ピクニック(1946年)

ジャン・ルノワールが1936年に撮影したフィルムを再編集した中編です

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、ジャン・ルノワール監督の『ピクニック』です。1936年に撮影されたフィルムは第二次大戦勃発によって未完のままとなっていましたが、戦後になってプロデューサーのピエール・ブロンベルジュがアメリカに渡っていたジャン・ルノワールの承認をとって40分の中編として再編集しました。撮影から10年後にやっとパリで公開された本作は、日本では1978年に劇場公開され、併映はジャン・ヴィゴ監督の『新学期 操行ゼロ』でした。現在ではリマスター版のクリアな映像と音声で鑑賞することができます。

【ご覧になる前に】後の偉大なる映画監督がアシスタントをつとめています

デュフォー夫妻が娘と老母と娘の婚約者を率いて馬車で田舎にやって来ました。川のほとりにあるプーラン亭を見つけ昼食のためのワインと食事を頼んだ一家は、河原の草原でランチ場所を探します。娘のアンリエットがブランコに乗ってはしゃいでいるのを食堂の窓から覗いているのはアンリとアナトールの若者二人。自慢の口髭を整えたアナトールがアンリエットに狙いを定め二人で声をかけますが、アンリエットはデュフォー夫人と川べりに行ってしまいました。食事の準備をするプーラン亭の主人は午後には雨が降りそうだというのでしたが…。

ジャン・ルノワールはいうまでもなくフランス印象派の画家オーギュスト・ルノワールの息子で第一次大戦に従軍した後に映画監督になりますが、初期の作品では興行的に失敗して父親の絵を売却して借金返済にあてたとか。1930年代後半に『大いなる幻影』『ゲームの規則』を撮って映画史的な名作を残していますが、戦時中にアメリカに逃れ、戦後の代表作はイタリアで撮った『黄金の馬車』と本国に戻って作った『フレンチ・カンカン』でした。この『ピクニック』は1936年に撮影が行われていますので、製作順序からいえば戦前の名作を作る前の作品にあたっていて、ジャン・ルノワールの原点的な映画に位置づけられるかもしれません。

本作は製作時のスタッフがものすごい顔ぶれになっていて、助監督としてクレジットされているのがジャック・ベッケル、ルキノ・ヴィスコンティ、アンリ・カルティエ・ブレッソンの三人です。ジャック・ベッケルは『現金に手を出すな』や『モンパルナスの灯』など1950年代のフランス映画界を代表する監督ですし、ヴィスコンティはいうまでもなくイタリア映画界の巨匠になっていく人です。アンリ・カルティエ・ブレッソンは「決定的瞬間」で有名な世界的写真家で、戦前はこんな映画の仕事もやっていたんですね。

キャメラマンは甥のクロード・ルノワール。もちろんジャン・ルノワールの『黄金の馬車』などでもキャメラを回していますが、1960年代以降はジェーン・フォンダ主演の『バーバレラ』、ハリウッドで『フレンチ・コネクション2』、イギリスで『007私を愛したスパイ』をそれぞれ撮っていて、世界的なキャメラマンとなりました。ある意味では晩年は不遇だったジャン・ルノワールよりも成功したといえるかもしれません。

未完だったフィルムはパリ・シネマテークのアンリ・ラングロワが保管していたらしいのですが、それを再編集して完成させたのがプロデューサーのピエール・ブロンベルジュでした。ブロンベルジュは1930年代から「シネマ・デュ・パンテオン」という映画館を経営をしていた人で、その資本をもとにして映画製作にも進出していました。特に1950年代後半からはヌーヴェル・ヴァーグの作家たちを支援したことでも有名でして、トリュフォーの『ピアニストを撃て』やゴダールの『女と男のいる舗道』はともにピエール・ブロンベルジュの製作作品です。

アンリエットを演じたシルヴィア・バタイユは、フランスの近代哲学を代表する哲学者のジョルジュ・バタイユと結婚していた時期で、1939年にはフランスの有望な女優に贈られる賞を受賞しています。ジョルジュ・バタイユも本作の中でエキストラ的に出演しているそうです。ジョルジュ・バタイユと離婚した後に、同じ構造主義の哲学者であるジャック・ラカンと結婚しています。シルヴィアにとっては本作製作時はジョルジュ・バタイユとは別居していた時期らしく、ジャック・ラカンと愛人関係になる頃だったようです。

ジャン・ルノワール本人もプーラン亭の主人役で出演していますし、冒頭で橋の上から釣りをしている少年役としてジャン・ルノワールの息子のアランも出ています。田舎での撮影ですし、俳優をたくさん雇う経費もなかったのかもしれませんね。ベッケルもブレッソンもクレジットされていませんが出演はしているようで、身内総出で撮った作品という感じだったんでしょうか。

【ご覧になった後で】草と雲と雨などのショットが女性の気持ちを表します

いかがでしたか?本作の魅力は何といってもシルヴィア・バタイユとジョルジュ・ダルヌーが川べりの草むらで抱擁した後に急に天候が変わる自然の描写にありました。ためらいがちに抱き合い、最初は抵抗するものの結局は激しく抱き合ってしまうというアンリエットの心情をそのまま表現するかのようでした。

草がなびき、雲が流れ、やがて空が暗くなって、川面に大粒の雨が降り注いでくるというただそれだけのショットをつないでいるのですが、これがそのままアンリエットの激情というか欲情のメタファーになっていて、もちろん婚約者がいるアンリエットですので決して快晴というわけにはいかず、暗い雨雲から迸るように降り落ちてくる雨粒が、アンリエットの心に傷跡を残す弾痕のようにも感じられるのです。これこそルノワールの手による映画の魔術でして、単なる自然描写の数ショットが娘の心の奥にある激しさの表現になってしまうんですね。

こういう激しさを体感した後で、結婚した後のアンリエットが同じ川べりでアンリと再会する場面ではセリフが深い印象を残します。アンリが毎週日曜にここに来るというのに対してアンリエットのほうでは「私は毎晩思い出すわ」と答えるのです。すなわち現在の夫との生活に満足することができず、あなたとのことが夜な夜な忘れられないというわけです。

本作が日本公開されたのは高校生のときでしたので、アンリエットの気持ちをプラトニックなものとしてとらえたがる年頃だったのですが、現在的に見るとこのアンリエットのセリフは女性の奥底にあるどうしようのない肉欲そのものだったんだなあと思い直してしまいました。草の上の昼食的な父親の絵をそのまま映画にしたような印象派的な導入部を持ちながらも、実はジャン・ルノワールがこの映画で表現しようとしたのは印象派とは正反対のリアルな性欲だったのかもしれません。

その意味では前半に挿入されるブランコの場面はルノワールによる巧妙な偽装だったのかもしれませんね。本作を取り上げる際には必ずブランコに乗るシルヴィア・バタイユを正面からとらえたショットが映画そのものを代弁するかのように出てきます。確かにこの当時キャメラを女優と一緒にブランコに乗せるということ自体が実験的試みだったでしょうし、背景が急激に上下する中を明るく笑うシルヴィア・バタイユだけをしっかりと映像化したショットは実に明朗な躍動感を伝えてきます。これこそが『ピクニック』という作品を象徴しているようですし、原題でもある「田舎でのパーティ」のイメージそのものを伝えています。

こうしたイメージを前面に押し出しながら、後半では雨雲を沸き立たせ大粒の雨を降らせてアンリエットの心はほんの一時の肉体関係に囚われるのであったという話になるのですから、ジャン・ルノワール本人の手による完成版ではないにしろ、この『ピクニック』は一筋縄ではいかない深い意味をもった大人の映画だということがわかったのでした。(U020423)

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