江利チエミと石原裕次郎が共演したハリウッドミュージカル風の音楽劇です
こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、春原政久監督の『ジャズ娘誕生』です。昭和27年に「テネシーワルツ」でレコードデビューした江利チエミはすぐに映画にも出演するようになり、本作の前年には東宝で「サザエさんシリーズ」がスタートしています。石原裕次郎も前年に『狂った果実』に主演して大スターへのステップを踏み出したところでしたが、日活としてはまだ裕次郎の使い方が定まっておらず、『お転婆三人娘 踊る太陽』に続いてこの作品でも無理矢理歌と踊りを裕次郎にさせています。地方を巡業する楽団が東京の檜舞台に立つまでを背景としてレビューシーンを織り交ぜるなど、ハリウッドミュージカルをそのまま踏襲したスタイルの音楽劇になっています。
【ご覧になる前に】脚本の辻真先は後にアニメの大御所脚本家となる人です
大島からやってきた椿油売りの娘たちの中に妹と弟を連れたみどりがいます。高校生に写真を撮ってもらったみどりたちは、巡業中に通り合わせたユニバーサルバンドの楽団員たちに向って歌を披露するとマネジャーから誘われてバンドのメンバーに加わります。歌手の春夫は喜劇で才能を発揮するみどりに素っ気なくあたりますが、団員たちのいたずらで港に呼び出されたみどりは自分が春夫に惹かれていることを知ります。みどりの評判を聞きつけた丸の内劇場の支配人が楽団のマネジャーに東京での公演を依頼しますが、マネジャーは地方巡業の道を選び舞台に立てないみどりの妹と弟に出ていくように命じてしまい、みどりは二人を連れて姿を消してしまうのでした…。
江利チエミは家族を養うために幼いころから進駐軍のキャンプまわりをして、エリーというあだ名で呼ばれるほどの人気少女歌手になっていました。レコード会社のオーディションにやっと合格して「テネシーワルツ」でデビューするとジャズブームに乗って大ヒット。以後ジャズヴォーカリストとしてアメリカ本国に招かれるほどの活躍をして、美空ひばり、雪村いづみとともに三人娘として芸能界のスターになっていきました。
当然映画界がその人気を放っておくわけがなく、大映で映画に初出演したのはレコードデビューの半年後のことでした。翌年には新東宝で『青空ジャズ娘』、昭和30年には東宝系の宝塚映画で『ジャズ娘乾杯』に出演していて、吉本興業所属で映画会社とは専属契約を結ばなかった江利チエミは、メジャー映画会社各社から引っ張りだこ状態になりました。本作は東宝への出演作が続く合間での日活作品ですので、江利チエミで映画を撮れることになった日活が「ジャズ娘路線でやっとけば間違いない」と安易に前例踏襲型のタイトルにしたのかもしれません。
相手役に選ばれた石原裕次郎は、前年に『太陽の季節』に出ていたところプロデューサーの水の江瀧子がその才能に着目して『狂った果実』に抜擢しました。本作はその9か月後の公開作品ですが、その間に5本の映画に出演させられていて、日活も裕次郎の使い方が定まっていない時期だったと思われます。前作『踊る太陽』は正月映画で日活専属俳優総出演のレビュー映画でしたが、そこで明らかに不器用に歌い踊る裕次郎を見て、日活は裕次郎にはこの手の映画は無理だと判断しなかったんでしょうか。本作の次に出演した井上梅次監督の『勝利者』で裕次郎はやっとアクション映画路線に専念することになりますので、本作は裕次郎の下手なダンスが見られる最後の作品と言ってよいかもしれません。
監督の春原政久という人は、戦前は日活多摩川撮影所、戦後は大映から東映の東京撮影所で多くのプログラムピクチャーを作っていますが、あまり注目に値する作品は残していないようです。それよりも脚本に注目すべきでして、本作の脚本を書いた辻真先は普通の映画の脚本は本作くらいしか残していませんけれども、昭和40年代に東映動画や虫プロ、東京ムービーなどのアニメ映画で次々に脚本を書くことになるアニメ界の大御所シナリオライターです。名古屋大学卒業後NHKに勤めていて、本作はたぶんNHK局員ながら副業的にこなした仕事のひとつだったんでしょう。昭和37年に退局するとプロのシナリオライターとして「ジャングル大帝」や「エイトマン」など勃興期のTVアニメの脚本を大量に担当することになります。昭和40年代から50年代にかけてTVで放映されていたアニメはほとんどが辻真先の手によるものだったといっても過言ではないかもしれません。
ジャズがテーマの映画なので音楽を担当した村山芳男という人は有名なのかと思ったら、日活の作品を四年くらいやっただけで映画界から去っていった様子です。かたやキャメラマンの姫田真佐久と美術の木村威夫は日活を代表するプロフェッショナルたちで、二人とも大映東京撮影所で働いていたのですが同時期に日活に移籍しています。
昭和29年に映画製作を再開させることになった日活には映画作りのプロがおらず、スタッフを他社から引き抜いていた時期で、引き抜きの切り札は低賃金が当たり前だった撮影所のスタッフに対して給料を倍以上出すという条件でした。しかも各社ごとに年功序列かつ職人仕事がまかり通っていて、助手時代にもサブからチーフに上がるためには上の人が撮影監督や美術監督に昇進しない限り上がれないという状況で、かつ仕事を覚えるのも先輩の背中を見て自分で盗めと言われるばかりだったのです。しかし日活では他社から移籍した寄せ集め集団だったので、そのような制約をあまり受けずに比較的自由闊達に仕事ができる環境だったのが、優秀なスタッフたちが日活に集まることになった理由だったようです。
【ご覧になった後で】模倣するにも低レベルで独自性もないのが残念でした
いかがでしたか?歌手と楽団が舞台に立つという基本設定自体がハリウッドミュージカルによくあるパターンで、というのも歌手なら歌を唄うのが当然ですし舞台があればそこにはミュージカルシーンがつきものなので、要するに本作はハリウッド風バックステージものをそのままパクっていることは間違いありません。それならそれで日本の旅芸人一座による音楽劇にする手もあるはずで、日活らしいオリジナリティを出すことも可能だと思うのですが、本作は何から何まで模倣だらけ。しかもその模倣がレベルが低くて、言っちゃ悪いですが猿真似程度になってしまっています。ストーリーも登場人物の感情や動機がはっきりせず、登場人物たちにも魅力がないので、なかなか見ているのがツライ映画でした。
ミュージカルシーンでそこそこ見られるのは大島の椿油売娘が集団で歌い踊る場面くらいで、その他はMGMミュージカルを下手に引用しているだけで、それが微笑ましければまだ許せるのですが、ちょっと見ていられないくらいに真似が下手過ぎてしまって、「イタイ」というのはこういうことを言うんでしょうかね。Aラインドレスの江利チエミとタキシードの裕次郎が都会の噴水のある公園で踊るのは本作の5年前に公開された『バンドワゴン』の真似でしょうけど、江利チエミの顔が大きすぎてドレスが全く似合っていません。雨の中を傘をさしてレインコートを着て歌うのはもちろん『雨に唄えば』のパロディですが、雨の降らせ方も中途半端ですし江利チエミが全然愉しくなさそうです。そもそも雨の中で歌いたいほど嬉しい!というストーリーになってないのが問題でした。
実は小杉勇が江利チエミの父親だったというのも最初からあまりに匂わせすぎていて興味を引きませんし、小杉勇がピエロのメイクアップをしているのはセシル・B・デミルの『地上最大のショウ』に出てきたジェームズ・スチュワートのパクリでしょうか。元ネタとなったハリウッド映画はどれも昭和28年に日本公開されていますので、映画製作を再開した日活でいつか真似してみたい!と考えていたのかもしれませんね。
江利チエミの歌は本作に限っていえばそんなに強烈なインパクトがあるわけではなく、昭和28年に松竹の『青春三羽烏』で映画デビューした雪村いづみのほうがよっぽど歌の上手さが伝わっていました。本作では江利チエミが「Blue Moon」なんかを英語の歌詞そのままで歌っていて、なぜ日本語訳にしないのか不思議でならなかったのですが、エンディングに出てくる「カモナマイハウス」は調べてみたら江利チエミのデビューシングル「テネシーワルツ」のB面の曲だったんですね。そういう点ではやっぱり日活がやっと江利チエミ主演作を作れることになった喜びというものが前面に出ていた作品だったようです。(A012723)
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