「ブロードウェイミュージカルの父」マイケル・M・コーハンの伝記映画です
こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、マイケル・カーティス監督の『ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディ』です。作詞作曲家・劇作家・ダンサー・振付師・興行師と舞台に関わるあらゆる役割をこなしたジョージ・M・コーハンはブロードウェイでミュージカルのジャンルを確立した人でした。そのコーハンの生涯を描いたのが本作で、ジェームズ・キャグニーはコーハンを演じてアカデミー賞主演男優賞を獲得しています。そのほかにもミュージカル映画音楽賞、録音賞を獲得したこの年から、戦争に全面協力していたハリウッドではオスカー像も石膏で作られるようになり、生涯に一度しか受賞できなかったキャグニーは表面に金箔を塗られただけの像を授与されたのでした。
【ご覧になる前に】ギャングスタ―のキャグニーは実はヴォードヴィル出身
ブロードウェイの劇場で大統領役を演じ終えたジョージ・M・コーハンのもとに大統領から招待状が届きます。ホワイトハウスで黒人執事に案内されて執務室に入ったコーハンは、出迎えた大統領に幼少期の頃の思い出を語り始めます。独立記念日に芝居小屋から自宅に駆け戻ったコーハンの父ジェリーは妻が男の子を産んだのを見て大喜び。息子ジョージは両親とともに幼いときから舞台に立ち、やがて生まれた妹といっしょに家族四人は「ザ・フォー・コーハンズ」という一座を組んでアメリカ各地を旅することになるのですが…。
1878年にアイルランド系の両親のもとに生まれたジョージ・M・コーハンは「ペックの不良少年」で子役として両親と姉の一座に加わると、ダンサー、バイオリニスト、作曲家、劇作家と役割を広げていき、最終的にはブロードウェイミュージカルの基盤を築くエンターテイメントの大立者にのし上がりました。第一次世界大戦時に作った「オーヴァー・ゼア」はアメリカの国民歌となるほどの人気曲で、1930年代までブロードウェイのヒットミュージカルといえば、すべてコーハン作のものだったと言われるくらいにエンターテイメント産業に大きな影響を及ぼしました。
コーハンの伝記映画の製作を企画したのはワーナーブラザースを率いるジャック・L・ワーナーで、ヨーロッパで戦争が始まるとアメリカでもさかんに愛国的な映画が製作されるようになっていました。本作撮影開始後に真珠湾攻撃を受けてアメリカが第二次世界大戦への参戦を決めると本作も戦意高揚映画として位置づけられることになりました。コーハン本人は短期間ながら本作のコンサルタントを務め、映画が完成するとジェームズ・キャグニーについて「なんてすばらしい演技なんだ」と絶賛したそうです。しかしそのときにはコーハンはすでに癌を患っていて、映画が公開されて半年も経たないうちに亡くなってしまいました。
当初ワーナーブラザースはコーハン役にフレッド・アステアを起用しようとしたもののアステアがそのオファーを断ったという逸話が伝えられています。アステアの伝記にはそのようなオファーがあったことは書かれておらず、当時のアステアはRKOでのジンジャー・ロジャースとのコンビを解消して、コロンビアやパラマウントの仕事をしていた時期でしたし、MGMと契約することになったものの引退を決意して一度映画から離れることになりますから、断ったというよりも引く手あまただったために出演の選択肢から外れたということだったのかなあと推測されます。何の根拠もありませんけど。
結果的にコーハン役を射止めたのはジェームズ・キャグニー。1931年に『民衆の敵』で酷薄なギャング役を演じたキャグニーはワーナーブラザースのトップスターとなり、1938年の『汚れた顔の天使』で演技力も認められていた時期でした。本作の企画を聞きつけたキャグニーは自らワーナーブラザースの幹部たちを説得してコーハン役をゲットしたらしいのですが、もともとキャグニーはヴォードヴィル出身でダンサーをやっていた経験もあり、自分のことを「歌と踊りの人間」と信じていたんだそうです。結果的に本作でアカデミー賞主演男優賞を獲得したわけですし、キャグニーにとっての代表作にもなりましたから、自らアピールしてコーハン役を得たことは大正解でしたね。
ハンガリーのアシュケナジム(ドイツ語圏や東欧に定住したユダヤ人)の家に生まれたマイケル・カーティスは、左翼映画人として活動していたものの同じユダヤ人であるジャック・L・ワーナーからの誘いを受けてワーナーブラザースに入った人。本作でノミネートにとどまったアカデミー賞監督賞を翌1943年に『カサブランカ』で獲得することになります。『汚れた顔の天使』も監督していましたから、キャグニーとは気心が知れた関係だったのかもしれません。
太平洋戦争中の戦意高揚映画だったこともあり本作は長い間日本未公開のままで、かつては柳生すみまろ氏による「ミュージカル映画」という本でその存在が語られるのみでした。アメリカでの公開から四十四年後の1986年になって劇場で初公開されてやっと見ることができるようになったのですから、サブスク配信などない時代はこのような映画は本を読んで想像するしかなかったんですよね。ちなみにレナード・マルティン氏の映画評では****の最高点をつけてキャグニーの歌と踊りを賞賛されていました。
【ご覧になった後で】美化され過ぎてドラマ的な面白さが失われていました
いかがでしたか?ジョージ・M・コーハンについては全く知識がなく、「オーヴァーゼア」のメロディだけは聞いたことがあるな程度に過ぎません。たぶんブロードウェイの歴史の中では絶対に欠かせない存在なんでしょうけど、トーキー時代を迎えてミュージカル映画がさかんに製作されるようになった1930年代にはもうコーハンは現役ではなくなっていましたし、コーハンの舞台一覧を見ても映画化されたのはジュディ・ガーランド主演『リトル・ネリー・ケリー』(1940年)程度しか見当たりません。ということで、ハリウッドでよくある音楽家の伝記映画のような親しみやすさを感じることはできませんでした。
それはたぶんあまりに映画の中のコーハン像が美化され過ぎていて、ドラマとして見てもすべて予定調和的な展開に終始しているせいなのかもしれません。気性が荒かった幼少の頃に「ザ・フォー・コーハンズ」が四番目の扱いだと怒ったり、恋人メアリーに自分の曲を勝手に歌わせて興行主から追い出されたりしたのが若気の至りとして描かれるだけで、その後のコーハンはまさに順風満帆の半生を送るだけ。たまたま出会ってコンビを組むことになるハリスとはいろんな利害関係が生じるはずですが、特にイザコザは起きずに終幕近くのコンビ解消も原因の説明なしで友情はそのまま的な曖昧な描写でした。家族もずっと仲良しですし、メアリーとの結婚生活も波風立たず、たった一度の「ポピュラリティ」の舞台の失敗も劇評家の批判を逆手にとった新聞宣伝で鼻を明かします。
こんなに躓きのない展開では、あまりにドラマとして平凡ですし、ワクワクドキドキが全くありません。たぶん製作当時まだ存命中だったコーハン本人のプライドを損ねないように配慮したんでしょうけど、第一次大戦の国民歌を作曲し、大統領から「議会名誉勲章」を授けられる芸能界のレジェンドとして持ち上げるだけでは、映画としての面白みに欠けますよね。なので本作はジェームズ・キャグニーの歌と踊り、いえいえ歌はそんなに上手くないというかセリフを歌っぽく口にしているだけですからダンスだけに注目すべき映画だといえるでしょう。
特徴的なのは足をピンと伸ばしたままの直線的なダンスで、これはコーハンのダンススタイルを真似たものだったようです。それがジェームズ・キャグニーにとってはかえって合っていたのではないかと思われ、というのもオファーがあったかなかったかは別にしてフレッド・アステアがやっていたらコーハンスタイルなど無視してアステアらしいエレガントでクールなダンスが満載された華やかなミュージカルシーンができあがったことでしょう。ジェームズ・キャグニーがいくらヴォードヴィル出身だからといってアステアに対抗できるわけはありませんから、足を硬くしたコーハンスタイルでややアクロバティックに踊ることで、結果的にキャグニーらしいオリジナリティが表現されることになりました。オスカーを獲得できたのはもちろんドラマ部分の演技力もあるでしょうけど、他では見られないダンスの独自性も加味されたに違いありません。
そして本作の白眉はラストに近い階段ショット。大統領との謁見を終えて上機嫌で執務室を出たキャグニーはほとんど足元を見ずにタップを踏みながら階段を下ります。それを階段全体を斜めから捉えたロングショットの長回しワンカットで映しているので、まさに吹き替えなしの一発勝負。ここは演出なしのジェームズ・キャグニーによるアドリブだったらしいですから、一歩踏み間違えれば落下の恐れもあるところをよくぞあそこまで完璧なタップを踏んだものだなと誰もが感心しないではいられないでしょう。本作のベストショットはこの階段ショットに尽きると思います。
コーハンの作った曲も良いと思いますが、本作の中でいちばんミュージカルっぽさが出ていたのは大統領を演じながら歌う「オフ・ザ・レコード」でした。新聞記者などのマスメディアにコメントするときの「オフレコ」を歌にしていて、シニカルでありつつユーモアを感じさせる印象的なミュージカルシーンになっていました。コーハンは確かに1937年に上演された「I’d Rather Be Right」という舞台でフランクリン・D・ルーズベルトをモデルにした大統領役を演じていますが、実はこの「オフ・ザ・レコード」はロレンツ・ハート作詞、リチャード・ロジャーズ作曲によるもので、コーハンの作詞・作曲ではありません。一番印象的な曲がロジャース&ハートのものだったというのはやや拍子抜けしてしまいました。
ちなみにこの「I’d Rather Be Right」というタイトルはそのあとに「than be President」と続く19世紀の政治家ヘンリー・クレイの有名な言葉の引用で「大統領になるより、正しい人間でありたい」という意味のようです。もちろん「Right」は正しさとともに「右寄り(保守的)」の意味を込めているようで、当時第二次大戦を戦っていたフランクリン・D・ルーズベルトが現職の大統領であるにも関わらず、「正しい人間でいたい」と言う皮肉と革新的なニューディール政策を進めていた民主党のルーズベルトが「保守的でいたい」と言う皮肉がふたつかけ合わさっていたみたいです。
忘れていましたけど、父親ジェリーを演じたウォルター・ヒューストンは1948年に息子のジョン・ヒューストンが監督した『黄金』でアカデミー賞助演男優賞を受賞します。あの荒くれ老人役からすると本作での洗練さは違う人にしか見えませんでした。あと「ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディ」は「アメリカの間抜けなおしゃれさん」とイギリス兵がアメリカ兵を田舎ものだと馬鹿にした呼び方なんだそうで、独立戦争でアメリカが勝利するとアメリカ兵がそれを逆手にとって「そんな田舎ものに負けたお前らはどこのどいつだ」とやり返したんだとか。映画にも出てくるメロディは日本では「アルプス一万尺小槍の上でアルペン踊りを踊りましょ」という全く関係ない歌になっていますね。(U020426)

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