H・G・ウェルズの小説の映画化で、スピルバーグ監督版のもとになっています
こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、バイロン・ハスキン監督の『宇宙戦争』です。原作はジュール・ヴェルヌとともにSFの創始者ともいえるH・G・ウェルズが1898年に発表した小説で、火星人の襲来により地球が滅亡の危機に瀕するディストピアをパラマウント・ピクチャーズが映画化しました。あのスティーヴン・スピルバーグが2005年にリメイクしたときには、この1953年版に登場する触覚風のカメラを再現したかのようなデザインが採用されていました。
【ご覧になる前に】今では「火星人」という設定が古さを感じさせますが…
ある晩カリフォルニア郊外に巨大な隕石が落下しました。住民が見物に集まると、隕石の隙間から宇宙船が現れ、照射された熱光線によって住民たちはあっという間に焼かれてしまいます。軍隊が出動して、戦車や迫撃砲で宇宙船に砲弾を浴びせますが、周囲にバリアを張り巡らせた宇宙船はビクともしません。そうしているうちに世界各国に次々に降ってきた隕石からは、無数の宇宙船が出現して、街という街が焼き尽くされていくのでしたが…。
H・G・ウェルズはイギリスの小説家で、社会活動家としても歴史家としてもその名を残しています。1866年生まれということですから、日本の年代でいうと慶応2年にあたりますし、ロシアではドストエフスキーが「罪と罰」の連載を始めた年になります。ジャーナリストとして著作を始めたことをきっかけに1895年の「タイムマシン」以降は小説を書くようになり、この「宇宙戦争」は1898年の作品です。夏目漱石が「吾輩は猫である」の連載を始めたのが1905年のことですから、その七年も前にH・G・ウェルズは後世に残る画期的なSF小説を世に送り出していたんですね。もちろん、今では「火星人」という設定自体にもう古さを感じてしまいますけど。
小説「宇宙戦争」の映画化権を獲得したのはハリウッドのパラマウント・ピクチャーズでした。1950年代になってやっと映画化に着手したものの、撮影開始後に映画化権が「サイレント映画」としての契約であることが発覚し製作が頓挫しそうになったそうです。しかしウェルズの著作を管理する財団から製作進行の許可がおりて事なきを得たのだとか。このときのプロデューサーがジョージ・パル。ハンガリー出身のパルはパラマウントでレイ・ハリーハウゼンと同じスタジオに在籍して人形アニメを製作していましたが、本作の監督バイロン・ハスキンと組んでSF映画の製作に乗り出したのでした。ジョージ・パルは本作でウェルズ財団からの信頼を勝ち取り、他のウェルズ作品を映画化してもいいよというオファーを受け、多くの小説の中から「タイムマシン」を選んで1960年に映画化を実現させることになります。
B級作品なので俳優には多くの出演料を回せなったらしく、主演のジーン・バリーも当時はほとんど映画出演のない時期でした。というのもこのジーン・バリーという俳優は、本作をきっかけにしてTVドラマで活躍することになり、あの「刑事コロンボ」の記念すべき第一回作品「殺人処方箋」で犯人役を演じたのでした。「刑事コロンボ」といえば、毎回豪華ゲスト俳優が犯人役を演じることで有名でしたので、その中でも犯人第一号となったわけで、ジーン・バリーのネームバリューの大きさが伝わってきます。
【ご覧になった後で】火星人を出してしまったのが最大のミステークでした
いかがでしたか?子どもの頃にTV放映されたのを見たときには、ラストに宇宙船の昇降口が開いて、火星人の三本指の手が伸びてきて、そしてその動きが止まるというショットが大変に印象的でした。そしてその印象度は現在でも同じなのですが、でも主人公の男女二人が民家に隠れているところを襲われる場面で、安易に火星人の姿を登場させていたのは意外でした。最後の最後に手だけが出てくると思い込んでいたので余計にがっかりしたのですが、特にシルビアが窓の外を見ていると、林の中をずんぐりした胴体でゆらゆら歩く火星人を遠くに映したショットは惨めというか貧相というか、とにかく観客の想像力を一気に萎ませてしまう安易な映像でした。さらには二人の前に現れて、斧で切りつけられて出血までしてしまうので、火星人のイメージを自ら矮小化する演出だったと思います。
加えて、本作の最大のミソである「人間を制圧した火星人がバクテリアには勝てなかった」というアイロニーが、民家シーンでの登場で崩れてしまっています。都市を破壊しつくし、人間も圧殺しつくしたので、悠々と宇宙船のハッチを開けて地球の外気に触れると、そこではじめてバクテリアの威力に遭遇し潰えてしまうという展開があるべき姿です。ところが本作ではすでに民家の場面で火星人が出歩いていることになっているので、バクテリアの影響を受けるというインパクトが薄れてしまっているのです。H・G・ウェルズの原作がどういう展開かはわかりませんが、その点ではスピルバーグの2005年版は一切火星人の姿が登場せず、眼を持った触覚のような探査ホース装置を効果的に使っていたので、まだまともな造形だったのではないでしょうか。
本作では火星人の宇宙船は、一つ目をもった宇宙艇のデザインでしたが、原作では「トライポッド」と呼ばれて三脚型の自立歩行型として描かれているようです。本作の監督バイロン・ハスキンは三脚をどのようにして動かしたら良いかうまい考えが浮かばなかったので宇宙船型にしたとコメントしていたそうで、確かに1950年代前半であれば、まだ宇宙船を登場させたSF映画自体がほとんど存在しなかった時代なので、わかりやすい宇宙船のデザインで良かったのかもしれません。しかしやっぱり現在の視点で見ると、あの一つ目宇宙艇は古くなってしまいましたね。スピルバーグのことを褒めるわけではないのですが、2005年版の「トライポッド」はいかにも巨大で、駆動装置が地球外のもののような雰囲気を持っていて、実に不気味な存在として描かれていました。やっぱりデザインの着想や構想については本作はリメイク版に負けていると言わざるを得ません。それにしても1898年に火星人の乗り物を「トライポッド」と表現したH・G・ウェルズの創造力には脱帽するしかありませんね。
火星人や宇宙艇のデザインは古くなっているとはいえ、人々がパニックに陥って暴徒化するというクライマックスの展開は、まるで現代を予言しているようで、先見の明が感じられます。他人を引きずり落してわれ先に車に乗り込もうとしたり商店を破壊して盗難を働いたりという、極限状態での末期的な行動は、本当の危機にさらされたときの人間の弱さを顕著に表現していました。そういうリアリティをもつ一方で、教会で神に祈る人たちをしつこく繰り返し登場させ、最後のバクテリアの奇襲も「神の奇跡」とナレーターが伝えるなどの宗教的な描写は、アメリカの保守的な側面を象徴しているように感じました。いざとなると「神様」が助けてくれるというのが、観客にも支持されていた時代なんでしょうかね。(A021722)
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