ドイツから亡命する前にフリッツ・ラングが監督した初のトーキー作品です
こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、フリッツ・ラング監督の『M』です。サイレント時代からドイツで監督として活躍していたフリッツ・ラングにとっての初めてのトーキー作品で、デュッセルドルフで起こった少女連続殺人事件をモチーフにしてラングと妻テア・フォン・ハルボウが脚本を書きました。1931年に公開されたもののナチスドイツが政権を握ると上映が禁止されてしまい、1966年までフィルムは倉庫に眠ったままになっていましたが、フリッツ・ラングの死後にカットされたシーンの修復などが行われ、現在では非常にクリアな映像で見ることができるようになりました。
【ご覧になる前に】喜劇役者だったピーター・ローレの映画初主演作品です
中庭で団地の子供たちが「次はお前の番だ」と歌いながら遊んでいるのを見て、階上の母親は「そんな怖い歌はやめなさい」と注意します。洗濯の手を止めた母親は学校から帰る娘エレリーの昼食の準備をしますが、なかなか帰宅しません。学校を出たエレリーは帽子を被った男に声をかけられ、盲目の風船売りから犬の形をした風船を買ってもらい男に連れられていったのでした。号外が少女連続殺人事件のニュースを知らせ、少女に時間を聞かれただけの男がつるし上げられるなど街中の人々が疑心暗鬼に陥る中、警察が捜査を進めるのですが…。
1890年にオーストリアで生まれたフリッツ・ラングは、第一次大戦の戦傷で右目を失い、左目だけに片眼鏡をつけた隻眼ながらドイツの映画会社ウーファで助監督となり、1919年に映画監督になりました。以後犯罪映画『ドクトル・マブセ』やSF大作『メトリポリス』を発表してドイツを代表する監督としての地位を確立し、この『M』で初めてのトーキー作品を作ることになりました。しかしながら当時の録音機器は非常に高価で、映画の3分の2しか音声付撮影は実現できず、残りの3分の1はサイレント時代と同じ手法で撮影されたそうです。
ナチスドイツが台頭してユダヤ人への迫害が始まると、ユダヤ人の母親をもつラングの立場も危うくなってきます。ナチスドイツ宣伝相ゲッベルスはドイツ映画界でのラングの地位を評価してラングを呼び出し、宣伝省で映画部門を管理するポストに就くようもちかけます。しかしラングはその申し出を断り亡命を決意。その日のうちにフランスに向い、ハリウッドに渡ることになりました。本作で共同して脚本を書いた妻のテア・フォン・ハルボウはナチス党員になったため、離婚して単身での亡命だったようです。
主演のピーター・ローレはスイスやオーストリアなどの舞台で喜劇役者として活躍していて、ドイツのウーファで映画にも出演するようになっていました。たぶんそこでフリッツ・ラングの目にとまったんでしょう、この『M』で主役に抜擢され、一躍注目を浴びるようになりました。しかしユダヤ人だったローレはナチスの動きをいち早く察知し、本作の製作が終わるとロンドンに移って1934年にはヒッチコックの『暗殺者の家』で悪役を演じたことからハリウッドに活躍の場を移していきます。
元のタイトルは「殺人者を街中が探している」(Eine Stadt sucht einen Mörder)だったそうですが、撮影中に「殺人者」の頭文字「M」が効果的に使われたことから、フリッツ・ラングが題名を一文字に変更したんだとか。コスタ・ガヴラス監督の『Z』(1969年)とともに映画史上最も短いタイトルのひとつになったのですが、MGMのプロデューサーのアーヴィング・タルバーグは脚本家や監督たちを集めて本作の上映会を開き、このようなパワーとクオリティを備えた映画を作る必要があると説いたそうです。アメリカの映画評論家レナード・マルティンも最高得点(****)で高評価していますね。
【ご覧になった後で】殺人者を人民裁判で追い詰めるという展開が見事です
いかがでしたか?デジタル技術によって鮮明な映像と音声で復元されていることなど全く知らなくて、初めて本作を見て、とても1931年の映画だとは思えない映像技術が駆使されていることに驚いてしまいました。1931年といえば昭和6年ですから、松竹が日本映画初のトーキー『マダムと女房』(五所平之助監督)を発表した年。日本映画は当時世界的に見ても先進的な映画大国だったはずですが、ドイツでフリッツ・ラングがこの『M』のような映像的にも脚本的にも優れた作品を作っていたことに大いに刺激されたのではないでしょうか。ちなみに日本では昭和7年4月に公開されたという記録がありますので、たぶん小津安二郎が昭和8年に発表した『非常線の女』なんかにも本作は影響を与えたんではないかと勝手に推測します。
特にオリジナリティを感じさせるのは、殺人者ピーター・ローレを追い詰めるのが警察ではなく犯罪者や物乞いなど下層市民たちによる犯罪組織になっている点でした。警察も手をこまねいているわけではなく、過去の犯罪歴や病歴から犯人像をあぶりだし、家宅捜査を進めてピーター・ローレの自宅に張り込むところまでは行くわけです。しかし犯人を警察に委ねる前に犯罪組織は自力でピーター・ローレを捕獲してしまいます。オフィスビルに逃げ込んだローレを捕まえるまでのプロセスは、スリリングでありながらもユーモアを潜ませて描写されていて、ここらへんはフリッツ・ラングの演出力が冴えわたるところでもありますが、そのままピーター・ローレが犯罪組織の人民裁判にかけられる展開には思わず唸ってしまいました。
というのもこの場面で犯罪者と被害者のどちらの人権を重んじるかという普遍的かつ答えの出ないテーマに観客は直面させられるからです。少女を殺された母親たちが死刑にしろと叫ぶのも納得させられますし、自分ではどうすることもできず自分のやったことの記憶もないと弁明するローレの声を無視するわけにもいかないのです。ほとんど引き裂かれたような気分になったところで、警察が踏み込んで正式な裁判が開かれ、「子供たちから目を離さないようにしなくては」という母親のセリフで本作は終幕となり、観客は永遠の課題を突き付けられたようにして映画を見終わることになります。
この人民裁判シーンはピーター・ローレの視点から大勢の下層市民たちが真っ直ぐに自分を見ているロングショットの横パンが非常に印象的でした。この場面では本物の犯罪者たちが起用され、撮影中に出演した者から20名以上の逮捕者が出たという話もありますので、被写体となる人物のリアル感がそのまま画面に定着したという効果もあったんでしょう。さらにはその視線から逃れようとしてもがき、跪きながら自分の病的な衝動を訴えるピーター・ローレの演技はもう凄まじいというか圧巻というか目を離すことができないというか、言葉では表現できないような超絶演技でした。とても映画初主演とは思えませんよね。
淀川長治氏も蓮見重彦と山田宏一との鼎談で「『M』のピーター・ローレは性格は弱いのに怖いよね」という話題で一致していて、「怖い俳優は、上はボリス・カーロフで、下がピーター・ローレ」という名言を残しています。なにしろ初登場場面での「少女連続殺人犯人逮捕に1万マルクの賞金」というポスターに帽子を被ったローレの影が重なるショットの映像的演出効果が抜群で、本作でのピーター・ローレの異常犯罪者としての存在感は飛びぬけていました。ピーター・ローレ自身は本作の出演で異常性格者っぽいイメージがつき過ぎてしまい、後には本作のことを嫌うようになったそうです。
それに反してフリッツ・ラングは『M』を『激怒』と並んで自分自身が好きな映画として挙げていまして、『ドクトル・マブセ』のような犯罪ものや冒険ものには単なるセンセーションしかなく、人物たちの性格も掘り下げられていなかったが、『M』では自分にとってきわめて新しいなにかを試みはじめたからだ、と語っています。フリッツ・ラングは「エモーション」という要素を非常に重要視していて、同時に社会を批評するということが演出家の基本であるとも述べています。その意味でいえば、映像的に大きなエモーションを与え、罪と罰の仕組みについて批評を加える本作はまさにフリッツ・ラング会心の一作だったことでしょう。
ちなみにピーター・ローレが風船を買うときに吹いた口笛が犯人確保の決め手になる展開は、登場人物を表現するために音楽のテーマが使われた最初の例のひとつと言われています。ライトモチーフとして使われたのはグリーグ作曲の「ペール・ギュント組曲第一番」の「山の魔王の宮殿にて」。この曲を聞くたびに観客は白目をひん剝いたピーター・ローレの顔を思い出してしまうことでしょうね。(A060124)
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