ジュニア・ボナー 華麗なる挑戦(1972年)

スティーヴ・マックイーンがロデオ・カウボーイを演じる現代の西部劇です

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、サム・ペキンパー監督の『ジュニア・ボナー 華麗なる挑戦』です。1970年代の映画雑誌で行われていたスター人気投票でアラン・ドロンと一位の座を争っていたスティーヴ・マックイーン。その最盛期に日本公開されたのが本作で、次作『ゲッタウェイ』と同じくサム・ペキンパーが監督した作品です。マックイーン主演作ながら興行的には大コケして製作費を回収することができなかったんだとか。『ゲッタウェイ』が大ヒットしたこともあり、マックイーンのフィルモグラフィの中ではあまり目立たない地味な一本となりました。

【ご覧になる前に】ロデオ大会はアメリカ西部で人気を集めるイベントです

ロデオ大会で荒牛サンシャインに振り落とされて脇腹を痛めたジュニア・ボナーは、馬を乗せたトレーラーを運転して故郷のプレスコットに到着します。父親エース・ボナーの牧場に行くとトラクターが土地を整備していてたちまち父親の家は取り壊されてしまいました。プレスコットで開催されるフロンティア・デイズのロデオ大会に父親と二人で乳搾りレースに参加登録したジュニアが母親の家を訪ねると、エースが交通事故で入院したと知ります。そのころエースは不動産会社を経営する長兄カーリーにオーストラリアに金鉱を掘りに行くと告げていたのですが…。

1970年代当時、アメリカ西部ではロデオ大会が人気で毎年2億5千万人の観客がロデオの競技場に集まるほどでした。1971年には年間3000ものロデオ大会が催されていて、そのうち500強がデンバーにあるロデオ・カウボーイ協会公認のイベント。そのほかにも4Hクラブ、アメリカ未来農民組合、ハイスクール、大学などが主催する大会があり、それぞれが多くの観客からの入場料で運営されていました。ロデオ・カウボーイは全国各地で行われる大会に旅をしながら参加して、競技の賞金で生計を立てていた人たち。世界チャンピオンともなると年収3万5千ドルを稼ぐほどだったそうです。

西部開拓史とともに発展したロデオ協議会は毎年7月4日の独立記念日に村々で開催されていたそうで、最も古い賞金つきのロデオ大会は1888年テキサス州ペコスで行われたと言われています。そんなロデオ大会がプレスコットで開かれていたのを見たのが小説家のジェブ・ローズブルックで、現代のカウボーイを主人公にした脚本はローズブルックにとって初めての映画シナリオでした。とは言っても本作以降はほとんどTVシリーズ向けに脚本を書く程度だったようで、映画の脚本はあまり残していない人のようです。

監督のサム・ペキンパーはドン・シーゲルに弟子入りしてTV向け西部劇のディレクターを経て映画界に入りました。プロデューサーと衝突して干された時期もあったようですが、1969年の『ワイルドバンチ』でスローモーションを多用した暴力描写で新境地を拓き注目を浴びます。本作は1971年の『わらの犬』と1972年の『ゲッタウェイ』に挟まれていて、両作品ともに激しいバイオレンス描写が特徴であったのに比較すると、のんびりした牧歌的なホームドラマになっています。

当時ハリウッドを代表する大スターだったスティーヴ・マックイーンは、1971年の『栄光のル・マン』が興行的に失敗して自ら率いるソーラー・プロダクションを解散せざるを得なくなった頃。本作のすぐあとに出演した『ゲッタウェイ』は全米興行成績で8位にランクされる大ヒットを記録していますから、マックイーンのような大スターがなぜ地味なロデオ映画に出演したのか首をかしげたくなります。同じ年に同じようなロデオ映画が公開されたこともあり、320万ドルの製作費に対して興行収入は280万ドルしか得られず、赤字になってしまいました。

意外なことにキネマ旬報ベストテン外国映画部門では第7位に入っていて、「すでに力を失ってしまった西部への悲しみをこめた挽歌」だと評価されています。『わらの犬』が5位でしたから、サム・ペキンパー監督人気みたいな時期だったのかもしれません。辛口評論家のレナード・マルティン氏もペキンパーの「Most Gentle Film」として最高点一歩手前の採点をつけています。

【ご覧になった後で】情感豊かな現代版西部劇ですがタルさは否めませんね

いかがでしたか?この映画は子供の頃にロードショー公開されたのを映画館で見た個人的思い入れのある作品でして、五十年ぶりくらいに再見してみて、冒頭のクレジットタイトルでマックイーンが脇腹に包帯をあてるところなんかがかすかな記憶として甦ってきました。パンフレットを購入して繰り返し読んだのでしたが、上記のロデオ大会情報はほとんどそのパンフレットの記事を写し書きしたものです。マックイーン主演作ということで期待に胸を膨らませて見たんだろうと思いますが、たぶん子供心にも拍子抜けだったのではないでしょうか。確かに親子の情愛がしみじみと描かれた作品で、現代社会には明らかにマッチしいていないロデオ・カウボーイたちの哀愁みたいなものが感じられますけど、ワクワクして見るような映画ではないですし、やっぱり時計を気にしてしまうくらいのタルさは否定できないところでした。

本作の一番の見どころはマックイーンが荒牛サンシャインに再挑戦するロデオシーンなわけですけど、わずか8秒という短い時間をドラマティックに見せるために短いショットを積み重ねてスローモーションを交えて8秒を濃密に描写していきます。しかしながら所詮は8秒しかないクライマックスをどんなに引き延ばしたところで数分程度にしかなりません。サム・ペキンパーもここの演出に力を入れたのだと思われますが、8秒乗れて良かったね程度の感興しか呼び起こしませんでした。たぶん牛に振り回されるロングショットのマックイーンはスタントマンがやっているんでしょうし。

でもよくよく見てみるとロデオシーンよりもはるかに手間と時間をかけて描いていたのはプレスコットの町にある酒場の乱闘シーンでした。ここではマックイーンはバーバラ・リー(この女優にもマックイーンは手を出したんだとか)と電話ボックスでキスするという役回りで、その他大勢の男たちが殴り合ったり取っ組み合ったりしつつ、ある中年男は女の尻を追っかけ回し、ある酔っ払いは酒を只飲みし、最後にカントリーバンドが「星条旗は永遠に」を演奏すると喧嘩が収まるという長い長いシークエンスになっていました。

この酒場の乱闘シーンが映画の中心に置かれていることは間違いなく、マックイーンとビリー・プレストン演じる父親の再会、その父親がアイダ・ルピノの妻と和解する外階段での会話、金儲けが得意な兄ジョー・ドン・ベイカーとマックイーンの間で交わされる「100万ドルか8秒か」という価値観の違いなどが並行して描かれる本作は、まさにホームドラマ的な西部劇を思い起こさせる構成になっていました。

そしてこうした脇役の中にベン・ジョンソンが配されていることに注目したいところです。ベン・ジョンソンといえば『三人の名付親』でのデビュー以降、『黄色いリボン』『幌馬車』『リオ・グランデの砦』と立て続けにジョン・フォード監督作品に出演を繰り返したフォード一家の若手男優でした。サム・ペキンパーは『ワイルドバンチ』でも起用したベン・ジョンソンに本作ではロデオ興行の元締めを演じさせています。

酒場の乱闘、西部における家族劇、ベン・ジョンソン。これらの要素をつなぎ合わせると、本作はサム・ペキンパー監督によるジョン・フォード作品へのオマージュだったのではないかと思えてくるのでした。西部劇がほとんど製作されなくなっていた1970年代になんとかジョン・フォードが描いた古き良きアメリカの王道的ホームドラマを甦らせることはできないだろうか、みたいなことがサム・ペキンパーの狙いだったのではないでしょうか。

そうなるとスティーヴ・マックイーンのジュニアはジョン・ウェインのポジショニングにあるわけで、ラストに賞金のほとんどを父親のオーストラリア行き航空券(しかもファーストクラス!)に使ってしまうあたりに、家族思いだけど結局は孤独な西部男のジョン・ウェインの影が浮かんでくるような気がしてきます。もちろん子供時代に見たときにはそんなことは米粒ほども思いませんでしたけど、アメリカ映画における西部劇の系譜の中に本作を置いて眺めてみると、ジョン・フォード作品への憧憬というか鎮魂というか、そんなノスタルジックな雰囲気が漂ってくる感想をもったのでした。

ちなみに1972年公開当時の外国映画は原題をそのままカタカナ表記することが流行っていまして、そのトレンドを受けるなら「ジュニア・ボナー」だけで良かったはずです。でも映画の本編を見て日本の配給会社の人もマックイーンらしからぬ地味な内容に困ってしまったのでしょう。『華麗なる賭け』のヒット(国内配給収入年間8位)以降、困ったときは「華麗なる」をつければOKみたいな風潮があって、『華麗なる週末』に続けて本作も『華麗なる挑戦』というサブタイトルをくっつけたのではないかと思われます。

蛇足ですけど、「フロンティア・デイズ」という横断幕が掲げられたプレスコットのロデオ祭のパレードの様子は記録映画風でマックイーンの前作『栄光のル・マン』のレースが始まる前の雰囲気を彷彿とさせるものがありました。興行的に失敗したのもそういう類似点があったからかもしれないですね。(V020926)

コメント

スポンサーリンク
タイトルとURLをコピーしました