千葉泰樹監督が東宝ダイヤモンド・シリーズ第一作として作った中編作品です
こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、千葉泰樹監督の『鬼火』です。同じ題名でもルイ・マル監督の『鬼火』とは全く関係はありませんで、吉屋信子という人が書いた短編小説を菊島隆三が脚色しました。本作は東宝が「ダイヤモンド・シリーズ」と称して製作することになった中編作品の第一作で、上映時間は46分とTVの1時間ドラマと同じくらいの尺で作られています。千葉泰樹は本作の後も『好人物の夫婦』『下町』など5~6巻ものをダイヤモンド・シリーズとして発表することになります。
【ご覧になる前に】加東大介・津島恵子主演で中編ながら俳優陣は豪華です
ガス会社の集金人をしている忠七は料金回収成績をあげるために延滞率の多い下町を担当することになりました。ある家の勝手口に入ると財布が置いたままになっていて、忠七が鍋で隠してあげていると主婦が帰ってきてお礼に煙草を一箱くれました。挨拶に寄った叔父の家の前では下着姿の女が通りかかり、忠七は叔父から早く身を固めろと忠告されます。ある日集金に入った家で忠七は主人と女中の情事を覗いてしまい、主人から会社に訴えるぞと脅かされます。集金仲間に不満を伝えると、逆に集金先での情事を自慢されてしまった忠七は、滞納が続くさびれた一軒家にガス料金の取り立てに入ります。そこにいた長襦袢に細帯だけの女は、病人の煎じ薬を作るためにどうしてもガスを止めないでくれと忠七に訴えるのでしたが…。
原作を書いた吉屋信子は少女小説で早くから活躍して、家庭を舞台にした小説を書く女流作家として戦前から女性読者を獲得していました。「鬼火」で第4回女流文学者賞を受賞した後には「徳川の夫人たち」がヒットしたそうで、マンガの「大奥」にも影響を与えたといわれています。脚色の菊島隆三は黒澤明監督の『野良犬』で脚本家デビューすると映画会社の枠を超えて幅広くシナリオを書いた大御所脚本家のひとりです。吉屋信子の短編の映画化にあたっては菊島隆三の劇作術によってキャラクターに深みが出ているということで、中編ながらというか中編にこそふさわしい脚本になっているのは菊島隆三の腕に因るところが大きいようです。
昭和26年に統合によって東映が再出発を切ると、松竹はシスター・ピクチャーという低予算中編路線を打ち出し、長編と中編をセットにした二本立て興行を開始します。シスター・ピクチャーは新人監督育成の場として活用されると同時に直営以外の映画館において他社の作品を組み合わせた二本立て興行をさせないための戦術でもありました。この二本立て興行に追随したのが後発の東映で、昭和29年から時代劇の本編に東映娯楽版と称する中編をくっつけた興行形式をとるようになります。この東映娯楽版は三部形式の連続ものになっていて、3週連続で見に行くと一本の長編を見たことになり、観客をリピーター化する狙いもあったようです。
この流れを無視できなくなった東宝が昭和31年に始めたのが「東宝ダイヤモンド・シリーズ」で、スタッフ・キャストともに本編と変わらない体制をしいて質の高い中編を製作し二本立て興行の一翼を担わせるようになりました。松竹のシスター・ピクチャーによって大島渚や山田洋次ら新人監督がデビューのきっかけをつかんだのとは違って、東宝のダイヤモンド・シリーズでは千葉泰樹のようなベテラン監督が起用され、俳優陣もスターではないけれども名が通った演技派が揃えられました。そのダイヤモンド・シリーズの第一作がこの『鬼火』だったわけで、その後も文芸ものを中心に製作が続けられましたが、松竹や東映のようなはっきりしたコンセプトがあるわけでもなく、やがては各社とも長編二本立て体制が構築されていったことから、わずか9作のみでその役割を終えました。
本作に登場する俳優は加東大介と津島恵子を主役として、中北千枝子、中村伸郎、堺佐千夫、清川玉枝、宮口精二という豪華な脇役陣が顔を揃え、長編映画と変わらない配役で起用されています。実質的には加東大介が主役を演じていて、この人は決して主役を張るタイプではないのですが、ダイヤモンド・シリーズという活躍の場を与えられたことで翌年から始まる千葉泰樹監督の「大番シリーズ」で主役の座をつかむことになるのでした。
【ご覧になった後で】怪談風スリラーとしても通用する見応えのある中編です
いかがでしたか?オムニバス映画の一篇にしても良いような怪談風スリラー的な装いの見応えのある一本でしたね。これは吉屋信子の原作というよりは菊島隆三の脚色の効果だと思われるのですが、主人公忠七の日常を丁寧に描写することで不幸な境遇の人妻を自死に追いやってしまう因縁物語がきっちりと成立していました。最初のエピソードで財布を盗む気配を見せておいて、下着姿で豆腐を買う女や奥さんの留守中に旦那と関係する女中などを登場させることで忠七の欲情に火をつけさせ、集金時に何度か良い思いをしたという堺佐千夫をトリガーにする語り口が本当に見事で、加東大介が津島恵子に「サービス」を強制するのがなんとも自然な流れに見えてくるのです。さすがは菊島隆三というくらいの手綱さばきでした。
加東大介と津島恵子の二人にとっては津島恵子のあばら家はまさに魔が差す空間として描かれていまして、そこでは千葉泰樹の手堅い演出が光っていました。すなわち残暑の中で集金に回る加東大介を右から左に追う横移動ショットを見せておいて、このあばら家に近づく場面で再度同じ横移動ショットを繰り返す演出が、集金に回るという日常から加東大介を魔界に誘導するような非日常に送り込むかのように見せるのです。この横移動ショットは津島恵子にも使われていて、加東大介の誘惑を退けて家に戻る津島恵子を移動で捉えるのですが、この時点ではすでに津島恵子は死の世界に一歩踏み込んでしまっていて、横移動ショットの不気味さがやがて訪れる夫婦心中という悲劇を予感させます。中編という気安さがこのような映像的チャレンジを可能にさせたとするならば、東宝ダイヤモンド・シリーズはベテラン監督にフレッシュな気持ちで演出させる機会を提供したのかもしれません。
さらに本作で効果をあげているのが音の演出で、まず伊福部昭の音楽がストーリーそのものを語るような旋律で、映画をドラマチックに見せるうえで大きな役割を果たしています。登場人物の心情を伊福部昭の音楽が代弁するかのような音楽的主張があるんですよね。さらに音楽が消えたときの効果音の使い方。津島恵子が延滞を認めてもらう代わりに自らの体を差し出そうとするときのガス台にかかった鍋の煮える音や、津島恵子が過ちを犯しそうになったことを宮口精二に告白する場面での虫の音。その効果音を強調すると同時に、ふいに無音に転ずるのがこれまた実に効果的で、本作は音の使い方の見本のような作品にもなっていました。
加東大介は本作のようなリアリティのある市井の人物を演じさせるとやっぱり存在感十分で、この役はスター俳優には決して演じることができないでしょうし、忠七の造形は脇役が本分の加東大介ならではのものだったと思われます。また津島恵子も、銭湯で忠七が妄想する場面では色艶のある人妻を魅力的に演じている一方で、現実にはまったく色気のないというかほとんど死相さえ感じさせる薄幸な女性を体現していて、その怖さは十分に怪談話になり得るほどでした。加えて堺佐千夫の集金仲間役がなかなか利いていて印象的でしたね。堺佐千夫は三船敏郎と同期で東宝入りした俳優さんで、三船敏郎とは違ってほとんど脇役・端役で大量の東宝映画に出演している人ですが、その三船敏郎が唯一監督した『五十万人の遺産』で準主役を演じています。たぶん三船敏郎が同期生である堺佐千夫を買っていたからこその起用だったのではないかと思われ、そういう点からも堺佐千夫が加東大介をたきつけてしまうことになるのが、本作の見どころのひとつになっていたような気がしますね。(Y113022)
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