乾いた花(昭和39年)

石原慎太郎による昭和33年の短編小説を篠田正浩が映画化しました

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、篠田正浩監督の『乾いた花』です。石原慎太郎が昭和33年に「新潮」6月号に発表した短編小説「渇いた花」を原作とした作品で、昭和38年に完成していたにもかかわらず、8ヶ月遅れて公開されました。篠田正浩は松竹の監督でしたが、本作は文芸プロダクションにんじんくらぶが製作しています。配給のみを担った松竹が大船カラーとはほど遠い内容に併映作品を決めきれずに公開が遅れたそうですが、後になってスタイリッシュな映像がハリウッドの若い監督たちに支持されることになりました。

【ご覧になる前に】にんじんくらぶ製作で8ヶ月公開延期されました

大勢の人々で混雑する雑踏の中でこの中の誰かが殺されても誰も気にかけることはないとつぶやくのは刑務所から出所したばかりの村木。船田組の村木は勢力争いをしていた安岡組の幹部を殺して服役していたのですが、手打ちをした船田と安岡は競馬場で所有する馬のレースを眺めながら、関西の今井組の進出に気を揉んでいます。なじみの女と肌を合わせ、安岡組の二郎による襲撃をかわした村木は、賭場に出入りして大金を稼ぐ若い女から屋台の店で声をかけられます。女はもっと掛け金の大きな賭場を紹介してほしいと村木に頼むのでしたが…。

石原慎太郎が「太陽の季節」で文壇にデビューしたのは昭和31年のこと。一橋大学在学中に芥川賞を受賞した石原慎太郎は一躍時の人となって発表する作品すべてが注目の的になります。「渇いた花」は「新潮」昭和33年6月号に掲載された短編小説で、石原慎太郎自ら「私のトリスタンとイゾルデの物語である」と評して愛着をもっていた作品だったんだとか。なので映画化にあたっては監督の篠田正浩に「下手なものにするな」と注文をつけるほどだったようですが、完成された作品は自身の映画化の中で最高のものだと絶賛したそうです。

早稲田大学競争部で箱根駅伝の「花の二区」を走ったこともある篠田正浩は、昭和28年に松竹に入社し昭和35年の『恋の片道切符』で監督としてデビューしました。当時の松竹は篠田より一期下の大島渚が監督した『青春残酷物語』あたりから「松竹ヌーヴェル・ヴァーグ」と呼ばれる変革期にあたっていて、ホームドラマを王道としていた大船調から離れて、現代の若者たちの社会への無軌道な反抗を描いた作品で注目を集めていました。篠田もその流れにのって寺山修司の脚本による『乾いた湖』『夕陽に赤い俺の顔』などで「松竹ヌーヴェル・ヴァーグ」の中心的人物のひとりになっていました。

石原慎太郎の原作を馬場当と篠田正浩が共同で脚色したシナリオを映画にしたのは文芸プロダクションにんじんくらぶ。昭和29年に発足したにんじんくらぶは『人間の條件』などの大作を世に送り出し、田中絹代監督の『お吟さま』を製作し、日本映画界に一定の存在感を示していましたが、昭和40年の『切腹』で大赤字を出して倒産することになります。本作はその直前の製作作品ですので、にんじんくらぶの末期に位置づけられます。

昭和38年に完成していたにもかかわらず、公開が昭和39年3月に延期されたのは、脚本家の馬場当が共同で書いた脚本を篠田正浩が無視して映像表現に偏ったものにしたことに対して松竹にクレームを入れたせいだという説もあれば、花札を使った賭博シーンがあまりにリアルで美化されていたことに松竹がビビったという説もあるようです。にんじんくらぶ代表の若槻繫は松竹製作本部長の白井昌夫から「大船調でなく、併映する適当な作品がないから」と言われたようで、結果的には市村泰一監督・倍賞千恵子主演の『女嫌い』という作品とともに公開されることになりました。

【ご覧になった後で】池部良のキレと加賀まりこの陰影が印象的です

いかがでしたか?本作でいちばん印象的なのは池部良のキレの良さで、『青い山脈』の瑞々しさや『雪国』のインテリっぽさとは正反対に、ヤクザ者の裏社会の中でも義理を通し続ける孤独なローンウルフとしての存在感は池部良ならではのものでした。クレジットでは東宝所属になっているものの、池部良は昭和38年に東宝専属ではなくなっているようで、昭和40年には『昭和残侠伝』ではじめて東映作品に出演しています。「昭和残侠伝シリーズ」は殴り込みに向う高倉健を池部良が手助けするという鉄板パターンが確立された東映ヤクザ映画の柱となりますが、実はこの『乾いた花』こそが池部良が初めてヤクザを演じた映画だったわけなのでした。

村木という主人公は自ら鉄砲玉を買って出るヤクザ者なのですが、池部良が演じるとどことなく知性が感じられ、厭世観というかニヒリズムに支配されたような独特なキャラクターとして表現されていました。全編通じてほとんど笑わないですし、サングラスと浴衣姿の両方がよく似合い、東野英治郎や宮口精二演じる組長ともタメを張るくらいの大物感がありました。昭和30年代後半から脇役を振られることが多くなった池部良としては、本作撮影時の四十五歳という年齢がある意味でターニングポイントでもあったのでしょう。村木を演じたことで「昭和残侠伝シリーズ」の風間重吉のような第二主人公的な配役を得ることになるのですから。

謎多き女性冴子を演じる加賀まりこは撮影時はまだ十九歳だったはずですが、普通の生活では満足できないという平凡な世の中を見切ってしまったような女性の陰影を見事に表現していて、とても二十歳前とは思えない演技を見せてくれます。高校時代にその制服姿が篠田正浩と寺山修司の目に留まってスカウトされたのがデビューにきっかけなんだそうで、昭和37年に篠田の『涙を、獅子のたて髪に』で映画初出演していますが、主演は本作が初めてだったんではないでしょうか。それなのにこの場慣れした感じというかウブさが皆無というか経験豊富な女優に見えるところが、そのまま本作の魅力につながっていましたし、年齢が離れている池部良がぞっこんになってしまう気持ちが十分に伝わってくる要因になっていました。

池部良と加賀まりこ以上に本作を印象的な作品にさせているのは映像の凝り具合でありまして、シネマスコープの横長画面を活かしたスタティックな構図が非常に印象的でした。あまり斜めのアングルは使わずに池部良や加賀まりこを正面からとらえたショットはどれもカッコよくて、特に賭場のシーンで相対する位置に座った二人を真正面から切り返すフィックスショットは微細な表情の変化をとらえていることも含めて、本作を象徴するような映像になっていました。その他にも黒い椅子を真ん中にすえた池部良の部屋全体を映したショットや待ち合わせの教会の扉に立つ原知佐子のフルショットなど固定された構図はどれも写真作品のような構成美に溢れていましたね。

フィックスショットと同じくらいに使用頻度の高い移動によるワンシーンワンショットも実に効果的で、例えばスイカを買ってきた宮口精二が「誰が今井を殺るんだ」と組員に問いかける室内シーンなどは、キャメラが横に動きながらシーンの緊張感を高め、キャメラ位置が変わって事務所の奥に座った池部良が見えてくるあたりに演出の巧さが感じられました。そのほかにも街中を隠し撮りした望遠ショットやスポーツカーに乗る池部良と加賀まりこを真横から切り取ったショットなど、白黒の横長画面を最大限に活かした映像はもれなく完成度の高いものばかりでした。

撮影を担当したのは小杉正雄で、『恋の片道切符』以来篠田正浩とコンビを組んでいたキャメラマンです。小杉正雄はずっと松竹大船撮影所でキャメラを回し続けたので、松竹を退社して独立した篠田正浩と組んだのは本作が最後となりました。また音楽は武満徹が担当していて、とはいっても劇中ではほとんど音楽が使われないのですが、花札を返すピシッという音をジャズに取り入れて作曲を行ったそうです。ちなみに池部良が山茶花究を刺殺する場面で流れる音楽は、パーセル作曲のオペラ「ディドとエネアス」のアリア。殺人場面にオペラを流すというのが斬新だったらしく、世界の映画作家に影響を及ぼすことになりました。

葉(よう)というヤク中の男を演じた藤木孝は「ツイスト男」と異名をとる歌手でしたが、所属していた渡辺プロダクションを飛び出して文芸プロダクションにんじんくらぶに移籍して俳優に転身したという変わり者でした。本作ではひと言もセリフがないのに不気味な雰囲気を醸し出していました。そして忘れてならないのが杉浦直樹。高額の掛け金をとる賭場の仕切り屋として登場していまして、日活で映画デビューした後で松竹に入り、にんじんくらぶに所属していたことから本作で配役されたようです。ほとんどの場面でサングラスをしているので杉浦直樹だとわからなかったのですが、最後の刑務所の中庭で素顔で出てきたところでやっとちゃんとした顔が認識できました。(U033025)

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