大学野球の人気選手を巡るプロ野球スカウトの争奪戦を描いた球界裏話です
こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、小林正樹監督の『あなた買います』です。昭和31年当時のプロ野球界はまだ新人選手を自由競争で入団させていた時代でして、人気選手のスカウト合戦を描いた小野稔の小説を松竹が映画化したのがこの作品です。各球団のスカウトたちと人気選手の恩師を名乗る男と人気選手の家族たちが、どの球団に入団するかを巡って騙し騙されの争奪戦を繰り広げるプロ野球界の裏話的ストーリーが見どころになっていまして、昭和31年度キネマ旬報ベストテンでは第9位に選出されました。
【ご覧になる前に】プロ野球でのドラフト制度導入は本作の9年後のことです
鉄道の駅を降りた男は売店でスポーツ新聞を束にして買うと町の人に野球のアマチュア選手について聞いて回ります。行方を突き止めた漁村でその選手が手に致命傷を負ったと聞いた男は会わずに引き返していきます。男はプロ野球東洋フラワーズのスカウト岸本で新人発掘がうまくいかなかったことを専務に報告しますが、専務は大学野球のスター選手栗田の獲得を岸本に指示しました。栗田は大学入学を支援してもらい打撃術を指導された球気という男に自分の将来を一任しているということで、岸本は球気が勤める会社を訪れますが、会社社長は球気のところへはすでにいくつかの球団のスカウトが接近していると告げるのでした…。
原作「あなた買います」を書いた小野稔は新聞記者をつとめた後にプロ野球の毎日オリオンズのスカウトをしていた経験がありました。「驚くべき野球界のカラクリをえぐって痛烈!」といううたい文句の本が話題になり、本が出版された同じ年に松竹が映画化することになりました。脚色の松山善三はご存知の通り高峰秀子の旦那であり木下恵介の弟子で、昭和36年に『名もなく貧しく美しく』で監督デビューする前の松竹専属脚本家時代の作品となります。
小野稔は実際の野球選手を題材に小説を執筆したといわれていて、そのモデルとなったのは東都大学野球リーグで活躍していた中央大学の穴吹義雄で、スカウト合戦の末に昭和30年に南海ホークスに入団しました。高松高校出身の穴吹義雄はリーグで2季連続首位打者を獲得する強打者で、大阪、毎日、中日、西鉄の各球団が穴吹家の家族に札束攻勢をかけることになりました。結果的に入団した南海は穴吹にとっては当初から意中の球団だったそうですが、大金をもらって入団したということがプレッシャーになって現役時代にはそこそこ活躍しただけで大成しませんでした。しかし現役引退後は南海で監督をやりダイエーで編成部長をつとめていますので、進学校の高松高校出身だけあってスタッフとして実力を発揮したようです。
プロ野球にドラフト制度が導入されたのは本作公開の9年後の昭和40年のことでした。それまではすべて自由競争でしたので、長嶋も王も希望する巨人に入団して巨人軍の9連覇が始まることになります。ドラフト制度では「巨人かヤクルト以外の球団には絶対に行かない」と宣言していた荒川堯選手を大洋ホエールズが指名したことで入団拒否した荒川選手が暴漢に襲われて選手生命を絶たれることになったり、巨人を志望していた作新学院の怪物投手江川卓がクラウンライターに指名されて一年浪人の末阪神に指名され「空白の一日」を使って阪神から巨人にトレード入団したりという事件が続きました。しかしそれもこれも巨人が圧倒的に強かった時代の事件で、ドラフト制度によって各球団の戦力が均衡化してきたことと重複指名時の抽選など制度改正が進んだことで、現在ではプロ野球でプレーしたいという選手にとってドラフト制度はすっかり定着した仕組みになっています。
監督の小林正樹は田中絹代の甥という縁戚関係を隠して松竹に入社し、昭和27年にシスターピクチャーの『息子の青春』で監督デビューしました。昭和34年から三年間かけて文芸プロダクションにんじんくらぶで『人間の條件』を完成させていますので、本作のあとで松竹を退社してフリーになっていたのかもしれません。撮影は小津安二郎監督作品の常連キャメラマンだった厚田雄春で、本作は『東京暮色』の直前の撮影作品にあたります。川又昂の名前もクレジットされており、まだ厚田雄春のもとで撮影助手をしていた時期でした。音楽の木下忠司はこのときには松竹だけでなく東映の映画なんかでも楽曲を提供していますけど、昭和31年に音楽を担当した作品数はなんと27本に及んでいて、とにかく次から次へと作曲の依頼が来た時期だったようです。
【ご覧になった後で】スカウトを手玉にとったのは実は…というオチでしたね
いかがでしたか?伊藤雄之助演じる球気(九鬼と書くのかと思いました)が各球団のスカウトを手玉にとって契約金を釣り上げるとともに自分を高く買ってくれるよう仕向ける話だったはずなのに、ラストは大木実演じる栗田選手本人が球気を利用して一番得をするというオチだったのが、非常にひねりが効いていましたね。これは原作そのもののストーリーラインをもってきているのかもしれませんが、そこに持っていくまでの見せ方がうまくて、ベースとしては松山善三のシナリオ術が大きく貢献していました。
また小林正樹の演出も手堅くて、まずスカウトがきちんと人知れぬ実力選手を発掘する地味な仕事であるところをしっかり見せておいてから、人気選手を巡る札束合戦へもっていく展開をフィックスの画面で端正に作り上げていました。本作でキャメラがはじめて動くのは中盤あたりの佐田啓二演じる岸本が球気と会食する座敷の場面で、襖の影に隠れた球気がキャメラの横移動とともに画面に映るというショットでした。つまり本心の知れぬ球気に岸本が一歩近づく重要な展開をここではじめて移動ショットを使うことで表現していたんですね。このように中盤までは息詰まるような緊張した映像が継続していて、なかなか見ごたえがありました。
けれども脚本的にも演出的にも終盤はやや破綻気味で、まず伊藤雄之助がどの段階で佐田啓二の東洋フラワーズに決めたのかがわかりにくかったですね。十朱久雄と多々良純の阪電リリーズと山茶花究がいる大阪ソックスの両チームに密会する場面が栗田選手の実家から帰る途中で出てきましたので、その時点ではまだ三者を秤にかけていたわけです。そのあとのどこかで佐田啓二に心を動かされたということをシーンなりショットなりセリフなりで表現してくれないと、三股かけていた伊藤雄之助が東洋フラワーズに傾いたことが伝わりません。それが不十分なために最期の臨終間際で伊藤雄之助が大木実に「東洋フラワーズに行くと言ってくれ」と懇願する肝心なセリフの効き目が弱まってしまいましたね。
その重要な場面を小林正樹は部屋の中の全員をひとつの構図に収めた長回しでとらえていますけど、大木実がはじめて「大阪ソックスに行きます」と心の内を明かす重要なセリフもその長回しショットの途中で淡々と語られるだけです。その前後では佐田啓二と岸恵子のやりとりで二人のクローズアップを出しているくらいですから、決断のセリフを言う大木実をこそクローズアップで映すべきではなかったでしょうか。ここでの大木実の心境が観客にはよく理解できないので、大阪ソックスと契約する際の「兄さん、ハンコ」と兄の四郎にぞんざいな態度で指示したり球気のところへ行ってほしいと頼む佐田啓二を無視したりする大木実が根っからの悪人に見えてしまうのです。ラストショットなんかも結局は周囲の人たちを泳がせて自分だけがいい思いをしてほくそえんでいるようにしか見えません。純粋な野球少年がいつのまに豹変してしまったのか、そのプロセスが描けていなかったのは残念でした。
そんな欠点を感じながらも俳優たちの百戦錬磨の演技合戦は本当に面白く見ることができました。上記で紹介した俳優さん以外でも、長男役の三井弘次の強欲ぶりや二男花沢徳衛と三男磯野秋雄(『隣の八重ちゃん』の野球が得意な弟役)の田舎者ぶりと四男織本順吉のリアリストぶりはそれぞれ対照的でしたし、水戸光子は本来得意でない妾役を小気味よく演じていました。ちょっとしか出番がない須賀不二夫もフラワーズの監督役が似合っていましたね。
ちなみに昭和31年のプロ野球の状況を見ると、セントラル・リーグは現在と同じ6球団ですが、パシフィック・リーグは8球団が参加するイレギュラーな年度でした。順位でいうと西鉄・南海・阪急・毎日・近鉄・東映・大映・高橋となっていまして、阪急は東宝の親会社のようなものでしたから東映・大映と合わせるとメジャー映画会社6社のうち半分がプロ球団を保有していたことになります。本作を製作した松竹も昭和25年から三年間松竹ロビンスを持っていて、なんと創設1年目に2リーグ制になったばかりのセ・リーグで初代王者になりましたが、昭和28年に大洋と対等合併したのち昭和29年末にプロ野球から撤退しています。
その背景を考えると、有望な新人選手を獲得するためには現金を積み接待戦術を繰り広げるプロ野球界のダークな面を詳らかにした本作は、球団をもっていた阪急(東宝)と東映と大映には決して作れなかった題材だったことでしょう。日活は映画製作を再開したばかりでしたし、新東宝には人気小説の映画化権を手に入れるような力はありませんでしたから、本作はプロ野球を手放したばかりの松竹だからこそ実現できた企画だったのかもしれませんね。(U040823)
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