還って来た男(昭和19年)

マレーから帰還した軍医がお見合いをするまでの一週間をコミカルに描きます

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、川島雄三監督の『還って来た男』です。日本映画歴代ベストテンをやると必ず上位に選ばれる『幕末太陽傳』を作った川島雄三のデビュー作がこの『還って来た男』で、織田作之助の原作・脚本を映画化した作品です。昭和19年7月公開という時期を考えると、映画館でよくもこんなお気楽なラブコメが上映できたなあと感心してしまいますが、国家総動員的なエピソードを巧みに織り交ぜて、映画法の検閲をくぐり抜けたのではないかと思われます。鬼才川島雄三の記念すべき監督第一作として記憶にとどめておきたい映画です。

【ご覧になる前に】松竹の監督資格試験にトップ合格したのが川島雄三でした

大阪の坂の上にある国民学校の近くで馬乗り遊びをしている子供たちの横を教師の初枝が歩いていると、転んで足を怪我した新吉がいました。新吉は新聞配達をしていますが名曲喫茶を開いている父親は新吉を名古屋の軍需工場で働かせようと汽車に乗ります。向かいの汽車で駅弁売りに声をかけているのはマレーから帰還した軍医の庄平で、乗り合わせた節子と将棋を指しながら大阪の実家に向うのでした。実家に帰った庄平は児童療養施設建設のために財産を譲り受けることを父親に認めてもらいますが、その代わりにお見合いを勧められます。お見合いをしたら絶対に断らないと決めている庄平は、見合いするかしないかを決めるのに一週間時間をほしいと父親に頼むのでしたが…。

太平洋戦争が始まると松竹の監督たちにも赤紙が届いて、年次に関係なく監督たちが次々に出兵していきました。渋谷実、吉村公三郎、そして小津安二郎も記録映画製作のためにシンガポールに出征します。監督の頭数が手薄になったことから、松竹では三年以上助監督をつとめた者を対象にした監督昇格試験を実施しました。森本薫の「激流」の一節を読んで演出プランとコンテを書けという課題に対して、結果は川島雄三のトップ合格。大庭秀雄が答案をもって所長室に「このコンテの立て方はすごいですよ」と駆け込んできたという逸話が伝わるくらいの見事な合格だったそうです。ちなみに川島雄三は本作の撮影直前に応召されたものの即日帰郷となったそうです。なにしろ筋萎縮性側索硬化症を発症していたので、いくら兵隊が足りないからといっても合格させるわけにはいかなかったのでしょう。

原作は織田作之助の「清楚」という小説で、織田作之助自ら脚色を担当し「四つの都」というシナリオが完成しました。織田作之助と川島雄三はよく連れだって大船撮影所近くの食堂に呑みにやってきたそうですが、周囲からは「織田はあんなに金ばかり欲しがっていちゃ大きくなれないよ」といわれていたそうです。ちょうど兵隊に行っていた佐野周二が除隊となり戻ってきて、関西を舞台にした「四つの都」は松竹下加茂撮影所でクランクインすることになったのでした。

昭和19年というと太平洋戦争で日本の劣勢が明らかになった年で、6月には北九州の八幡が爆撃され、これがアメリカのB-29爆撃機による本土初空襲となりました。7月にはサイパン島の日本軍が全滅して東条英機内閣が総辞職。そして年末にはサイパン島から日本への爆撃ルートが完成して、ゼロ戦を製造していた三菱の工場がある名古屋が集中的に空襲されるようになります。そういう時局を考えると、映画館ではいわゆる戦意発揚一辺倒の国策映画ばかりが上映されていたように思ってしまいがちですが、相撲取りを描いた『土俵祭』や黒澤明監督の『一番美しく』なども昭和19年に公開されています。そんな中で、この『還って来た男』はお見合いに至るまでの恋愛コメディのような作品ですので、特に時局とはマッチしない、のんびりしたのほほん映画なのでした。

主演は佐野周二と田中絹代の二人で、そこに戦前の大船撮影所の主軸だった三浦光子や草島競子らが加わっています。男優陣ではおなじみの笠智衆をはじめ日守新一、坂本武、小堀誠などが出演していまして、年齢的に兵隊にとられなかった俳優たちだったのかもしれません。キャメラマンの斎藤毅もこの映画の前までは撮影助手だった人で、のちに『君の名は』三部作でキャメラを回すことになる人です。ちなみに昭和18年から昭和20年の三年間はキネマ旬報は年間ベストテンを実施しておりませんで、この三年間に公開された日本映画はキネ旬のランクをもっていないことになります。

【ご覧になった後で】喜劇のお手本のような演出に佐野周二がハマっています

いかがでしたか?本当にこれが昭和19年の作品かと疑ってしまうくらい、戦時色や国策映画っぽさがないラブコメ喜劇になっていましたね。川島雄三と織田作之助は仲が良かったらしいので、シナリオと演出はほぼ同時並行的に作られたのではないかと思います。そこで川島雄三が狙ったのは喜劇の基本である「繰り返し」と「ひっくり返し」と「交差」の三つの手法でした。

まず「繰り返し」は名古屋の工場から何度も帰って来てしまう新吉と、佐野周二と三浦光子が何度も偶然に再会するところ。新吉はいつも同じ姿勢で名曲喫茶のガラス扉に登場しますし、再会を嬉しがる三浦光子に対して佐野周二はほとんど嬉しそうにもしない素っ気ない態度を変えません。次に「ひっくり返し」はお見合いに乗り気ではない庄平が、相手が初枝だとわかったときから逆に積極的になるところ。これは訥弁だった庄平が多弁に変わるラストで象徴的に応用されていました。また新吉に対して工場で働けというだけだった父親がいきなり家族全員で名古屋に引っ越してしまう展開。国民総動員を描いて国策映画であるというフリをしながら、それを隠れ蓑にして喜劇的展開にも持ってきてしまう才気が感じられました。

あともうひとつの「交差」は、佐野周二の流れに佐野周二に好意をもつ女性たちが複数絡んでくるところの面白さです。三浦光子は幾度も交差する機会があるのに佐野周二からはほとんど顧みられませんし、名曲喫茶の娘文谷千代子は店に佐野周二が来るのを愉しみにしますが結局は一家で名古屋に移住することになり交差しません。慰問袋を渡していた母親の代わりに佐野周二に会う草島競子は、佐野周二が友人の見合い相手であることを知って羨ましく思うとともにがっかりします。そして一度は佐野周二を道案内した田中絹代は将来の妻として再会を果たすことになります。このような「繰り返し」と「ひっくり返し」と「交差」をうまく使って、軟弱な男女恋愛が全否定されていただろう戦時中に軽喜劇的なラブコメが完成されたのでした。

なので本作の一番の魅力は佐野周二のキャラクターにあるわけでして、子供たちのための施設を作りたいという高邁な理想をもち、見合いは会って断ると相手を傷つけるという信念をもち、頼まれればいきなりマラソンを走ってしまうお人良しという庄平を明朗に誠実に演じていました。田中絹代は実際のところ、サイレントからトーキーに移行するくらいの可憐なお嬢様的可愛らしさは失われつつありますが、いかにも控えめで上品な清楚さが滲み出ていましたね。

川島雄三にとって監督デビュー作ですので、テンポを重視した語り口が軽妙な雰囲気をベースにしていた一方で、デビュー作らしい躍動するような映像も印象的でした。新聞配達をする新吉少年が右から左に走るのを横移動のキャメラでとらえた長回しの移動ショットは、画面の中で手前へ奥へと動く新吉のスピード感が立体的に表されていましたし、東大寺での佐野周二を仰角でとらえたアングルや三浦光子との再会を不安定なパンで追うショットなどはあまりに巨大な大仏を見上げた後で頭がクラクラする感じを見事に映像化していました。ここらへんは川島雄三の実験精神の面目躍如という映像表現でしたね。

川島雄三は「四つの都」という題名が気に入っていたようでしたが、松竹が『還って来た男』にしないと撮らせないといって強引に題名を変更させたらしいです。授業の場面で田中絹代が「四つの都というのはどこですか?」と児童に質問する場面がありまして、音声が悪くてよく聞き取れなかったのですが、たぶん「大阪、神戸、京都、奈良」が答えだったんではないかと思います。神戸ではなく名古屋を入れて四つにする説もあるようですが、慰問袋の送り主が住む神戸に訪ねていくからにはやっぱり神戸を抜かすわけにはいかないでしょうね。(Y091222)

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