大統領を辞任に追い込んだウォーターゲート事件を描いた政治ドラマです
こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、アラン・J・パクラ監督の『大統領の陰謀』です。1972年6月に起きたウォーターゲート事件は最終的にはニクソン大統領が関与していたことが明らかになって、米国史上初めて現任の大統領が辞職するという事態に発展しました。そのウォーターゲート事件の真相を暴いたのがワシントン・ポスト紙の二人の新聞記者。カール・バーンスタインとボブ・ウッドワードは取材の経緯を手記にして発表し、その原作の権利を45万ドルで買い取ったロバート・レッドフォードがワーナーブラザーズに持ち込んで映画化したのが本作です。政治ドラマではあるものの一大スキャンダルの映画化だったためアメリカでは年間第四位の興行成績をあげていまして、1976年度アカデミー賞8部門にノミネートされ、結果的に4部門でオスカーを獲得しました。
【ご覧になる前に】レッドフォードとダスティン・ホフマンが新聞記者を熱演します
ワシントンのウォーターゲートビルの警備員は駐車場の出入口ドアに施錠防止の細工がしてあることに気づき、警察を呼びます。駆け付けた警察官が捕らえたのは、民主党本部に盗聴器を仕掛けるために忍び込んでいた5人の男たちで、中にはCIAの元警備官も含まれていました。取材を命じられたワシントン・ポスト紙のウッドワードは裁判所の予審に共和党の弁護士が立ち会っていることを不審に感じ、5人が所持していたメモ類からホワイトハウスが事件に関係しているのではないかと推測します。ウッドワードは、取材原稿を勝手に推敲するバーンスタインと手を組んで事件の真相を探り始めますが、取材相手は一様に口を閉ざして事件との関与を否定するばかりでした…。
ウォーターゲート事件は、現職大統領が再選を果たすために民主党の対立候補に対して妨害行為を行っていた陰謀のほんの一端に過ぎませんでしたが、再選委員会に流れる不正な資金が様々な妨害工作に使われ、しかもCIAやFBI、司法省までもがその隠匿に手を貸していたことが明らかになると、アメリカ憲政史上最大のスキャンダルへと発展していきました。第37代大統領リチャートド・ニクソンは、中国との国交樹立の基礎づくりをしたり、環境対策や麻薬撲滅に力を入れたりと数々の政治的成果をあげたこともあり、1972年11月の大統領選挙で圧勝して二期目に入ったばかり。当初は単なる不法侵入事件に過ぎなかったものの、再選に向けた不正資金や妨害行為の実態が明らかになることを恐れたニクソンが、早い段階から捜査に介入してもみ消しを図った事実が発覚して、大統領弾劾裁判が不可避となったことから、ついに大統領を辞任せざるを得なくなったのでした。
ワシントン・ポスト紙は、ニューヨーク・タイムズ、ロサンゼルス・タイムズ、ウォールストリート・ジャーナルなどと並んでアメリカを代表する日刊紙で、特にホワイトハウスや連邦議会などの政治報道に強みがあるといわれていました。ウォーターゲート事件当時のワシントン・ポスト紙の発行者はキャサリン・グラハムで、当時のアメリカで女性がトップを務めるメディアは他にありませんでしたし、マッカーシズムという言葉を使用したのもワシントン・ポスト紙が初めてだったんだそうです。グラハムはジョン・F・ケネディと親密な関係にあったといわれていて、1970年代にはワシントン・ポスト紙は「ポトマック川のプラウダ」と陰でささやかれるほど左翼的な言説が主流を占めていたようです。
ウォーターゲート事件を追及したことで大統領が辞任に追い込まれたわけですので、報道としてあるべき道を貫いたことに間違いはないのですが、それを大衆的な影響力をもったハリウッド映画で映画化するにはある程度の勇気と覚悟が必要だったと思われます。その意味で原作の映画化権を獲得して、脚本や監督、共演者を自らアサインしたレッドフォードは、映画俳優の枠を超えて一大プロジェクトのマネジメントを成し遂げたわけで、当時としてはハリウッドで最も興行的価値がある俳優としてのステータスを見事に活用したといえるのではないでしょうか。実際にワーナーブラザーズはレッドフォードがウッドワード役で出演することを条件に出資を承諾したんだそうです。
脚色を担当したウィリアム・ゴールドマンは『明日に向って撃て!』『ホット・ロック』『華麗なるヒコーキ野郎』と立て続けにレッドフォード主演作の脚本を担当していましたので、レッドフォードからみれば最も信頼できるシナリオライターでした。ゴールドマンは本作でアカデミー賞脚色賞を受賞しています。また、キャメラマンのゴードン・ウィリスはあの『ゴッドファーザー』の撮影を担当した人。本作撮影時はまだ四十五歳で、翌年『アニー・ホール』で組んだウディ・アレンとのコンビはその後も長く続くことになります。
レッドフォードの共演相手はダスティン・ホフマンで、映画のクレジットではダスティン・ホフマンがトップに出てくるほどレッドフォードもホフマンには敬意を表して順番を配慮したようです。ダスティン・ホフマンは熱心な民主党員らしいですし、レッドフォードも早くから環境問題やダイバーシティに関心を示すリベラル派でしたので、ワシントン・ポストの新聞記者役に挑戦するのも本人たちにとっては当たり前のことだったかもしれません。
【ご覧になった後で】地味な取材活動がアラン・J・パクラの演出で引き立ちます
いかがでしたか?実はこの映画を日本公開時に映画館に見に行ったのですが、当時は字幕が現在のように画面下ではなく画面右に縦書きで出る形式になっていまして、本作は多くの場面がワシントン・ポスト社の蛍光灯が輝くオフィス内で進行することもあり、なんと字幕が画面上の蛍光灯にかぶってよく読み取れなかったのでした。なのでただでさえ誰が誰の指示で誰に関わっていたかみたいな難しい相関図を把握するのが難しいところにもってきて、字幕が白く滲んでしまってよく見えず、もともと理解力が低かったこともあってほとんど映画の内容が理解できませんでした。五十年ぶりくらいに見てみると、ぼんやりとした事件の輪郭が取材を進めるに従って徐々にはっきりしてきて、その裏取りに走り回るみたいな構造がなかなかスリリングにできていたんだなーと感心してしまいました。
それでも物語はすべてビジュアルではなくセリフ中心に進んでいきます。なにしろ新聞記者の取材がアナログ一辺倒の時代です。現在であればインターネットでちょちょいと検索すればパソコンやスマホの画面に映し出されるようなものでも、本作では電話帳で調べた相手に対して電話や対面での会話で取材するしかありません。すなわちそれは映像だけで伝えることはできず、セリフで聞かせるしかないものなんですね。なので下手な監督がやると超つまらないセリフ劇になってしまうのですが、本作のアラン・J・パクラはひと味違いました。映像での盛り上げ方が巧く、映像によって観客をセリフの中身に引き込んでいくんですよね。
例えばレッドフォードが最初にダルバーグという人物に電話取材をする場面。ここはワンシーンワンショットの長回しで、6分半くらいあるそうですが、気づかないくらいゆっくりとキャメラがレッドフォードに向ってズームインしていきます。最初はオフィスの一角にいたように見えたレッドフォードがいつのまにか画面全体を占めるほどまで、キャメラがレッドフォードのみを捉えるので、観客はダルバーグとの会話に否が応でも集中させられてしまいます。しかもレッドフォードは途中でダルバーグの上司に電話をかけ、その話中にダルバーグから折り返し電話がかかってくるという、忙しい仕事ではよくある(というかかつてはよくあった)光景になって、しかもレッドフォードがダルバーグの名前を間違ったりするんですよね。実にリアルな演技で、余計にダルバーグの証言が印象に刻み込まれる効果がありました。ちなみに名前の言い間違えは撮影時にハプニングだったそうで、あまりに自然な間違いだったのでそのテイクが採用されたらしいです。
さらにはキャメラの移動。ワシントン・ポストのオフィスは本物そっくりにビルのワンフロアを再現したスタジオ撮影なんだそうですが、それを活用して広いオフィスの中をキャメラがダイナミックに移動して「ウッドスタイン」コンビをとらえます。ブラッドリーに呼ばれて個室に急ぐ二人を横から撮ったり、手前からトラックバックで撮ったりして、取材一辺倒で地味になりがちな映画に躍動感をもたらしていました。またディープスロートとの密会のあと、レッドフォードが夜道を歩くところを後ろ姿を狭い画面にして移動で追いかけて、いかにも周りから襲われそうな雰囲気を出すところも巧かったですね。
あとはリズムの出し方でしょうか。そのためにアラン・J・パクラは省略法を多用していて、わかりきった展開のところは描写を大胆にすっ飛ばして、普通の観客ならそんな経緯はすぐわかってくれるだろうという感じで話を停滞させないようにキビキビと次の展開につないでいきます。それが映画に一定のリズムをもたらしていました。再選委員会の名簿を手に入れてしらみつぶしに取材していくところなんかがそのいい例でしょうか。そんな中で部屋に入って話が聞けそうだと思ったら人違いだったなんて、息抜きエピソードも入れたりしていました。
こういうリズムの中にやや長めの休符的ショットを入れて、雲をつかむような取材の困難さを表現していたところも印象的でした。図書館を天井からの俯瞰でとらえて、徐々にロングショットへとオーバーラップするところや、夕方の街の一角からキャメラがずーっと引いていってワシントンの街全体をとらえる空撮ショットとか。このようなテクニックを駆使して、新聞記者の取材活動をセリフだけに終わらせずに映像で見せようとしたところが本作の最大の特徴だったのではないでしょうか。
いうまでもなく俳優の演技は誰もがリアリティがあって、その演技がうまく相互に作用しているような感じでした。レッドフォードとダスティン・ホフマンは自分だけでなく相手のセリフもすべて頭に入れて、いつでも相手の演技に対応できる準備をしていたといいます。またブラッドリーを演じたジェイソン・ロバーズも大物政治家を犯罪者にするかしないかのギリギリの判断を下さなければならない編集主幹としての責任の重さと、翻って決断力の鮮やかさの両面をうまく出していました。レッドフォードもホフマンもロバーズも実際にワシントン・ポストのオフィスで記者たちに交じって会議やミーティングに出たりして現場の空気感を体感してから撮影に臨んだそうです。
蛇足ですがウッドスタインの上司である国内担当デスクはジャック・ウォーデン、編集長はマーティン・バルサムが演じてます。この二人はあの『十二人の怒れる男』で共演していまして、マーティン・バルサムは陪審員チームを仕切る立場の「一番」をやっていて、ジャック・ウォーデンは早く野球のナイトゲームに行きたくて仕方ない「七番」をやった俳優です。久しぶりの共演だったのに力関係が似ていたのが笑えるポイントでした。
映画はニクソン大統領の二期目の就任式が最後に映し出されて、その後の経緯はタイプライターの文字で簡単に伝える処理がされています。原作でいうと後半は省略された形になっているそうで、バーンスタイン本人はそれが不満だったようですね。でもTVから聞こえてくる就任を祝う空砲の音が、ウッドスタインの二人がタイプライターを打つガチャガチャというタイピング音によって逆に抑えられていく音響演出が冴えていて、本当にすばらしいエンディングでした。「ペンは剣よりも強し」を映像化した最高の場面だったんではないでしょうか。
しかしですね、電話帳で調べて電話して相手に会いに行ってメモして話し合ってタイプして、みたいな地味な新聞記者の取材活動は現在ではほとんど失われてしまいましたよね。インターネット登場後は、SNS上のコメントをちょちょいとすくいあげてコピペすればそれでひとつの記事が出来てしまうようになってしまったので、ウッドスタインのようなジャーナリストは、もう二度と現れることはないでしょうね、残念なことですけども。(V062222)
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