自由学校(昭和26年)

獅子文六の新聞小説を二社が同時に映画化したうちの松竹の渋谷実監督版です

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、渋谷実監督の『自由学校』です。昭和25年に朝日新聞に連載された獅子文六の小説は敗戦後の東京での暮らしを戯画化した風刺小説で、松竹と大映が競作して翌年5月に同時公開されました。本作は松竹バージョンのほうで、主人公夫婦を佐分利信と高峰三枝子が演じています。映画界では4月末から5月初旬の祝日が重なる週を「ゴールデンウィーク」と名付け、ふたつの『自由学校』が同時公開されると年間配給収入ベストテンで大映版が2位、松竹版が8位となる大ヒットを記録しました。この年以降、ゴールデンウィークは正月とお盆の間のヤマ場として観客動員に貢献するようになっていきます。

【ご覧になる前に】松竹版の主人公夫婦役は佐分利信と高峰三枝子の二人です

家でせわしげにミシンを動かす駒子は11時を過ぎてもパジャマ姿のままで会社に行こうとしない五百助を急き立てますが、着替えをした夫は1ヶ月前に会社を辞めたと告げます。駒子が理由を問い質すとただ「自由が欲しかった」というだけの夫に対して内職で生計を切り盛りしている駒子は思わず「働かないなら出て行きなさい」と口に出し、夫はその通りに家を出て行きました。公園で昼寝をしていて金を掏られた五百助は夜中に寝床を探すうちに浮浪者の金次と知り合いになり、一緒にくずを集める拾い屋を始めます。一方で駒子は夫が家出してしまったことを大磯の叔母に相談しに行くのですが、叔父は友人たちを招いて能楽の稽古に励んでいて…。

新聞連載小説というのは娯楽の少ない当時においては、人々にとって日々の愉しみのひとつでもあり、新聞をとっている人のほうが珍しい現在においては想像できないくらいの影響力がありました。特に朝日新聞は戦前に夏目漱石を社員にして「こころ」や「明暗」など漱石の代表作のほとんどを新聞掲載していましたので、戦後になっても朝日新聞の連載小説は格段に注目度が高かったようです。昭和22年に再開された連載小説をみると、石坂洋次郎の「青い山脈」、太宰治「グッド・バイ」、大佛次郎「宗方姉妹」など有名作品がズラリと並んでいて、そんな中で昭和25年5月から12月まで連載されたのが獅子文六の「自由学校」でした。

現在的には獅子文六といってもほとんど忘れられた作家のひとりになっていますけど、「自由学校」完結後に掲載されたのが川端康成の「舞姫」だったことから想像すると、当時の文壇における序列では獅子文六は相当な地位にあったと思われます。第一次大戦後に渡仏してフランスの現代劇を学んだ獅子文六は小説を執筆しながら岸田國士らとともに文学座の創設に加わりました。戦時中は真珠湾攻撃の軍神を描いた「海軍」を発表し、戦後には「てんやわんや」「大番」などの作品を書いていて、自身が追求するテーマというよりは時局に合ったものや流行をたくみに取り入れて作品化することに長けていた作家のようです。この「自由学校」も戦後急激に変化する価値観や風俗をやや風刺的に描いたことが当時におけるいわゆるトレンド小説のように受け取られたのではないでしょうか。

当時の大手映画各社は常に人気小説の映画化権の先取り競争をしていましたから、なぜ「自由学校」が松竹と大映の競作になったのかはよくわかりません。獅子文六にアプローチしたタイミングが同じだったのか、獅子文六のほうで軽く両社にOKを出してしまったのかその経緯は不明ですが、図らずも人気の新聞小説が同時に二本上映されることになって、逆に話題性が増幅されたのでしょう。結果的に二作ともに大ヒットして大映も松竹も大いに潤うことになりました。配役を比較すると主人公夫婦は松竹版の佐分利信と高峰三枝子に対して大映版は小野文春(オーディションで選ばれた文芸春秋の社員)と木暮実千代、若いユリと隆文のカップルは松竹版が淡島千景と佐田啓二で、大映版は京マチ子と大泉滉となっていました。

監督の渋谷実は昭和12年の『奥様に知らすべからず』で監督デビューしたように、松竹が得意とする家庭劇の中でもややシニカルでエスプリの利いた作風の人でした。本作の前年には同じ獅子文六の『てんやわんや』で淡島千景をデビューさせていますし、翌年には井伏鱒二原作の『本日休診』で柳永二郎を飄々とした医者役で活躍させています。また脚本の斎藤良輔は松竹蒲田出身の職業的シナリオライターで小津安二郎との共作もありますし人気者だった喜劇役者清水金一主演の「シミ金」ものの脚本も書いています。あと音楽が伊福部昭なのも注目ポイントでしょうか。参考までに大映版のほうは吉村公三郎監督、新藤兼人脚本という『安城家の舞踏會』コンビによる作品でした。

【ご覧になった後で】敗戦後の風俗を映像化した貴重な作品ではありますが…

いかがでしたか?獅子文六の小説が現在ではほとんど忘れられた作品になっている通りで、本作に登場する「とんでもハップン」や「ネバー、ネバー」などの流行り言葉は今では死語どころか、そんな言い回しがあったのかというくらいの化石的表現に思えてしまいます。淡島千景が佐分利信に向って「ボーイではダメ。マンがいいの」みたいなセリフは当時の人たちが日常的に使っていたわけではないんでしょうけど、英語の使い方がちょっと滑稽にも感じられました。今日的にはTVドラマやバラエティーはどんどんと消費されてストックされないので通俗的な部分は忘れ去られたままでいられますけど、映画は古典的価値があるので繰り返し上映されるわけで、当時の記録として見るのでなければなかなか恥ずかしいものがありますね。

そういう部分を除けば、佐分利信と高峰三枝子の夫婦の関係が男女平等の世相に合わせて、「夫が外で働き、妻は家を守る」的な因習をあえてぶち壊して「夫が家出して放浪し、妻は不倫の品定めをする」というストーリーにしたところが本作の一番の見どころでした。佐分利信は意外とだらしない男の役が似合う人で、自身が監督した『愛情の決算』なんかでも原節子に逃げられていますから、本作でも高峰三枝子に愛想を尽かされるのではないかという夫役が板についていました。それとは反対に高峰三枝子は簡単には浮気はしないだろうなという安心感があるものの、清水将夫が迫る横で「×」や「○」を書いてキスを受け入れるかどうかの遊びをするあたりにちょっとだけ悪女っぽい雰囲気が出ていました。

けれども最後には高峰三枝子が佐分利信の足にすがりついて「どこにも行かないで」と泣きながら頼むという展開になってしまい、結局のところ女が男なしでは生きていかれないような描き方になっていたのは、当時としては精一杯だったのかなと思います。しかし皮肉にも両足にすがりつかれた佐分利信はバランスを崩して倒れてしまいます。すなわち女は男にひれ伏したけど、男の方にはもう女を養う力はないという結末だったのです。ラストは元気に外で働く高峰三枝子を家事を終えてパジャマ姿で寝転がる佐分利信で終わりますので、男女平等というか女性上位時代の到来を予感させるエンディングになっていましたね。

そして淡島千景と佐田啓二のカップルは、二人の怪演もあって結構笑えました。佐田啓二は二年後に『君の名は』で岸恵子とすれ違いドラマを演じる超二枚目なのですが、本作では軟弱で優柔不断なキャンディボーイを軽妙に演じていました。また淡島千景は本当は可愛らしいはずなのにわざと低めの声色を使って、自由に恋愛することを当然の権利とするような戦後派女性を表現していましたね。二人とも本作で立派にコメディもつとめられることを証明したんではないでしょうか。

ほかでは杉村春子、三津田健、十朱久雄、東野英治郎、小沢栄、北竜二など豪華な脇役陣がそれぞれの個性を発揮した演技を見せてくれますが、いずれも典型的なステレオタイプ型キャラクターとして登場するので、俳優たちにとっては物足りないくらいの仕事だったことでしょう。杉村春子なんかは一見外向的な話好きおばさんなのに高峰三枝子に罵詈雑言を吐いて去っていくなんてキャラは朝飯前でしょうし、そのわかりやすさが本作の売りにもなっていたわけです。

渋谷実監督の演出もテンポを重視したストーリー運び主眼としているために、特段映像的な工夫があるわけでもなく、観客の目をひたすら登場人物たちに向けさせるように作っていました。こうしたわかりやすさがのちにTVドラマの作り方の原型となっていくわけですので、TVの本放送がNHKで始まるのは昭和28年ですからTVが登場する前からTV的メソッドはこうした喜劇的なホームドラマで確立していたのかもしれません。(Y022523)

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