スタンリー・ドーネン監督が『シャレード』風サスペンスに再挑戦した作品です
こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、スタンリー・ドーネン監督の『アラベスク』です。スタンリー・ドーネンがケーリー・グラントとオードリー・ヘプバーン主演で撮った『シャレード』の再現を狙ったのがこの『アラベスク』で、実際に主人公ポロック教授には当初ケーリー・グラントを当てる予定だったのがグラントが引退してしまったためにグレゴリー・ペックに変更になったのだとか。しかしながら、象形文字で書かれた暗号文書を巡って言語学者と謎の女性によって繰り広げる物語は、カラフルな色彩の映像にあふれた冒険譚になっていて、見ていて退屈しない娯楽作品に仕上がっています。
【ご覧になる前に】ソフィア・ローレンの衣裳はすべてC・ディオールです
ラギーブ教授がなじみの眼科を訪れると主治医は不在で見知らぬ男がいきなり治療を始めました。目に毒を注入されたラギーブ教授が昏倒するとその男は教授のメガネの弦に仕込まれた小さな文書を盗み取ります。オックスフォード大学で古代言語学を教えるポロック教授は象形文字の翻訳を依頼されますが、ジョギングの用事があると断ってしまいます。ジョギング中のポロックを車の中に無理やり引きずり込んだのは中東産油国のイエナ首相。首相はポロックに翻訳を引き受けて依頼主である海運王ベシュラビの身辺を調査してほしいと頼みます。ポロックはベシュラビが滞在する屋敷に招かれますが、そこに現れたのは黒いドレスに身を包んだヤスミンと名乗る女性でした…。
ヒッチコック・タッチをうまくアレンジした『シャレード』はサスペンス・コメディの大傑作でして、興行的にも1963年のヒット作ベストテンに入り大成功しました。ユニバーサル映画としては二匹目のドジョウを狙って似たようなサスペンス映画を作ろうとしたのでしょう。ゴードン・コットラーの「暗号」という原作をジュリアン・ミッチェル、スタンリー・プライス、ピエール・マートンの三人が脚色して、『シャレード』とは逆に主人公の男性が謎の女性によって事件に巻き込まれるシナリオが作られました。ミッチェルとプライスは脚本家としての実績はほとんどなく本作の後にはTVドラマで活躍するライターですが、ピエール・マートンは実はピーター・ストーンの変名で、『シャレード』の脚本を書いた人物。なので共同名義にはなっていますが、たぶんピーター・ストーンがメインで脚色を担当したのではないかと推測されます。
『シャレード』との共通点はまだありまして、音楽はヘンリー・マンシーニですし、タイトルデザインもモーリス・ビンダーで同じスタッフが起用されています。違っているのは衣裳デザイナーで、『シャレード』ではオードリー・ヘプバーンの衣裳はジヴァンシーがデザインしたものでしたが、本作ではソフィア・ローレンの衣裳デザインをクリスチャン・ディオールが担当しています。とはいってもクリスチャン・ディオール本人は1957年に亡くなっていますので、あくまでメゾンとしてのディオールが本作の衣裳デザインを請け負った形になっており、この当時のディオールの主任デザイナーはイヴ・サンローランの後を継いだマルク・ボアンでした。1960年代のディオールはスリムルックやサファリルックなどファッション業界のトレンドを創り出す先端的ブランドでしたので、本作でもソフィア・ローレンの衣裳デザインは特にカラフルな色調が特徴的で、カラー映画としての本作の見どころのひとつになっています。
主演のグレゴリー・ペックはケーリー・グラントと同様に飄然とした演技が魅力的であると同時に、教授らしいインテリジェンスが感じられて好感がもてます。グレゴリー・ペックが注目されたのは1947年の『紳士協定』あたりからで1953年の『ローマの休日』で大ヒットを飛ばし、1962年の『アラバマ物語』では念願のアカデミー賞主演男優賞を受賞しました。そこで演じたフィンチ弁護士のイメージが強かったのですが、1970年代後半になると『オーメン』などB級ホラー映画にも出演するようになり、晩年になって役柄を広げていきました。一方のソフィア・ローレンはイタリアを代表する女優で、1960年のイタリア映画『ふたりの女』でアカデミー賞主演女優賞を獲得してから国際的女優としてアメリカとヨーロッパで活躍しました。本作撮影時にグレゴリー・ペックは五十歳、ソフィア・ローレンは三十一歳ですからかなり歳が離れているものの、ソフィア・ローレンの女性としての成熟度が高く、あまり不釣り合いに見えないのが不思議なところです。
【ご覧になった後で】キャメラの効果と場面転換のバラエティが売りでした
いかがでしたか?『シャレード』のようなソフィスティケートされたロマンチックスリラーの雰囲気にはとても及びませんし、脚本が結構メチャクチャなのでストーリーに引き込まれることはないのですが、変幻自在なキャメラの工夫と場面設定がいろいろと転換するバリエーションの豊かさに見とれているうちに映画が終わってしまいました。なんでも監督のスタンリー・ドーネンは脚本の出来栄えに不満を持っていて、でもグレゴリー・ペックとソフィア・ローレンの拘束スケジュールが決まっていて、撮影を進めなければならず、仕方ないので映像テクニックに凝る作り方に切り替えたんだそうです。脚本の主導権を握っていたはずのピーター・ストーンがわざわざピエール・マートンという変名を使ったのも、ピーター・ストーン自身としてもシナリオがうまく書けずに本名を出すのをためらったせいかもしれません。
そんなわけで象形文字の暗号文書も結果的には首相暗殺の日付が隠されていただけで、なんでわざわざそんなものをマイクロチップ化しなければならなかったのか訳がわかりませんし、ソフィア・ローレンがスパイである必要もなかったように思います。それでも、しようもない話だなと思いつつ、途中でこれはひょっとしてスタンリー・ドーネンが撮ってみたい場面を全部この映画で実現してやろうとしただけの映画なんではないかと気がつくわけなんですよね。夜の動物園で追っかけっこをやらせたいとか、水族館の水槽を銃弾でぶち抜いて水があふれ出る絵を撮りたいとか、アスコット競馬場でゴール直前の競走馬の前を横切らせたいとか、エスカレーターの上りと下りで主人公に会話させたいとか、馬で逃げれば道路じゃないところにも行けるから追跡されにくいとか、橋に追い詰められた主人公がヘリコプターのプロペラを破壊するのをクライマックスにしたいとか。そんなふうにしてスタンリー・ドーネンが撮りたかった場面を一気に並べてみましたというのがこの『アラベスク』で、「アラビア風の文字や蔓草を図案化した装飾模様」という本来の「アラベスク」の意味の通り、いろんな映画的演出場面をひとつの映画に模様のように押し込めたようとしたのが本作の本当の製作動機なのかもしれません。
そして凝った映像テクニックは、シャンデリア越しや水族館の覗きガラス越しの映像を多用したり、車のバックミラーやテレビのブラウン管の画面や部屋の鏡に映った虚像をアップにしたり、グレゴリー・ペックが高速道路で闘牛士の真似をする場面のような偏光レンズを使ったりと、特に意味はないのですが、観客の注意を物語から映像にそらすような効果がありました。キャメラマンのクリストファー・チャリスは、パウエル&プレスバーガーの『赤い靴』ではジャック・カーディフの撮影助手でしたが、『ホフマン物語』で撮影監督に昇格してからは『素晴らしきヒコーキ野郎』など多くの作品でキャメラを担当しています。チャリスはイギリス人のキャメラマンで、本作はアメリカ映画なのですが舞台がロンドンということでロンドンのパインウッドスタジオで撮影されましたので、地元のキャメラマンであるチャリスが起用されたんでしょう。特にアスコット競馬場やクライマックスの麦畑の場面などの緑の色調は、イギリスならではの色合いで非常に印象的でした。
色といえば、ソフィア・ローレンによるディオールファッションのカラフルさも見事でしたね。黒一色のシースルードレスで登場してからは、競馬場では白い大きな帽子と白のドレス、車で逃げる場面では緑のAラインワンピース、空港の場面では蛍光素材の真っ赤なコート、そしてそのコートを脱ぐと茶色のミニワンピになって、馬に乗るときはグレゴリー・ペックが脇にスリットを入れるという具合です。ファッションが場面ごとに次々に変わっていくので、見ているとストーリーの訳わからなさが気にならなくなってくるのでした。
まあそんなわけで無理矢理褒めてはみたものの、映画としての面白さはやっぱり落第点をつけざるを得ませんでした。モーリス・ビンダーのタイトルデザインも『シャレード』ほどの洗練さはありませんし、ヘンリー・マンシーニの曲も映画が終わってしまうともう思い出せません。それでも1960年代のアメリカ映画って、ニューシネマに行く前までは逆に何も考えていない空っぽなところが結構魅力的であったりするんですよね。007シリーズに影響されたスパイものなんかもそうですけど、ベトナム戦争に突入していく暗い世相の前の最後の明朗さみたいな感覚が本作にも伺えて、しかもほとんどイギリスで撮影されているのでヨーロッパ的なしっとりした雰囲気も感じられるんですよ。面白くはないけれど、機会があれば繰り返して見たくなる、そんなお気楽な娯楽作品だといえるでしょう。(V070422)
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