ひまわり(1970年)

ローレン&マストロヤンニ主演による戦争で引き裂かれた夫婦の物語です

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、ヴィットリオ・デ・シーカ監督の『ひまわり』です。ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニはヴィットリオ・デ・シーカ監督の『昨日・今日・明日』『あゝ結婚』に出演したコンビで、この『ひまわり』は三度目の共演作でした。第二次大戦中に結婚した二人ですが、夫がイタリア軍のロシア戦線に派遣されたまま戦争終結後も帰還せず、妻が単身ソ連へ夫を探しに行くという物語で、普通の幸せな夫婦が戦争によって引き裂かれる悲劇を描いています。

【ご覧になる前に】ソ連時代に現地ロケで撮影されたひまわり畑が圧巻です

イタリアのナポリ市庁舎で復員兵問い合わせ窓口に日参するジョバンナは帰還しない夫アントニオのことを行方不明と決めつけられ、ひとり家でスープを飲みながら昔のことを思い出しています。ナポリの海辺でアフリカ戦線に赴く直前のアントニオと抱き合っているとき、結婚すれば12日間の休暇がもらえると知り、二人は教会で結婚式を挙げます。その休暇も終わろうとすると、アントニオは精神錯乱を起して病院に運び込まれますが、部屋でジョバンナと談笑する姿を盗み見され仮病だとばれてしまい、ロシア戦線送りが決まります。ナポリ駅でジョバンナに別れを告げるアントニオは「毛皮を買って必ず戻る」と約束しますが、アントニオを待っていたのは果てしなく広がるロシアの厳寒の雪原だったのでした…。

第二次大戦におけるヨーロッパの戦いにおいて、イタリアのムッソリーニは北アフリカ戦線に重点を置いていましたが、ドイツ軍を率いるヒトラーが東部戦線への増援を要求したため、ロシア戦域軍を編成して対ソ戦に参加することになりました。しかしソ連軍の反攻は凄まじく、また連合軍がイタリア本土に近づいてきたため、ムッソリーニは1943年2月にロシア戦域軍の解散を命じます。戦線に取り残された兵士は15万人ともいわれ、彼らは厳しい冬の寒さの中でロシアの広大な雪原を彷徨うことになったのでした。

そのような東部戦線での過酷な戦いがイタリア人に戦後まで続く悲劇を招いたことについて、ヴィットリオ・デ・シーカは長年映画化の構想を温めていたといわれています。ネオリアリスモの時代からデ・シーカとコンビを組んでいた脚本家のチェーザレ・サバッティーニに、ミケランジェロ・アントニオーニ監督作品のほとんどの脚本を書いていたトニーノ・グエッラを加えて、デ・シーカ監督は彼らにオリジナルストーリーを書かせたのでした。

本作は1970年に公開されていますが、当時のソ連はブレジネフ書記長時代で、1968年にチェコスロバキアの民主化運動「プラハの春」を軍事介入して潰す一方で、西側諸国とはデタントと呼ばれる緊張緩和路線に傾いていった時期でした。1970年にソ連とイタリアの間で貿易協定が締結されていますので、ある程度は人の出入りも可能になった頃だったのでしょう。アメリカ人プロデューサーのジョセフ・E・レヴィーンとイタリア人プロデューサーのカルロ・ポンティの二人がモスクワに何度も足を運んで、ソ連当局にソ連国内でのロケーション撮影の許可を取りつけたのでした。

本作のオープニングタイトルで画面いっぱいに映し出されるひまわり畑は、現在のウクライナ南部ヘルソン州でロケーション撮影されたといわれてきましたが、実際にはウクライナ中部のポルタヴァだったということらしいです。ロケ地を明かしてしまうと、大勢のイタリア人兵士が戦死したり戦病死したりした事実がありますので、遺族が現地に殺到して遺骨を探せという騒ぎになることを恐れたソ連当局が、ロケ地を改竄したのではないかといわれています。いずれにしても第二次大戦の東部戦線は現在のウクライナに相当し、そのウクライナを象徴するのが本作のひまわり畑だということで、にわかに注目が集まっているのでした。

【ご覧になった後で】ヘンリー・マンシーニの音楽の哀しい響きが残ります

いかがでしたか?戦争に行きたくないがために仮病を装い、結果的に夫がロシア戦線に送りこまれてしまったことをきっかけに、偶然の積み重ねが夫婦の間を切り裂いていく悲劇が、時制を自在に操る脚本で見事に描かれていましたね。帰還しないアントニオがどのような状況に陥っていたのかが、徐々に明らかになっていく見せ方も大変うまく出来ていて、一方では当時のソ連で人探しをすることの困難さも尋常ではないことが伝わってきます。アントニオの側とジョバンナの側の双方に均等にスポットがあたっているために、観客としては離ればなれになった二人のどちらにも感情移入ができてしまうので、見ているうちにアンビバレンツな感情で心が割かれそうになってくるような心持ちがするのでした。

やっぱり本作のキモはチェーザレ・サバッティーニとトニーノ・グエッラの脚本でして、冒頭から官吏に向って怒りも露わにしてまくしたてるジョバンナを見せておくところが後で利いてくるんですよね。いざソ連の小さな駅でアントニオとの再会を果たすと、ロシア人妻を娶ったアントニオを見たジョバンナは何ひとつ言葉を交わさずに列車に飛び乗ってしまいます。また、イタリアに会いに来たアントニオと深夜に再会する場面では、暗い部屋の中で話す言葉がなくなり黙り合ってしまうアントニオとジョバンナを長々と映し出します。これがネオリアリスモを経験したシナリオライターのすごいところだと思うのですが、本当に何かを言いたいときには逆に言葉に表すことができなくなるという人間の本質を端的に映像化した名場面になっていました。

撮影はジョゼッペ・ロトゥンノという人で、デ・シーカ監督とは『昨日・今日・明日』で組んでいますし、フェリーニの作品の多くで撮影を担当したイタリアを代表するキャメラマンです。ひまわり畑を遠景からひとつひとつの花をクローズアップにする冒頭のワンショットがすばらしかった反面、本編ではかなりズームアップの多用が目立っていて、もっとフィックスショットのみにして静謐な雰囲気にしてほしいところでした。しかし、いくつか印象的なショットがあって、そのうちのひとつがソ連を訪問したジョバンナがソ連の貿易省の役人と窓際で話し込む場面の手持ちショット。キャメラがジョバンナから離れたかと思うとグルーっと円弧を描くようにして再びジョバンナが画面の中央に戻って来る手持ちの移動ショットが、アントニオを探し出すことができないジョバンナの寂漠とした心境を表現していました。

さらに印象的なショットは丘の上に広がる十字架の場面で出てきました。あの十字架は本作を撮るためにオープンセットで作ったものらしく、丘陵に無数の墓標を立てたのだそうですが、それをやや俯瞰ショットでググーっとズームバックしながらキャメラをドリーバックさせて、画面内に重複した二重の動きが表現されていました。丘陵の墓標が遠のくというか無数に視界に入って来るというか、それをめまいがするようなバックショットで撮っていて、非常に斬新な映像になっています。さらにどうやって撮ったのかわからなかったのが、引っ越しをして車で道路を走るアントニオとマーシャをとらえた移動ショット。荷台に乗ったアントニオを横から撮ってから、そのままキャメラが車の前面に移動してフロントガラス越しにマーシャと娘を映し、さらに反対側に回って再びアントニオをとらえるというショットで、現在的にはドローンを飛ばせば簡単に撮影できてしまうのですが、そんな機材もない当時、しかもソ連ロケでこのようにキャメラが浮遊するような絵をどのようにすれば映像化できたのか不思議でなりません。

映画のラストは、再び無言のまま別れ別れになるアントニオとジョバンナの二人でした。マルチェロ・マストロヤンニとソフィア・ローレンがあくまでシリアスなまま登場人物になり切っていたので、思わずホロリと来てしまうすばらしいエンディングだったのですが、やっぱりこの映画の最大の演出効果はヘンリー・マンシーニの主題曲だったのではないでしょうか。哀愁漂う美しい旋律が、ピアノソロからフルオーケストラのアレンジに変化していく実にドラマチックな曲で、数多くのマンシーニの名曲の中でも格別心に残る音楽だと思います。この曲を聴くだけで、庶民の目線から切り取った戦争の残酷さが蘇って来るようです。(V082522)

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