戦時中の映画法による検閲を通すために企業統合を奨励する話になっています
こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、中村登監督の『男の意気』です。昭和17年は太平洋戦争の真っ最中で、企業が利益を求めて競争するのではなく戦争遂行のために力を合わせて大同団結しなさいという国の方針がありました。本作もそれにならって、船から積み荷を小口にして運搬する回漕業において企業統合を進めるお話になっています。ちなみに本編では『男の意氣』という旧字体で題名が出てきますが、ほとんどの映画データベースでは漢字の旧字体は使っていないようなので、大船シネマでも「意気」という表記に統一することにしました。
【ご覧になる前に】吉村公三郎と木下恵介と中村登の三人による共同脚本です
回漕業を営む丸八の大旦那が積み荷の立会いをしているところに北京から息子の健一が三ヶ月の休暇が取れたといって帰ってきました。父親は久しぶりに刺身包丁を取り出してカツオをさばいて歓待するのですが、妹は叔父が強引に見合い話を進めるので元気がありません。見合い相手が海運業のお得意先の息子だということで、妹と結婚させれば取引に有利になることを父親と叔父が目論んでいるのを知った健一は、見合いの席で先方の父親に妹には他に好きな人がいるので縁談はなかったことにしてほしいと頭を下げます。その正直さにうたれて妹は無理に嫁に行かずに済むことになったのですが、横から口を挟んだ健一を父親は許すことができず、地域の回漕業者をひとつの会社に統合するという話にも反対の立場を変えないというのでした…。
昭和16年12月に開戦した太平洋戦争で日本軍は連戦連勝、昭和17年にはマニラ、シンガポール、ジャワ、ラングーンを次々に占領して「大東亜共栄圏」を形成していきました。国内では、国による経済統制が推進されて、映画界においても日活・新興キネマ・大都映画が合併して大日本映画(大映)が設立されて、映画会社が松竹・東宝を合わせて三社にまとめられていった時期。その後も新聞や鉄道会社などが次々に合併して統合会社にまとめられていくことになり、中日新聞や西鉄などもこのときの統合会社にあたっています。翼賛体制が確立されていく一方で、昭和17年6月のミッドウェー海戦で日本海軍が致命的な大敗北を喫したことは、すべて大本営によって隠匿され、戦争報道の大半がフェイクで塗りつぶされていくことになるのです。
戦時中ですので、映画法によって脚本の検閲やフィルムの制限などさまざまな制約が映画会社に課されることになりました。本作も主人公の健一が回漕業者の統合に反対する父親を説き伏せて、大同団結を推進する立場として活躍する姿が描かれていますが、それも脚本の事前検閲を通すためのテクニックだったのでしょう。脚本を書いたのは吉村公三郎と木下恵介と中村登の三人。吉村公三郎は松竹が大船撮影所に移転してから監督に昇格して次々に新作を発表していましたし、木下恵介は監督デビューはまだでしたが吉村公三郎監督作品で脚本を書いています。そこに前年『結婚の理想』で初監督作品を発表したばかりの中村登が加わり、本作の脚本は三人共同のクレジットになっています。たぶん小津安二郎と野田高梧のコンビや黒澤組がよくやっていたような旅館に泊まりこんで、実際にひとつのシナリオを共作していくという書き方ではなく、ひとりが書いた脚本が検閲を通らなくて、別のひとりが加筆し、さらに検閲の要請に従ってもうひとりが改変したというような共同の仕方だったのではないかと推測します。
主演は上原謙で、本作出演時は三十三歳。上原謙は昭和11年に兵役で入隊して台湾で軍隊生活を送った経験がありますが、そのときに原因不明の熱病にかかって除隊し、帰国して出演した『愛染かつら』で空前の人気を獲得することになります。父親役の坂本武は小津作品の喜八ものの主人公ですし、義兄役の徳大寺伸も松竹の二枚目俳優のひとりでした。姉を演じる川崎弘子は田中絹代と並ぶほどの人気があったときに福田蘭堂と結婚して以降は、運に見放されて映画界を引退する道を選んだ人だそうで、この福田蘭堂という音楽家もまたなかなか女泣かせの経歴の持ち主だったようです。木暮実千代はまだ端役だった頃の出演ですが、グラマラスな存在感を示しています。
【ご覧になった後で】これは東映やくざ映画の原型なのではないでしょうか…
いかがでしたか?回漕業を営む丸八。店を仕切っている大旦那の病気。海運業者の利権を争うライバル会社の存在。そのライバル社に雇われる丸八出身の立会のプロ。外地から帰還した男が丸八の危機を救う。この設定や展開を見て、何かが思い浮かぶのではないでしょうか。そうです。このストーリーラインは東映のやくざ映画そのもの。上原謙がライバル社を上回る価格提示をして積み荷仕事を勝ち取りますが、その代わりに徳大寺伸がライバル社の番頭格から仕返しをくらいます。『男の意気』の場合はライバル社社長の藤野秀夫がとても良い人で、商売を取られても業者が一致団結することを良しとする国策的人物として描かれていますが、やくざ映画ならここで一気に丸八潰しを画策して、徳大寺伸あたりが殺される流れになるでしょう。とするとついには立ち上がって殴り込みをかけるのが上原謙ではなく高倉健。これはまさしく東映やくざ映画の流れなのではないでしょうか。
もちろん昭和17年にそんなやくざの復讐ものを作れるはずがありません。上原謙が父親に反対してすすめる回漕業の統合は、まさに国策映画として本作の製作が許可されるための設定だったのだとは思いますが、吉村公三郎と木下恵介と中村登の三人は国の検閲に媚びるようにして脚本を改変したのではないようです。ひそかに映画人ならではの反抗心をシナリオ上にひそませようとしたのでしょう。なので上原謙は全面的に国の方針を遂行する戦時下の理想的人物を演じているように見えて、物語を途中で路線変更してひとひねりすればいつでも高倉健に変身できるような作りになっているのでした。
そのような脚本は別にしても、中村登の演出は実にスタティックというか、静止画の美しさを強調した映像が印象的でした。例えば上原謙と木暮実千代の二人をややズラして横から撮った構図は、二人を同じ方向を向いた横顔でとらえることでフィックスの画面の中に人物の視線の動きが表現されているような効果がありました。また部屋の中をとらえたショットはどれも隣の間からのフルショットで、奥には半開きの障子窓を入れて奥行きを出しています。病身の坂本武が寝ているショットはそのほとんどが真横から撮っていたことを思い返すと、この映画は斜めからのアングルが少なくて、大半が真正面や真横からといった直角あるいは平面を重視したショットで成り立っています。国策映画といえども映像表現にまではアレコレ口を出すような知識も能力も官吏側にはないわけですから、中村登はシナリオでは国の意向を取り入れながら、しかし自分らしいこだわりを映像でやり返したのではないでしょうか。
上原謙が妹の縁談を断る場面では、叔父さん役の河村黎吉が妹と見合い相手を歌舞伎に連れて行く流れになります。「そろそろ中幕かな」なんて言いながら劇場に向う二人を見送りながら、先方の父親が「きょうは六代目の保名か」とつぶやくのですが、明治から昭和にかけて活躍した版画家であり日本画家の名取春仙が残した多くの役者絵の中で、六代目菊五郎については「保名」を演じた姿の木版画が残されています。「六代目の保名」は当時の観客が聞いたら「そんなプラチナチケットの芝居を観に行くんだ」と憧れるような設定だったのかもしれません。(Y091022)
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