九ちゃんのでっかい夢(昭和42年)

坂本九のエンターテイナーぶりが光るミュージカルコメディ

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、山田洋次監督の『九ちゃんのでっかい夢』です。「男はつらいよ」シリーズで有名になる前の山田洋次は、庶民的な恋愛映画や奇想天外な娯楽活劇などを得意とする監督でした。『男はつらいよ』の二年前に作られたこの映画も、坂本九を主演に据えながら、莫大な遺産相続とお笑いアクションに歌と踊りを重ね合わせて、文句なしに楽しめる作品に仕立てています。バタくさい素材ながらも軽めの味つけで、ロマンティックな雰囲気も加えるその演出は、松竹というよりは東宝のクレージーキャッツ主演映画に似た感じ。90分まるごと楽しい時間が過ごせます。

【ご覧になる前に】大人の寓話ですがストーリー展開がしっかりしています

スイスアルプスの古城に住む大富豪が亡くなります。その遺言に従って執事は遺産相続人の九太郎を日本へ探しに行くことに。ところが歌真似芸人の九太郎は、生きる気力をなくして自殺を考えていました。その九太郎から遺産を横取りしようと殺し屋が送り込まれて…。

原作にクレジットされている三木洋は、実は小林信彦の変名。小林信彦はサブカルチャー評論の元祖ともいえる映画評論家で、雑誌の編集やテレビのコメンテーターとして活躍していました。高校のときに自ら映画研究部を創設して、その部員のお兄さんが有名になる前の荻昌弘で、高校生同士で作っていたミニコミ誌に原稿を書いてもらったことがあるそうです。また映画評論においては双葉十三郎に私淑していて、いきなり自宅を訪問したとか。映画や芸人に対して鋭い観察眼を持っている人で、キネマ旬報に連載していたコラムでは、まだデビューしたばかりの頃のとんねるずについて書いていたことがあり、木梨憲武の才能をエノケンと比較して語っていたのが思い出されます。

坂本九が「上を向いて歩こう」をリリースしたのは昭和36年のこと。その二年後には「SUKIYAKI」のタイトルでアメリカビルボード誌のヒットチャートでトップに輝き、日本初の世界的歌手になりました。昭和60年8月、御巣鷹山の日航機墜落事故で亡くなってしまったのは、日本の芸能界にとって宝物を失ってしまったような事件でした。そのときの臨時ニュースで、乗客名簿から坂本九が乗っていたらしいと流されたときの衝撃。多くの人々に墜落事故について他人事で済まされない思いを抱かせることになりました。今になっても、坂本九を見ると、どうしてもこの事故のことが思い出されてしまいますね。

【ご覧になった後で】和製ミュージカルともいえるくらいに楽しい歌とダンス

いちばん驚かされたのは、坂本九の芸達者ぶり。まずは歌のモノマネ。誰を真似ているのかわからないので悔しいのですが、たぶんすごく似ているんでしょう。そしてダンス。白いタキシードを着て、黒いドレスの女性ダンサーを従えて踊る夢のシーンは、振り付けもカッコいいので、見ていて本当に嬉しくなってきてしまいます。一方では、漫才トリオと絡んだギャグシーン。特に喫茶店でのロシアンルーレットの漫談には大笑いさせられます。伊東四朗が若いのは当たり前ですが、ともに早逝した三波伸介と戸塚睦夫の芸が見られるのも僥倖ものです。台本はあるんでしょうけど、九ちゃんを含めた四人の息がぴったり合っていて、テンポがよくカラリとしてセンスのよいコントになっていました。

脇の充実ぶりも見ものでしたね。後に「男はつらいよ」シリーズにもたびたび登場する佐山俊二のドジな殺し屋。ダンディな外見でフランス語でまくし立てるE・H・エリック。殺し屋を仲介する谷幹一は、この頃「ドラ猫大将」のテレビ放映で吹き替えをやるほど人気のコメディアンでした。ジェリー藤尾のドイツ人執事役はあまりにぴったりしていて、途中まで本物の外国人俳優がやっているのかと勘違いするほど。小屋主役の渡辺篤は黒澤映画の常連です。そして、極めつけは齋藤達雄。サイレント時代の小津安二郎作品で主役をつとめた松竹専属男優です。長身で痩身、ちょび髭がトレードマークでしたが、本作でも喫茶店のマスター役を渋く演じています。こんな豪華な脇役陣を見ているだけでも充実感がありました。

ストーリーや俳優陣の充実ぶりを見ると、山田洋次という監督は、演出力とか映像術とかいうよりは、キャスティングの妙を心得ている人だったのではないでしょうか。そういう意味ではプロデューサーとしての才能に恵まれた監督なのだと思います。けれども、本作で唯一のミスキャストは倍賞千恵子。医者の誤診を突き止め、九太郎のことを心配するのはよいのですが、竹脇無我と婚約していることを隠したままの、言ってみれば九太郎に誤解を仕掛けるような振る舞いをする女性。残念ながら倍賞千恵子は、そんな人を傷つけるような小悪魔的な雰囲気はゼロの女優です。東宝なら、美人だけど性格の悪そうな星由里子(澄子さんのイメージですが)みたいな女優がいっぱいいるので、キャスティングも思いのままですが、松竹にはほかに若手女優がいなかったのでしょうか。もしかしたら当時の山田洋次の作品に出てくれる女優は、倍賞千恵子くらいだったのかもしれません。(A100221)

コメント

スポンサーリンク
タイトルとURLをコピーしました