レックス・ハリソン演じる指揮者が愛妻の浮気を疑って妄想するコメディです
こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、プレストン・スタージェス監督の『殺人幻想曲』です。ブロードウェイ出身で都会派コメディを得意としたレックス・ハリソンが著名なオーケストラの指揮者に扮して、公演旅行で不在中に年の離れた若い妻が浮気をしたのではないかと疑い、どうやって復讐しようかと妄想するスリラー喜劇になっています。映画公開当時は全くヒットせず、20世紀フォックスを解雇されたプレストン・スタージェスも忘れられた存在になっていきますが、昭和25年の日本公開時には双葉十三郎先生は「☆☆☆☆」の高得点で本作を評価していまして、やっぱり映画評論家として慧眼の持ち主であったことがわかります。
【ご覧になる前に】プレストン・スタージェスは脚本家出身の監督第一号です
濃霧のために到着が遅れていた飛行機から降り立ったのは世界的な指揮者アルフレッド・デ・カーター卿。母国イギリスでの凱旋公演を今夜に控えたアルフレッドと若き妻ダフネは妹夫婦の目の前で熱い抱擁を交わします。ダフネに新しい服を買ってやると約束したアルフレッドのもとに探偵と名乗る男が現れ、義弟から留守中にダフネの動向を探るよう依頼されたといい報告書を差し出すと、アルフレッドはそのレポートに火をつけて燃やし、ホテルの部屋は火事騒ぎになってしまいました。探偵事務所に抗議に行ったアルフレッドはそこでネグリジェ姿の妻が秘書トニーの部屋に滞在したことを告げられ、妻の浮気を疑い出すのですが…。
イギリス出身のレックス・ハリソンは十八歳のときからロンドンの舞台に立ち、ブロードウェイでも活躍するようになると、映画界にも進出します。1945年のイギリス映画『陽気な幽霊』に主演した翌年には20世紀フォックスの『アンナとシャム王』に起用され、『幽霊と未亡人』と本作で連続してトップビリングされています。都会派コメディを得意としたレックス・ハリソンは四十歳になってもプレイボーイとしても名をはせていて、本作出演時には女優のキャロル・ランディスと不倫関係にありました。しかしハリソンから離婚はできないと告げられたランディスは遺書を残して自殺。ハリソンは自分宛ての遺書があったのを警察に申告せず、このスキャンダルの影響で20世紀フォックスは、完成していた『殺人幻想曲』の公開を半年ほど遅らせるとともに、レックス・ハリソンとの契約を破棄したということです。
クレジットタイトルに大きく「オリジナルストーリーの脚本・監督・製作」として出てくるプレストン・スタージェスは、裕福な家庭に生まれ、母親の友人だったイサドラ・ダンカンの舞台の手伝いを少年時代からしていました。一時期は発明家として活動していましたが、演劇の台本を書き始め、金を稼ぐためにハリウッドに渡ります。1930年代に脚本家としての地位を築いたスタージェスは、自分の作品を自分でコントロールしたいと考え始め、パラマウント映画で脚本を安価で提供する代わりに監督を兼務する約束を取りつけ、第一回監督作品『偉大なるマッキンディ』で成功を収めます。脚本家出身の映画監督はハリウッドではプレストンが第一号と言われていますから、シナリオライターの可能性を開拓した映画人だったと言えるでしょう。
プレストン・スタージェスが得意としていたのが「スクリューボール・コメディ」で、1930年代半ばから1940年代まで流行した男女の恋愛をからめた喜劇映画のジャンルについて、野球用語の「スピンがかかっていてどこに落ちるかわからないボール」からハリウッドでは「スクリューボール・コメディ」と名付けられたのでした。サイレント時代のスラップスティック・コメディが動作で見せる喜劇だとすると、トーキーの普及とともに発展したスクリューボール・コメディはテンポの良い洒落た会話やジョークを次々に繰り出すスピード感が特徴となっていました。
パラマウント映画でセシル・B・デミルと並ぶ監督となったプレストン・スタージェスは、パラマウントを離れた後にハワード・ヒューズと短期間のパートナーシップを組んだあとに、当時としては最高レベルの待遇で20世紀フォックスに迎えられます。そこで手がけたのがこの『殺人幻想曲』で、批評家からは高く評価されたものの興行的には振るわず、20世紀フォックスでの二作目も惨敗したため、解雇されてしまいます。その後はフランスに渡り監督作を残したものの1959年にニューヨークで亡くなり、映画界から忘れられた存在となりました。
【ご覧になった後で】クラシック音楽と融合した妄想シーンが楽しめましたね
いかがでしたか?双葉十三郎先生やレナード・マルティン氏ほどには大絶賛したいと思わなかったのですが、主人公が指揮者だという設定をうまく活かして、クラシック音楽の名曲とともに浮気をした妻への復讐を妄想する三つのシークエンスが楽しめました。ここでかかる音楽は、双葉十三郎先生によると、ロッシーニの「セミラミーデ」、ワグナーの「タンホイザー」、チャイコフスキーの「フランチェスカ・ダ・リミニ」だそうで、特に録音機のトリックを使った「セミラミーデ」のパートでは、レックス・ハリソンがリンダ・ダーネルを剃刀を使って殺すという残忍な描写になっていました。映画全体を見ればもちろん喜劇仕立てなのですが、レックス・ハリソンが妻を信じず探偵の言葉に惑わされる猜疑心の強い偏執狂のように見えてきますし、このような酷薄な殺人場面まで画面に出されると観客としてはさすがにげんなりしてしまいます。面白いんでしょうけどあまり好きにはなれず、興行的に失敗したというのももっともなことだなあと感じました。
おまけにこんなにも猜疑心が強いのに、リンダ・ダーネルが留守中に秘書のトニーの部屋に閉じ込められてしまったと話すだけで、浮気をしたんじゃないかという疑念が吹っ飛んでしまうというエンディングも、ちょっと安易すぎないかなと思います。それなら探偵の言葉を信じ込む前に妻を問い質せば済むわけですから、コメディのために無理矢理の設定だったと言われても仕方ないですよね。脇で出てくる義弟役のルディ・ヴァリーあたりはとぼけた味を出していたので、脚本家出身のプレストン・スタージェスにしてはシナリオの完成度は今ひとつだったのではないでしょうか。
それとは違って映像演出は冴えわたっていて、特に妄想シーンに入るときにオーケストラの指揮をしているレックスハリソンにキャメラがトラックアップしていき、顔のアップに近づき、さらにキャメラがレックス・ハリソンの左目の中に入り込んでいく移動ショットは見事でした。演奏の始まりのタイミングなので、音楽に気を取られている間にキャメラがどんどんとトラックアップするので、ワンショットの中に非常に張りつめた緊張度が込められていました。ちなみにレックス・ハリソンは子供の頃にかかった麻疹のせいで左目の視力をほとんど失っていたそうですから、キャメラが左目と一体化するのはレックス・ハリソンにとっては障害を利用されたような気分だったかもしれません。
この左目に入り込むトラックアップショットは実は本作の中では例外中の例外で、脚本家出身のプレストン・スタージェスはきちんとセリフの応酬を俳優に演じさせたいという気持ちを持っていたようで、視覚的な演出よりも俳優のセリフのテンポやアクションを重視していました。そのため俳優を動きと共にミディアムショットで追いかける長回しの移動ショットを多用していて、その場の演技をカッティングすることなく持続的に見せる演出を徹底していました。その分、俳優たちは舞台と同じようにセリフを覚える必要があったと思われますが、その意味では舞台出身のレックス・ハリソンを主役に起用したのは適役だったんではないでしょうか。
もちろんセリフだけで映画が成立するわけではないので、演奏会終了後にひとりで部屋に戻り、録音機を取り出そうとするシークエンスは、ほぼセリフなしで進みます。家具や電気スタンドを倒したり、椅子に穴を開けたり、窓ガラスを割ったりと、ここではスラップスティック的なアクションが繰り返されて、さすがに双葉十三郎先生もやりすぎだと感想を漏らしています。まあ「シンプルな操作」という取扱説明書を読みながら複雑な録音機に悪戦苦闘するレックス・ハリソンはそれなりに面白かったですけども。
そんなわけで傑作といえるほどの評価はできませんが、リンダ・ダーネルの美しさには思わず目が惹きつけられてしまいましたね。本作出演時に二十四歳ですから美しさの頂点の頃で、二年前のジョン・フォード監督の『荒野の決闘』での娼婦役と翌年のジョセフ・L・マンキーウィッツ監督の『三人の妻への手紙』の裕福な妻役にはさまれた時期にあたります。その中では本作がいちばん上品さを感じさせて瑞々しい感じが伝わってくるので、彼女の代表作としてもいいような気がします。自宅が火事になり四十一歳で亡くなったのは本当に美人薄命そのものの人生でした。(A061724)
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