エノケンのホームラン王(昭和23年)

プロ野球をテーマにした喜劇で榎本健一がジャイアンツに入団するお話です

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、渡辺邦男監督の『エノケンのホームラン王』です。昭和11年に発足した日本職業野球連盟は戦争終結の翌年の昭和21年には8チームによるリーグ戦を再開して、娯楽に飢えていた大衆の人気を集めることになりました。中でも一番の人気球団はジャイアンツで、本作はジャイアンツフリークの榎本健一がジャイアンツに入団して選手たちの信頼を獲得していくという野球ファンタジーになっています。昭和23年当時の満員に膨れ上がった後楽園球場が映像として記録されている点で貴重なアーカイブ作品であるといえるでしょう。

【ご覧になる前に】川上や青田をはじめ巨人軍の有名選手が実名で登場します

後楽園球場に向けて自転車を飛ばしているのは叔父の肉屋で働く健吉。健吉がジャイアンツの勝利に歓喜して帰宅すると、お向かいに住むタイガース贔屓の魚屋夫婦と喧嘩騒動が始まります。魚屋の妹千代ちゃんと健吉は好き合っている仲でしたが、互いの家が巨人対阪神で対立しているために結婚に踏み出せないでいるのでした。近所で理容店を営むジャイ床が知り合いの伝手を頼って三原監督に口利きをしたおかげで、健吉はジャイアンツにマスコット選手として入団することになりますが、選手たちの世話や洗濯をする重労働と地方遠征などで健吉はへとへとになって家に帰ってくるのでした…。

巨人軍の前身は大日本東京野球倶楽部で、読売新聞が開催した日米野球のために結成されたチームでした。当時の読売新聞は経営不振に陥っていて、オーナーの正力松太郎がアメリカからオールスターチームを日本に招聘する興行を企画して、その試合を独占報道することによって急速に部数を伸ばし業績を回復させたのです。昭和11年になると日本で8チーム制のプロ野球リーグが発足しますが、東京巨人軍は最初は京成電鉄の子会社的な位置づけで読売新聞は直接経営にタッチしていなかったようです。戦後になってはじめて読売新聞が巨人軍を経営することになり、「読売ジャイアンツ」のネーミングの元で、昭和21年に再開されたリーグ戦に参画していきます。

戦前に大活躍したエースの沢村栄治は戦死してしまいましたが、出征した選手たちが復帰するとジャイアンツの陣容もやっと整うようになりました。戦後すぐは日本野球界初の三冠王中島治康が選手兼監督だったようですが、昭和22年シーズンの途中から三原修監督が指揮をとるようになり、打線もセンター青田昇、セカンド千葉茂、ファースト川上哲治と強打者が並ぶようになります。しかし昭和22年はタイガース、昭和23年は南海が優勝して、ジャイアンツが優勝できたのはプロ野球再開四年目の昭和24年シーズンのことでした。なので本作でジャイアンツファンの肉屋とタイガースファンの魚屋がしょっちゅう喧嘩しているというのは当時の実際のの戦力争いを反映しているわけなのです。

昭和23年は東宝争議が継続中で、東宝を退社したスタッフ・キャストが映画製作専門会社の新東宝を設立して、東宝は配給のみを行う体制でした。クレジットで新東宝・エノケンプロダクション提携作品と出てくる通りで、本作は榎本健一が独立プロダクションを設立して初めて取り組んだ作品で、榎本健一の主演映画50本記念作でもありました。

人気雑誌だったサンデー毎日に掲載されたサトウ・ハチローの「青春野球手帖」を原作にして、監督をつとめた渡辺邦男は本作以降も新東宝・エノケンプロ提携作品を継続して監督することになります。渡辺邦男はもとは日活太秦の出身で、PCL経由東宝で監督をしていましたが、戦後は新東宝、東映、大映、松竹とメジャー映画会社を幅広く立ち回って時代劇の大御所監督として名を成していく人です。長谷川一夫が初めて大石内蔵助を演じた大映版オールスターキャストの『忠臣蔵』なんかも渡辺邦男監督作品なんですね。

【ご覧になった後で】野球人たちの素人演技と超高速度撮影が見どころでした

これは映画としては笑ってしまうような出来栄えで、特に脚本のいい加減さにはあきれてしまいましたね。なぜ榎本健一がジャイアンツに入団できてしまうのかが全く描けていないので、それなら健吉という架空のキャラクターではなく榎本健一本人という設定にしてしまったほうがよほど話が成立したのではないかと思います。またなぜジャイアンツの選手たちから可愛がられるのかのエピソードがないため、三原監督との関係や選手との交流もすべて「?」という感じでしか見られませんでした。

プロ野球を舞台にしてジャイアンツが登場するのですから、ペナントレースの行方やゲームの競り合いなどいくらでも盛り上げる手法があるはずなのに、本作では一切野球の面白さやゲームの緊張感を伝える場面が出てきません。野球好きの人がスタッフにひとりもいなかったようですし、榎本健一自身もさほど野球に興味があったわけではないんでしょう。なので野球映画である必要はまったく感じられず、タイガースの扱いに至っては途中で魚屋夫婦すらジャイアンツ贔屓に鞍替えしてしまって、こんなことなら名前を借りるのも失礼でしょうと思ってしまいます。まあ清川虹子と田中春男の夫婦役は面白かったですけど。

それでも当時のジャイアンツの一流選手たちが素人くさい演技を披露しているのは面白いところで、たぶんアフレコなんかしていられないので同時録音によって採録されたと思われる棒読みのセリフとともに、段取り通りに動くだけの演技が映像に残されているのは興味深かったです。一番下手なのは三原監督で、全く感情のこもらないセリフは逆に喜劇度を増していましたし、川上選手が母親の看病を感謝する場面での精一杯のニセモノ演技も噴飯ものでした。もちろん母親が病気だというのは映画の中の設定なのですが、いかにも川上選手が「フーン、そういう設定なのね」みたいな嘘くさい態度でセリフを言うのがかえっておかしかったですね。

一方でグラウンドでのプレーを超高速度撮影でとらえた映像はどれも貴重なもので、特にキャッチャー目線からピッチャーが投げるボールを映したショットなどは当時のストレートとカーブの実際の姿を記録したということだけで価値があると思われます。またグラウンドレベルで設置されたキャメラがとらえた選手たちの様子もなかなか面白くて、川上哲治のバッティングフォームなんかは、テイクバックする動きがほとんどないままバットを斜めに振り出して思い切り振り抜くみたいなディテールが記録されていました。どちらかといえばパワーヒッターではなくボールにバットを当てに行くようなテクニカル派だったんだなあと感じられました。

またアナウンサーとして登場する和田信賢本人。この人はあの8月15日の玉音放送で、天皇のレコード盤音声が流れる前後のアナウンスを担当した歴史的人物でした。岡本喜八監督の『日本のいちばん長い日』では小泉博が演じていましたね。戦前は69連勝中の双葉山が負けた一番を中継したり、NHK退社後には「話の泉」の司会者として活躍したのですが、1952年のヘルシンキオリンピックの実況を担当した際の帰国途中にパリで病死してしまったんだそうです。まだ四十歳の若さでした。

そんな和田信賢の姿も声もしっかりと本作では登場していますが、本作のような作品が作られたことで貴重な映像が残されたのだとすると、つまらない映画ではあるものの放送史あるいはプロ野球史的にみれば、非常に貴重な財産的作品と言えるのかもしれません。(Y032323)

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