東映版「宮本武蔵シリーズ」第四作で武蔵が吉岡一門七十六人と対決します
こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、内田吐夢監督の『宮本武蔵 一乗寺の決斗』です。昭和36年にスタートした東映版「宮本武蔵シリーズ」は年一本のペースを守って昭和39年正月に第四作となる『一乗寺の決斗』を公開します。第二作以降因縁の関係にあった吉岡一門との対決がクライマックスを迎え、武蔵は吉岡の門弟七十六人と対決することに。シリーズ人気は衰えず、昭和38年度配給収入ベストテンの第六位にランキングされました。
【ご覧になる前に】茶人光悦を千田是也、豪商を東野英治郎が演じています
武蔵に片腕を打ち砕かれた吉岡清十郎は弟伝七郎に道場を譲って姿を消した頃、ある寺で尺八を吹く虚無僧は宮本村で武蔵を捕らえ損ねた青木丹左衛門。そこへ佐々木小次郎のもとから逃げてきた朱美がやって来て、又八と再会します。一方で武蔵は野点をしていた茶人本阿弥光悦に誘われて逗留することに。武蔵の居所を探り当てた吉岡伝七郎は果し合いを申し込み、光悦とともに訪れた遊郭扇谷を抜け出した武蔵は吉岡道場の門弟たちの前で伝七郎を一撃に斬り捨てるのでした…。
シリーズ第四作の脚本は、二作目以降コンビを組んでいる鈴木尚之と内田吐夢の二人。吉岡清十郎は初登場したのは第二作の『般若坂の決斗』でしたから、因縁のある吉岡一門と武蔵が第四作でいよいよ雌雄を決することになります。さすがに四作目ともなると、第一作からのストーリーラインをおさらいしたほうが観客に親切だと考えたのかどうか知りませんが、映画の冒頭に前作までのあらすじが語られるのも特徴のひとつになっています。
スタッフもほとんど変わらず、撮影の吉田貞次、録音の渡辺芳丈、美術の鈴木孝俊、編集の宮本信太郎、音楽の小杉太一郎といった面々は前作と全く同じです。第三作が昭和38年8月のお盆に公開されていて、本作は昭和39年正月興行ですから、あまり間を置かずに連続して製作されたのかもしれません。
キャストもおなじみの顔ぶれで、中村錦之助、木村功、入江若葉、浪花千栄子、丘さとみといった主要キャストは変化ありません。そのほかでは第一作で武蔵を捕らえ損ねて呼び出しを受けた青木丹左衛門役で花沢徳衛が再登場し、前作で颯爽と初登場した佐々木小次郎こと高倉健もそれなりの出番があります。吉岡清十郎役の江原真二郎、伝七郎役の平幹二朗、浪人役の谷啓も同じ役でそのまま継続です。
新顔は本阿弥光悦役で出てくる千田是也。劇団俳優座を創設して生涯代表を務めあげた千田是也は約100本の映画出演のキャリアがあり、おそらく映画への出演料は劇団運営経費に回されていたことでしょう。昭和30年代前半までは二ヶ月に一本くらいのペースで東宝、大映、東映、日活と映画会社の枠を超えて出演を重ねていましたが、本作はその頻度がガクンと下がり始めた頃の出演作です。
俳優座創設の同志である東野英治郎が光悦と親しい豪商役で出演していて、東野英治郎は千田是也とは違って映画出演回数が衰えることがありませんでした。同じく創設仲間である東山千栄子が光悦の母親役で出ていますから、本作は俳優座を創設した主要な三人が顔を合わせた貴重な作品でもあります。これで小沢栄太郎が出ていればリーチ一発ピンフドライチの満貫上がりというところでしたね。
【ご覧になった後で】アクションより丁寧に作られたカラー映像が見どころ
いかがでしたか?シリーズ第四作ともなると内田吐夢の映像演出術は円熟味を増してきたようでして、内田吐夢独特の移動ショットがさらにバージョンアップしていました。どこがバージョンアップなのかと言いますと、これまでは移動ショットとフィックスショットの組み合わせでしたが、本作ではそのふたつが融合されていて、フィックスだと思っていたらそこから移動が始まったり、移動ショットの最後が長いフィックスショットになっていたりと、両者がうまく統合されていることでダイナミズムというよりは変幻自在で流麗な映像美が楽しめる仕掛けが施されていました。
例えば、光悦宅に招かれた武蔵が豪商宅を訪問するシーン。木立の中の道を錦之助と千田是也が歩いてくる超ロングショットはフィックスでおさえられていて、その構図がきっちりとハマっているのですが、二人がキャメラに近づくと固定位置からやおら後退し始めてトラックバックショットに変化していきます。このようなフィックスかと思いきや移動だったというショットが全編に散りばめられていて、その多くは登場人物のアクションに沿って設計されています。つまり俳優の演技をぶつ切りにすることなく、その動きにキャメラも呼吸を合わせるかのようにして動いていくわけです。
こうした撮影を実現させるには、事前の入念なキャメラ動線の準備が必要になりますので、どこに三脚を立てるのか、ドリーをどのように動かすのか、あるいはクレーンの上げ下げはどうするのかなど撮影スタッフはてんてこ舞いの現場だったに違いありません。それに加えて録音班はマイクをどこに下げるのかをキャメラの動きに合わせて考えなくてはなりませんし、照明班も一様に人物を照らすのに苦労したことでしょう。第四作までほぼ同じスタッフでこのシリーズを作り上げてきたことで、内田吐夢もフィックスと移動のコンバインショットを自由自在に操る確信が持てたのかもしれません。
その白眉が岩崎加根子演じる吉野太夫が武蔵と二人で会話をする茶室の場面でした。武蔵のバスト上フィックスショットから始まってキャメラがトラックバックしながらパンして吉野太夫の横顔を捉え、さらには円弧を描くように舞い戻ったキャメラは武蔵の横に置いてある琵琶に迫っていきます。この間に吉野太夫が武蔵の張り詰めるだけの余裕のなさを指摘するセリフが続くのですが、この一連の流れが長回しのワンショットに収められているのでした。武蔵と吉野の緊迫感のある会話が緊張感を保ったままのフィックスから移動に遷移する長回しで映し出されていて、まさに本作を代表するシーンを造形していたと思います。
加えて本作ではカラーの表現が洗練されていて、それがストーリーの中にうまくはめ込まれていたので、シークエンスごとの印象がくっきりと観客に残るような効果を出していました。極めつけは一乗寺下り松の決斗シーン。夜明けに始まるという設定だからということもありますが、ここではほとんど青と白のセピアカラーで統一されていて、暗がりの中で武蔵対七十六人の闘いがどう展開されるのかというサスペンスを盛り上げます。小刀で銃や弓矢の討手を倒しながら坂を下って来たり、田んぼの畦道を走りながら追っ手を斬りまくったりするアクションは、正直言って派手ではなく見映えよくもありません。このシークエンスではアクションよりも明らかに未明の暗がりというムードが優先されていて、そこに走り回って田んぼの泥にまみれながら年端の行かない当主を斬り捨てた後は大勢の門弟から逃げていく武蔵の抗う様を浮き立たせていきます。
河原崎長一郎演じる林彦次郎の目をつぶして去っていく武蔵の青暗いロングショットの次ぎがまた見事で、真っ赤なシダの中に浮かぶようにして仰向けに倒れている武蔵が映し出されます。返り血を浴びた武蔵も真っ赤に染まり、周囲のシダの赤さとともに決斗後の無残さを色で表現するすばらしいショットでした。本作をはじめとして東映版「宮本武蔵シリーズ」はフジカラーで撮られていて、それまでイーストマンカラーが主流だった日本映画でも国産のフジカラーで十分に勝負ができることを証明することになったのではないでしょうか。
映像演出のレベルに比べると脚本は大きく見劣りしていまして、相変わらずの「たまたま」や「偶然」が積み重なるストーリー展開はいかにも安易な感じがしてしまいます。導入部からして花沢徳衛の丹左衛門がなぜ虚無僧になったのかが不明ですし、寺の縁の下に又八と赤壁がいるのも変です。そこにいきなり朱美が現れて又八と再会するのは超絶に変ですし、本作ではその後又八・朱美ともに一切姿を現しません。城太郎は原作では最初から丹左衛門の息子という設定で出てくるのかもしれませんが、第四作冒頭のダイジェストで城太郎の出自が初めて明かされる始末。遊郭前での武蔵と吉岡一門をいきなり小次郎が仲裁するのもその理由がわかりません。まあ有名小説であり、観客の誰もが筋書きを知っているという前提なんでしょうけど、あまりに安直過ぎるような気がします。
そして入江若葉の学芸会風演技はほとんど進歩せず、お通というキャラクターと武蔵とのすれ違いロマンスがまったく観客に伝わってきませんでした。吉川英治の原作ではお通の存在が読み手を惹きつけるトリガーのひとつになっていた記憶があり、武蔵とお通を早く結びつかせたいと読者が願うような通俗小説的面白さがあったはずです。しかし入江若葉が下手なせいで、本作で盛り上がるはずの早暁の霧の中での二人の出会いは何の感興も呼び起こしません。武蔵に駆けよるお通のかつぎがふんわりと宙に浮かぶ工夫だけは小道具さんの腕の見せ所になっていましたけども。(U112925)

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