シノーラ(1972年)

ジョン・スタージェス監督、クリント・イーストウッド主演の西部劇です

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、ジョン・スタージェス監督の『シノーラ』です。邦題になっているシノーラとは、本作の舞台であるメキシコ国境近い町の名前。原題はイーストウッドが演じる主人公「Joe Kidd」でして、なぜ日本公開にあたって誰も知らない町の名前にしたのか全く理解できません。そのせいなのか、地方都市でのロードショー公開時にはジョン・ブアマン監督の『脱出』との併映扱いで、内容的にも圧倒的に『脱出』のほうが面白かったので、ジョン・スタージェス監督でイーストウッド主演にしてはあまり注目されないまま放置されている作品です。

【ご覧になる前に】アメリカに土地を奪われたメキシコという時代背景です

腕利きのガンマンであるジョー・キッドは、メキシコ国境に近い町シノーラの留置場で朝を迎えました。町の裁判所に出廷したジョーの言い分は認められず、10日間の拘留を言い渡されたとき、法廷にメキシコ人のチャンマとその一味が乱入してきます。チャンマたちは自分たちの土地をアメリカ人の開拓者に貸しただけなのに、いつのまにかその土地の所有権を証明する書類も焼却されてしまったと訴えますが、判事は聞く耳を持ちません。チャンマたちはアメリカ人が捏造した別の書類を焼き捨て、町を出ていきますが、そのとき留置場でジョーを逆恨みした男がジョーに銃を向けたのでした…。

西部開拓史といえば聞こえは良いですが、言い換えればヨーロッパから移住してきた白人たちが、もともと北アメリカ大陸に住んでいた人たちを殺しまくって土地を勝手に奪っていったという歴史でもありました。アメリカ先住民のことを「インディアン」と名付けて敵対視したのは西部劇でもよく取り上げられていますが、メキシコ人たちからの土地を搾取した事実はあまり描かれることがありません。本作はアメリカ人とメキシコ人の間にある因縁を主題にした珍しい西部劇といえるでしょう。脚本はエルモア・レナードのオリジナルで、この人は1950年代から映画に原作を提供してきた人のようです。映画の脚本を書く一方で小説家としても多くの作品を発表していて、1980年代以降はベストセラー作家になりました。

主演のクリント・イーストウッドはマカロニ・ウエスタンでの成功を引っ提げてアメリカに帰還し、イタリアでつかんだ資金をもとにして自らの映画製作会社「マルパソ・プロダクション」を設立します。イーストウッドは本作に出演した前年の1971年には『恐怖のメロディ』で初めて監督に挑戦していますし、翌年の1973年には西部劇の『荒野のストレンジャー』でメガホンをとっていますので、イタリアから帰ってプロダクションを立ち上げたときから、映画は出るものではなく自ら作るものというスタンスだったのかもしれません。そんなイーストウッドですが、本作の監督ジョン・スタージェスとはソリが合わなかったらしく、イーストウッドがいうにはジョン・スタージェスがアル中状態でいつも酔っ払って撮影現場に現れることを苦々しく思っていたとか。逆にジョン・スタージェスはイーストウッドが自分を目立たそうと撮影中に脚本を変更してしまうので実に扱いにくい俳優で、自分は途中で監督を辞任すればよかったなんて言っています。どっちが真実かわかりませんが、ジョン・スタージェスもあの『荒野の七人』や『大脱走』を作った名監督ですので、両雄並び立たずということなのかもしれませんね。

音楽はラロ・シフリンが担当していて、西部劇にしては70年代を感じさせるようなやや黒っぽいブルージーな楽曲を提供しています。舞台はメキシコとの国境ですし、メキシコ人俳優もたくさん出てくるのでいわゆる正統派の西部劇とはちょっと雰囲気が違っているのは、ラロ・シフリンの音楽によるところが大きいような気がします。

【ご覧になった後で】「仕切り屋ジョー・キッド」っていう感じのお話でした

うーん、この映画はどうなんでしょうか。いちばん疑問に思ってしまうのは、メキシコ人のために自分たちの土地を取り戻したいという思いで決起しているチャンマが、ジョーの仕切り屋的な進言だけで正式な裁判を受けるために自ら拘留されることに同意してしまう展開です。なんだか前半は威勢が良かったのに、中盤以降はロバート・デュバル演じるハーランたちの脅しにひるんでしまい、戦いもせずに傍観しているというキャラクターになっていて、一貫性を欠いたように見えますね。結局のところシノーラの町の銃撃戦では人数的に劣るのにジョー・キッドの超人的活躍でハーランたちを皆殺しにしてしまうのですから、なんで自首を選ぶのか理解に苦しみます。ハーランたちにしてもチャンマを殺そうとはしましたけどあまり何もしないうちにジョーにやられてしまうんですよね。なんだか諍い事に乗じてジョーが銃撃戦を楽しんだというふうにとらえられても仕方ない脚本でした。小説家として成功するのかもしれませんが、エルモア・レナードの脚本は本作では失敗だったと思います。

またジョン・スタージェス監督の手さばきも特に目立った場面がなく、まあ教会に忍び込んだイーストウッドが銃を使わずにハーランの部下たちを殺していくシーンが少しだけ面白かったという程度でした。シノーラの町の撮り方やチャンマを追う荒れ地のとらえ方もごくありふれていますし、盛り上がるべき汽車での突進も、そこまでしなくてもいいような感じであんまり効果ないよねという程度に見えてしまいました。

銃器マニアにとっては、ライフルが出てきたり、銃把が大きい連射型の銃も登場したりとディテール部分では見どころ満載でした。ところがライフルの撃ち方が問題で、岩山の上からイーストウッドたちを狙う場面でのライフルの銃身を固定せずに立ち膝で構えているのは、全く照準が定まらない撃ち方です。あんな構えで遠くの標的を撃ちぬけるはずがありません。対抗するイーストウッドはまあ地面に伏せてライフルを構える格好をするのでまだマシですが、その場で組み立てた照準器で相手との距離もわからないまま一発で仕留めるなんて、ほとんど嘘っぽく見えてしまいました。そんなこんなで、なんだか真剣に作られていないような印象の作品だったので、かつて『脱出』の併映作として見たときの記憶がほとんど残っていなかったのも、妙に納得してしまいました。(V021022)

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