夕陽のギャングたち(1971年)

セルジオ・レオーネ監督の「ワンス・アポン・ア・タイム三部作」二作目です

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、セルジオ・レオーネ監督の『夕陽のギャングたち』です。『荒野の用心棒』に始まる「ドル箱三部作」にあやかって『ウエスタン』と本作に『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』を加えた三作品は「ワンス・アポン・ア・タイム三部作」と呼ばれていまして、マカロニウエスタンが世界的に受け入れられたこともあり、本作はイタリア・スペイン・アメリカの合作で製作されました。主演にロッド・スタイガーとジェームズ・コバーンというハリウッドを代表する俳優を起用して、メキシコ革命を舞台にモダンな西部劇に仕上がっています。

【ご覧になる前に】興行的に失敗しレオーネは13年間次作を撮れませんでした

砂漠の真ん中で蟻の群れに小便をひっかけた浮浪者風の男は、豪華な客車を引いた馬車に拾われます。給水場に停車した馬車が山賊に取り囲まれると、男は乗客たちを身ぐるみはがしてしまいます。山賊を率いるファンは客車を乗っ取りますが、そこにオートバイに乗った男が現れ、ファンの仲間が銃を撃ってからかうと、男はダイナマイトで客車を吹き飛ばしてしまいます。男は「ショーン、いやジョンだ」と名乗り、ファンから銀行を爆破して金を盗もうともちかけられますが、砂漠を歩いて去って行ってしまうのでした…。

セルジオ・レオーネは当初は本作を監督するつもりはなく、セルジオ・ドナティらと完成させた脚本だけの参加にとどまるつもりでした。レオーネの助監督だったジャンカルロ・サンティやピーター・ボグダノヴィッチなどが監督候補だったらしいのですが、ロッド・スタイガーとジェームズ・コバーンがセルジオ・レオーネが監督しないと出演しないと主張したため、レオーネがメガホンをとることになったんだそうです。

ロッド・スタイガー演じるファン役は当初はイーライ・ウォラックにオファーが出されていました。しかしウォラックが他の作品に出演することが決まっていたため、『夜の大捜査線』でアカデミー賞主演男優賞を獲得し、『ワーテルロー』でナポレオンを演じたばかりのロッド・スタイガーが主演することになりました。ところがウォラックはオファーが生きていると受け取り、他の出演作を断ってレオーネに出演可能になったと伝えたんだそうです。ロッド・スタイガーと契約してしまっていたセルジオ・レオーネは、イーライ・ウォラックの好意を無にすることになり、他作品を降板したことの補償もしなかったため、ウォラックが訴訟を起こす展開になってしまいました。

一方のジョン・マローン役は当初はジェイソン・ロバーズが予定されていたそうですが、ビッグネームが求められてジェームズ・コバーンに白羽の矢が立ちました。ジェームズ・コバーンも最初は本作への出演を渋っていて、『ウエスタン』に出演したヘンリー・フォンダと食事した際にセルジオ・レオーネをどう思うか尋ねました。するとヘンリー・フォンダは「これまで仕事した中で最も優秀な監督だよ」と答えたため、ジェームズ・コバーンはジョン・マロリー役を引き受けることになりました。そのヘンリー・フォンダも『ウエスタン』への出演を決めたのは、イーライ・ウォラックからの勧めがあったからだったそうで、なんだか因縁が回りまわっているような出演の経緯があったようですね。

ロッド・スタイガーはファン役を真面目で英雄的な人物として演じたかったようで、セルジオ・レオーネと撮影現場で衝突を繰り返しました。ついにはロッド・スタイガーが撮影を放棄して立ち去ってしまうくらい二人の関係は悪化したそうですが、完成した作品を見てロッド・スタイガーはレオーネの手腕を賞賛するようになったんだとか。映像になってみないと俳優本人も映画の出来具合はわからないんでしょうね。

本作の舞台となっているのは1910年から1917年まで繰り広げられたメキシコ革命の時代。軍人出身のディアスによる独裁政権を打倒しようと民族主義的な革命運動が各地に広がり、最終的にはディアス政権が倒され、ディアスはフランスに亡命することになりました。鉄道の敷設や海外資本の導入を行ったディアスに取って代わって大統領になったのが、革命を先導したマデロで、本作はディアス体制が終焉を迎えた1911年あたりを描いていると思われます。

【ご覧になった後で】大胆な省略法だと思ったら約40分カットされていました

いかがでしたか?2時間37分とかなりの長尺なのですが、ロッド・スタイガーとジェームズ・コバーンのファン&ジョンのコンビが非常に魅力的で、実利的な関係が徐々に友情に変わっていくあたりは好感が持てました。また革命軍の立場にいるわけではないものの、革命に加担する羽目になってしまうストーリー展開も面白く、長尺な作品に特有の冗長さは全く感じられませんでした。セルジオ・レオーネらしい「手前ドアップ・奥ロング」というワンショットの中のメリハリの利かせ方や食事をする口の超クローズアップ、革命軍兵士を虐殺する政府軍を横移動のクレーンで撮った俯瞰ショットなど、どれも効果的で、映像的にも見飽きない工夫が凝らされていたと思います。

そして話がポンポンと飛んでいくので、大胆な省略法を使うなーと感心しながら見ていたのですが、後で調べてみると完成して一度は劇場公開されたバージョンから40分くらいカットされたのが現状出回っているバージョンらしく、道理で話が飛び過ぎるわけだと得心したのでした。まあ40分短縮しても、ストーリーはきちんとつながっていましたし、3時間20分の映画になっていたらいかにも長過ぎるような気もするので、カットして正解だったのかもしれません。

カットされたシーンはたくさんあるようで、例えばジェームズ・コバーンのオートバイを山賊の子供たちが解体してしまう場面がまるごど削除されたため、ジェームズ・コバーンがいきなり砂漠を歩き出すように見えてしまったようです。またその後で夜中にジェームズ・コバーンが協会を爆破するシーンも、ロッド・スタイガーの山賊一味を狙ってのものでしたが、結果的に政府軍が教会もろとも吹き飛ばされます。なんでジェームズ・コバーンがファン一味にそこまでしなくてはならないのかがわからなかったのですが、その前がカットされていて、そこでは砂漠を歩き出したジェームズ・コバーンにファン一味が追い打ちをかけ、水を飲もうとするジェームズ・コバーンに子供が小便をひっかける場面が描かれていたそうです。そこまでされたら吹き飛ばそうとする気持ちも理解できますよね。

またジェームズ・コバーンが橋を爆破したあと、夜の洞窟でロッド・スタイガーが「はじめて家族が何人いるか数えた」と言って家族と仲間を皆殺しにされたセリフを言う場面。メキシコ軍を迎え撃つ二人を置いて、革命一派は全員洞窟に避難したという設定でしたから、いきなり皆殺しになった結果だけを見せるのは、かなり思い切った省略法だと思わされました。でもここも洞窟での虐殺シーンがあったのをカットしてしまったようで、この虐殺を招いたのが革命を指導するビエガ医師だったという背景が削除されたことになります。ジェームズ・コバーンが怒っていたのは、仲間を密告したことだけではなかったわけで、この場面のカットは改悪だったといえるでしょう。

しかしながら、そんな背景を知らなければ、省略法を効果的に使ってスピード感あふれるストーリー展開をした見事な脚本だったという側面だけが残るわけです。実際に上記のようなカットがあっても、2時間37分の長尺であることに変わりないですし、長時間飽きさせることなく観客を映画の世界に引き込むための要素は満載の作品でした。冒頭の駅馬車襲撃から始まって、ファンとジョンがコンビを組むまで、メサ・ヴェルデ国立銀行を襲って政治犯を釈放させてしまうアクションシーン、先述した橋の爆破、機関車を走らせて政府軍の支援部隊を木っ端みじんにしてしまう特撮場面などなど、見どころがたくさんあって楽しめましたよね。

そして本作の一番の魅力はジェームズ・コバーンの存在感で決まりでしょう。ロッド・スタイガーもいいんですが、イーライ・ウォラックのほうが適役だったかなとも思えてしまうような、言って見ればステレオタイプな演技でしたが、ジェームズ・コバーンのジョン・マローンは、他の俳優では成立しなかったと思われます。『荒野の七人』のナイフ使いのようなクールな達人っぽい感じではなく、義を重んじた人間力を感じさせる厚みがあって、帽子や衣裳などのルックスデザインもあいまって非常に印象に残る登場人物を造形していました。ジェームズ・コバーンは『大脱走』や『シャレード』の脇役でも光る俳優ですが、「電撃フリントシリーズ」と本作は、ジェームズ・コバーン主演作としては代表的作品と言えると思います。

最後に加えるべきことがあるとするなら、エンニオ・モリコーネの音楽でしょう。アイルランド時代のソフトフォーカスな回想シーンに流れるテーマ曲は「ファンファン」というコーラスが実に郷愁をさそうノスタルジックムードを醸し出していました。砂漠の埃っぽい映像とは正反対の田園的かつ牧歌的なテーマ音楽であることが、本作に別種の雰囲気を与えていました。

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