしれません。

一方で本作に金を出したジョセフ・E・レヴィンは「私が資本を投下したのはバルドーとラングとパランスが共演する映画に対してであって、あんなシロモノに金を出したのではない。シナリオで想像していたのとは別の映画が出来てしまった。ゴダールは単なる成り上がり者に過ぎず、フランス映画産業をダメにする男だ」とけちょんけちょんにこき下ろしています。まさにジャック・パランス演じるジェリーのモデルがジョセフ・E・レヴィンだったのではないかと疑われますし、ゴダールが映画製作の実態を本作で暴いたというとちょっと褒め過ぎになるかもしれません。

同じく映画製作の現場を題材にした作品としてフランソワ・トリュフォー監督の『アメリカの夜』がありますが、ゴダールはこの映画をコケにしています。というのもトリュフォーは『アメリカの夜』の製作当時、主演女優ジャクリーン・ビセットにぞっこんで二人でパリのレストランに入るところをゴダールは目撃したことがあり、ゴダールはトリュフォーがジャクリーン・ビセットとそういう関係になりたくて映画を撮ったと示すシーンこそを映画にすべきだったと主張しているのです。その点でいえば、確かにこの『軽蔑』ではゴダールは関係が悪化していた妻アンナ・カリーナとの間で起こっていたであろう諍い事を隠すことなくミシェル・ピコリとブリジット・バルドーの関係に置き換えて描き切っています。ゴダールにとってはそれは露悪的というよりも映画製作に対して誠実であったということなんでしょうか。

そんなことはともかくとして、長回しショットを多用しつつ、赤と青と黄色を強調した色彩設計は映像として見事でした。長回しはもちろんゴダールが熱愛する溝口健二へのオマージュでしょう。特にアパルトマンで言い争うミシェル・ピコリとブリジット・バルドーの二人の演技を延々と長回しで追いかけるショットは、室内の色彩の変化や白い部屋の中の調度品が映えて、映像のモダンアートを見ているような気分になりました。窓際で照明器具をはさんで左右に対峙する二人を左右にパンしてその会話を追っていくショットも、ひとつのつながったショットにも関わらず、気持ちが断絶した二人の関係をよく表していました。

色彩設計はカプリ島に場面転換してからさらに強調されていて、黄色いバスローブを投げ捨てたバルドーが階段の影に隠れたあとに真っ青な海に全裸で泳ぎ出すショットにその特徴が凝縮されていました。またプロデューサーの別荘のレンガ色の屋根が階段状になっているのが面白い効果を出していて、建築家のアダルベルト・リベラが設計したマラパルテ邸がロケ撮影に使われているそうです。作家・ジャーナリストだったマナパルテは1957年に死亡していて、その後この邸宅は放置されて荒廃したという話もあり、本作でどうしてロケ撮影が許可されたのかはちょっとわかりません。

そんなわけで映画的にはジョセフ・E・レヴィンが言う通りに「あんなシロモノ」なのですが、いろいろと見どころが多く、ラウール・クタールのカラー映像とジョルジュ・ドルリューの大袈裟過ぎる音楽も相まって、ゴダールの映画の中では逆に面白く見られる作品に仕上がっていると思います。1966年に初来日した際には依田義賢に溝口健二の墓参りに連れて行ってもらっているくらいですから、ゴダールの溝口好きが確認できるうえでもそれなりに重要な映画なんではないでしょうか。(U053024)

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