クレジットでは「二人妻」と大きく出てきますが正式タイトルはこちらです
こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、成瀬巳喜男監督の『妻よ薔薇のやうに』です。原作は中野実という人が書いた戯曲「二人妻」で、クレジットタイトルでは「二人妻」のほうが大きく出ていて、”妻よ薔薇のやうに”は下の方にサブタイトル的扱いで出てきます。でも映画情報サイトなどでみると「二人妻」を正式な題名にしているところはひとつもありませんし、昭和10年のキネマ旬報ベストテンでも日本映画第一位に『妻よ薔薇のやうに』と記録されていますので、こちらがいつのまにか正式タイトルとして採用されたようです。
【ご覧になる前に】成瀬巳喜男はPCLでトーキーを撮れるようになりました
都心のオフィスビルで働いている君子は、将来を誓い合った仲の精二と週末の約束をして家に帰ります。家では母親が和歌を詠むのに余念がなく、その歌には15年前に家を出て芸者のお雪と暮らしている夫への断ち切れぬ思いが歌われていました。君子の叔父は自分が取り持った縁談話の仲人を君子の母親に頼みたいと考えていて、夫不在ではどうしようもないと嘆いていたところへ、精二とデートをしていた君子が山村に住んでいるはずの父親の姿を見つけます。母親のところに顔を見せるだろうと、デートを取りやめて家で食事の準備をして父親の帰りを待つ君子でしたが、夜更け過ぎても父親は一向に帰ってくる気配がないのでした…。
成瀬巳喜男は松竹に小道具係手伝いとして入社して以来ずっと監督志望だったのですが、地味で目立たず自己主張もしなかったそうで、松竹の看板女優だった栗島すみ子がただ一人若き日の成瀬巳喜男を応援して、その口利きで助監督になることができました。しかし助監督から監督になるのにも時間がかかり、当時の松竹蒲田撮影所長の城戸四郎に脚本を提出してやっとのことで監督に昇進しました。
時代はサイレントからトーキーに移ろうとしていた時期で、松竹は土橋式松竹フォーンを開発して、五所平之助監督による『マダムと女房』で日本初のオールトーキー映画を製作・公開しました。トーキーは話題を呼びますが、同時録音方式で製作費もかさむため、確実にヒットが見込める監督しか作らせてもらえません。特に成瀬巳喜男は監督の中でも相変わらず地味で、城戸四郎の目にとまらずにいたところ、別の方式でトーキー映画をつくっていたPCL(Photo Chemical Laboratory)が成瀬巳喜男を引き抜こうと動き始めていたのでした。
城戸四郎という人は「去る者は追わず」というポリシーの持ち主で、成瀬をもらうという連絡をPCLの幹部から受けたときに即OKを出したものの、「そうならそうとなぜ俺のところに相談に来ないんだ」と立腹したそうです。しかしなかなか監督にならせてもらえず、なったらなったでトーキーは撮らせてもらえないという成瀬巳喜男の立場からすると、確実にトーキー作品を監督できるPCL移籍を断る理由もありません。成瀬の作風が小津映画に近しいものを持っていたことから「松竹には小津安二郎は二人は要らない」と豪語した城戸四郎は、後になってもっと成瀬のことを気にかけてやればよかったと述懐したそうです。
鈴木博は成瀬のPCL移籍第一作『乙女ごころ三人娘』からキャメラマンを担当していて、東宝から新東宝へと成瀬作品で撮影をつとめる人。成瀬巳喜男は女優田中絹代の監督進出を支援したことでも有名ですが、田中絹代の監督第一作『恋文』では成瀬が鈴木博をキャメラマンとして指名していますので、成瀬が最も信頼する人でもあったのでしょう。
ちなみにオープニングクレジットでは成瀬巳喜男は監督ではなく「演出・脚色」と表記されています。松竹では城戸四郎の監督第一主義に基づいて、映画全体の責任者として「監督」とクレジットされていたのですが、PCLでは原作者のほうが重要だと考えられていたようで、一番最初に出てくるのは「中野実原作」という文字です。PCLから東宝になっても戦後まで成瀬巳喜男のクレジットは「演出」なのですが、『姿三四郎』(昭和18年)でデビューした黒澤明はちゃんと「監督」として記録されています。どのようにクレジット表記するのかについて、結構いい加減な時代だったのかもしれません。
【ご覧になった後で】この映画の父親像には100%共感できませんでした
うーん、いくら昭和10年の映画だからといって、本作に出てくる父親像には徹頭徹尾ほんの1ミリも共感できませんで、こんな父親がいたら娘の立場として絶対に永遠に許すことはできないのではないかと考え込んでしまいます。この山本俊作なる人物は、15年前に妻と娘(君子)を捨てて、妾にしていた芸者のお雪と出奔しています。そのまま妻とは離婚もせずに、お雪と所帯を構え娘と息子をもうけて、もちろん子供たちには自分のことを「お父さん」と呼ばせています。こんな重婚状態が野放しになっていること自体びっくりですし、捨てた妻娘に最初のうちは生活費を送金していたのにいつのまにか送るのを止めていたのです。代わりにお雪がためた金を送っていたんですって、そんなのあり得ますか?。さらには自分はいつまでも一攫千金の夢を追って山奥の川で砂金採りに明け暮れる日々。地道に仕事をして家族を養おうなんて気はひとつもありません。こんな父親がいて許されるんでしょうかね。
で、一度は東京の家に戻る父親なのですが、あきらかに妻とは他人行儀でとても夫婦としての関係になり得ていません。こんなに性格が合わないのだったら、なぜ別れないのでしょうか。きっぱり別れないから妻はいつまでも未練がましく和歌に詠んだりするのです。離婚しない父親には決断力のかけらもありません。それにしても15年前に姿を消した父親に対して、娘の君子はなぜ朗らかに「お父さん」と呼べるのでしょう。街で見かけたというのも変で、15年間まともに会っていない父親をそんなにすぐに見つけられるのもおかしな話です。すべて父親にとって都合よく書かれているホンにしか思えません。原作者の中野実という人が、大昔の家父長的権威主義に凝り固まった人だったんでしょうかね。
原作の欠点そのものを成瀬巳喜男の責任にするのは筋違いかもしれません。なにしろ成瀬は松竹では撮らせてもらえなかったトーキーを、本作で思う存分楽しんで作っているのです。その一番の証拠が音が先行して場面転換を予感させる演出。シークエンスが切り替わる前に、次のシーンの音がまず挿入されて、次はどの場面になるのかを音で観客に予想させるような作りになっているんですよね。たぶんトーキーが出てきたときから、成瀬は一度この音先行型場面転換をやってみたくて仕方なかったのでしょう。現在的には特に効果を上げているようには見えませんけど、本作の大きな特徴になっていたと思います。
また主演女優の千葉早智子の明朗さもよかったですね。君子を千葉早智子が演じていたので、なんとか本作を最後まで見ていられたんだと思います。この人の前向きさというか寛大さというか懐の深さがなかったら、とてもあんな父親を許しておかれませんもんね。千葉早智子がいいならまあいいか、みたいな感じで観客の気持ちが救われていたのではないでしょうか。ちなみに千葉早智子は本作の2年後に成瀬巳喜男と結婚したのですがほどなく離婚してしまい、戦時中に東宝を退社して女優はやめてしまったんだそうです。まあ実生活ではこの『妻よ薔薇のやうに』の妻みたいにはなりたくなかったのかもしれません。
本作を見た小津安二郎は映画が終わると同時に「これで今年のベストワンは決まったね」といって席を立ったそうです。ホントか?と思いますけど、小津安二郎が認めた映画であるという伝説が、本作に別の価値を持たらしていることは間違いありません。そうだとしても、繰り返しになりますが、こんなダメな父親像を描く映画には100%共感できませんし、父親役をやった丸山定夫という俳優も悪い印象しか残りません。戦争中に桜隊という巡業劇団を立ち上げて、体調を壊して静養していた広島で被爆し、終戦の翌日に亡くなったんだそうですけど、うーん、この父親だけはご勘弁ですね。(Y082222)
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