お絹と番頭(昭和15年)

田中絹代と上原謙が相思相愛なのに思いを伝えない戦前のラブコメ傑作です

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、野村浩将監督の『お絹と番頭』です。昭和15年12月31日に封切られたという記録が残っていて、映画も冬の場面から始まり大晦日に年越しそばを食べるところで幕となります。監督野村浩将、主演女優田中絹代、主演男優上原謙というのは昭和13年に空前の大ヒットとなった『愛染かつら』のトリオ。その三人が再び集結して作った本作は、互いに好き合っている相思相愛のお嬢様と番頭が、いつもケンカばかりしていてなかなか思いを伝えられないうちに、他家を巻き込んでの結婚騒動に発展するラブコメになっています。戦前の日本でこんな楽しいラブコメ傑作が公開されていたのには驚いてしまいますね。

【ご覧になる前に】裕福な足袋屋と隣のボート屋と向かいの地主が絡みます

冬の寒い朝に寒風摩擦をしているのは足袋の製造販売を行う福屋の面々。主人を上座に店の者が仲良く朝ご飯をいただいた後には、番頭の幸どんを中心に全員で次々に舞い込む大口の注文をこなそうと足袋づくりに精を出しています。そんな忙しい中を福屋のお嬢様お絹は遊びに出かけようとしますが、それを幸どんはたしなめ、お絹は不満顔で父親の着物を繕うはめに。そこへお隣のボート屋の主人が訪ねてきて、お向かいに住む地主から借りている地代が不公平だから均一にしてほしいと談判に来ました。福屋の主人はその話はまた今度と言い残して好きな寄席に出かけていくのでしたが…。

田中絹代は『愛染かつら』に主演して以来、日本で最も有名な人気女優の地位を確立していました。本作はその人気絶頂期ですので、タイトルにも役名にも田中絹代の名前がそのまま使われています。田中絹代は本作出演時に三十一歳。お嬢様を演じるには若干無理がありますが、若いときの可憐さそのままの演技を見せています。で、実は上原謙は田中絹代と同い年で、生まれた年も月も一緒なのです。役柄上は田中絹代のほうが年上にも見えますが、それくらいに上原謙が完璧な美男子だったということでしょうか。上原謙でないと成り立たないようなモテ男の設定をちょっとぶっきらぼうに演じています。

監督の野村浩将(ひろまさ)は松竹蒲田撮影所で監督デビューした人。大船撮影所に移転した後には『愛染かつら』が代表作となりましたが、戦後に松竹を離れて新東宝と大映で作った映画には目立った作品はなく、監督としてのピークも『愛染かつら』だったのかもしれません。脚本の池田忠雄はほぼ松竹一筋に150本以上のシナリオを量産していまして、代表作は小津安二郎と共同で書いた『戸田家の兄妹』『父ありき』『長屋紳士録』あたりでしょうか。木下恵介の『陸軍』も池田忠雄が書いています。そして撮影は斎藤正夫。清水宏監督の『風の中の子供』が有名ですが、清水宏よりも野村浩将とのコンビ作のほうが多いようです。

本作の公開が昭和15年大晦日ということでしたが、昭和16年12月には太平洋戦争が始まりますので一年後には日本は戦争一色になっているわけで、その割にはこんなラブコメが呑気に映画館にかかっていたんだなあと戦争が始まるまでの平和な日常生活が垣間見えるようでもあります。しかしながら、山中貞雄が召集されたのが昭和12年で翌年には中国で戦病死しているのですから、映画界にとっても戦争がまったく他人事であったとは考えにくいです。なので本作は「戦前のこの時期にラブコメなの?」という意外性とともに、当時の映画人たちが精一杯戦争の臭いを消し去って、あえて明るい恋愛喜劇を作り出した現実逃避的な傾向の作品でもあったのかもしれません。

【ご覧になった後で】斎藤達雄や藤野秀夫らの脇役陣が実に魅力的でした

いかがでしたか。製作時の時代背景はきな臭いものがあったはずですが、あえてこの時期にこんな明るいラブコメが作られたことをラッキーと受け止めて、現在でも十分に面白く見られる傑作が残されたことを喜ぶべきなんでしょう。映画は面白くなくちゃいけないんだという当時の松竹大船撮影所の心意気が十分に伝わってくる作品に仕上がっていました。

田中絹代と上原謙の二人は主演ですから美男美女として中軸になっていればいいわけで、こういう喜劇においてはその中軸をいかに脇が盛り上げられるかにかかっているともいえます。その点では本作の脇役陣は実に魅力的な俳優たちが揃っていて、彼らの演技を見ているだけでも十分に楽しめましたね。

斎藤達雄は小津映画でおなじみの西洋風キャラクターで登場して、ボート屋の主人は少し嫌味な感じで出てきますが、結果的には斎藤達雄がいつもと同様にお洒落でトボけた紳士ぶりを発揮してくれます。また福屋の主人役の藤野秀夫はまず顔がいいですよね。いかにも寄席が好きで遊びが好きで、でも趣味の良い遊び人という感じが伝わってきます。要するに斎藤達雄も藤野秀夫も上品なんですナ。こういう上品さを出せる人は戦後には少なくなりますし、笑いそのものが下品な方向へ転換していってしまったので、本作は見ていて不愉快な気分になることは絶対にあり得ないですね。

他には後に三井弘次の名前で黒澤映画の新聞記者役をよくやる三井秀男、ちょっと小太りの隣のおばさん役が似合う岡村文子、『長屋紳士録』で粋な江戸っ子を演じる河村黎吉、『風の中の子供』の長男が成長して中学生になった感じの葉山正雄など、松竹の常連たちが顔を揃えています。

野村浩将の演出は基本的にはフィックスの長回しで、演技を途中で切らないようにひとつのシーンをなるべくひとつのショットの中で見せていくようにしていました。これはたぶん土橋式松竹フォーンによって採録した音声を優先するためだったのではないかと推測するのですが、本作でもほとんど映像と音声はシンクロしていて、斎藤達雄の長セリフは途中でちょっと言いよどむところがそのまま使われたりしていますので、たぶん本番の芝居をキャメラにおさめ、そのとき発声された声をそのまま土橋式松竹フォーンでサウンドトラックに収録しているのだと思います。同時録音なのでキャメラの回転音をマイクで拾わせないためにキャメラ周りを小屋で覆って防音したという逸話もあるくらいですから。そのようにして野村浩将のじっくりと構えた演出が脇役も含めた魅力的な俳優たちの演技の面白みを引き出していると思われます。

藤野秀夫が通う寄席で講談師の語りがかなり長く取り上げられていて、斎藤達雄の姿を見つけた藤野秀夫が逃げるあの場面ですね。二人の動きは基本セリフなしなので、ここでは講談そのものがBGM的に使われて効果を発揮しています。ちなみに語られていたのは、たぶん「曲垣平九郎 出世の石段」ではないかと思われ、愛宕山の男坂の石段を馬で駆け上がって梅の枝を手折ってくるというお話でした。(Y080522)

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