松竹蒲田を代表する監督五所平之助が夫婦の機微を描いたホームドラマです
こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、五所平之助監督の『人生のお荷物』です。松竹蒲田撮影所は本作公開の11年前に城戸四郎を所長に迎えて監督第一主義を掲げていました。城戸四郎が最も信頼していたのは島津保次郎でしたが、昭和6年に日本初のトーキー映画となった『マダムと女房』を任せられたのは五所平之助。五所平之助は田中絹代の出演作を多く監督したことでも有名で、本作も田中絹代が脇役として可憐な娘を演じています。三女を嫁にやってなお幼い男の子がいるという夫婦の子を思いやる機微を描いた本作は、松竹蒲田が得意としたホームドラマの典型で、昭和10年度キネマ旬報ベストテンで第6位にランクインしています。
【ご覧になる前に】斎藤達雄と吉川満子の夫婦に長男は葉山正雄が演じます
妻逸子をモデルにして絵を描いている栗山のところに義兄が女房を探して訪ねてきました。姉が実家に逃げ込んでいるだろうと見込んだ逸子が実家に帰ると、案の定母親と姉が話し込んでいました。その横では嫁入りを目前に控えた妹の町子が歳の離れた弟の寛一とからかい合っています。姉を先に返した逸子はちゃっかり母親から小遣いをせびり、そのお金で夫の栗田と一緒にタクシーで天ぷらを食べに出かけました。友だちと遊び終えた寛一が家に戻ると茶の間にはもう父親が帰っていて晩酌をしているところ。寛一が女中のお浪と一緒に台所で夕食を食べていると、父親がうなる詩吟の声が響いてくるのでした…。
五所平之助は慶應義塾を卒業した後、父親の友人の息子だった島津保次郎の仲介を得て松竹蒲田撮影所に助監督として入社しました。大正14年に野田高梧脚本の『空は晴れたり』で監督としてデビューし、以来市井の人々の暮らしをユーモラスに描いたいわゆる小市民映画を発表し続けます。戦後は東宝や独立プロなどで作品を作り続け、生涯に監督した作品は100本に及びます。
脚本の伏見晁も松竹蒲田の脚本家で『学生ロマンス 若き日』『落第はしたけれど』『大人の見る絵本 生まれてはみたけれど』『淑女は何を忘れたか』といった小津安二郎監督作品でオリジナル脚本を書いたり小津の原作を脚色したりした実力者でした。昭和20年代までずっと松竹で脚本家を続け、こちらも生涯に120本以上の脚本を残しています。
ほかのスタッフでは録音を担当したのは土橋晴夫で土橋式トーキーを開発した土橋兄弟の弟の方です。本作は兄の武夫が松竹京都に行っている時期でしたので、晴夫がメインで同時録音を担当しています。音楽は作曲家の堀内敬三。この時期は松竹と音楽監督として契約をしていたときで、堀内が昭和2年に発表した慶應義塾の応援歌「若き血」が本作の中で歌われているのは同じく慶應出身の五所平之助によるサービスだったんでしょうか。あとは後に監督として活躍する渋谷実が助監督兼編集としてクレジットされているのにも注目です。
主演の斎藤達雄は元は日活にいましたが松竹蒲田に移籍してきてその長身を生かして人気俳優となった人。声にも恵まれたおかげでトーキーになってからはさらに出演作が増えて、本作はなんと130本目くらいの出演作品となります。妻役の吉川満子と息子役の葉山正雄は昭和12年の清水宏監督の傑作『風の中の子供』でも親子役をやっていて、本作の寛一役ではまだ小学生低学年くらいの設定ですが、『風の中の子供』では長男役を演じていて、わずか2年でかなり成長したんだなということがわかります。ちなみに『風の中の子供』で葉山正雄の弟役をやる爆弾小僧も遊び仲間のうちの一人として登場しています。
【ご覧になった後で】普通の家庭の普通の日常を普通の感覚で描いていました
いかがでしたか?これが昭和10年頃の中産階級の普通の暮らしぶりだったんだなあと考えると、翌年にはあの二・二六事件が勃発するなんて想像もできないくらいに普通の日常がゆったりと繰り返されていたことにあらためて驚いてしまいます。戦前の映画を見ると内田吐夢の『土』のような貧困にあえぐ貧農の悲惨な暮らしぶりなどが目立ってしまうのですが、都市部においてはある程度安定した生活を営むゆとりもあったことが本作を通じて伝わってきます。
もちろん斎藤達雄演じる辻口は病院の院長という立場ですのでどちらかといえば富裕層に属していたのかもしれません。けれども三人の娘を嫁に出すという家庭環境は現在に比べればはるかに金銭的負担が大きかったでしょうし、さらに小さな男の子の将来の養育費を考えると夫婦のいさかいがあっても不思議ではありません。着目すべきは収入の多寡ではなくどの家庭でも物入りが大変になればなるほどお気楽だけでは生きられないという事実なのです。その意味で本作は当時の普通の家庭の普通の日常を普通の感覚で描いたホームドラマだったといえるのではないでしょうか。
その中で田中絹代演じる逸子の家庭がちょっと浮世離れしたところがあって、夫が画家だということ自体がディレッタント的な設定になっていました。映画の冒頭で田中絹代が絵のヌードモデルをつとめている様子がなんとなくエロっぽさを感じさせて、五所平之助だからこそ田中絹代をそのように扱えたのかなと思いますし、生活感を感じさせないような夫婦のわりには田中絹代が生活費を母親にせびるところなんかがきちんと世俗的な側面も切り取っていて、裏も表もきちんと踏まえた演出が効いていました。
たぶん脚本の伏見晁のうまさなんでしょうけど、会話の運びやテンポがこの映画の基本的なテーストの決め手になっているような感じでした。斎藤達雄と吉川満子が寛一のことを話すときに「いくつになったかな」「九つですよ」「そうか去年は八つだったな」「そうですよ」「去年八つなら今年は九つだな」なんて会話をするわけです。これが馬鹿らしいとか当たり前だとかではなく、いかにも普通の家庭の普通の会話になっていて、なんでもないことをなんでもないように話すのが普通に見られる日常なのですから、このような映画にしなくてもいいような場面をしっかりとゆったりと面白く見せてくれるのが本作の一番の魅力だったと思います。
その点では終盤の娘の結婚式のあとで、一人残った寛一を巡ってにわかに斎藤達雄と吉川満子が喧嘩を始める描写も実に普通によくある光景で、リアリティが感じられました。夫婦の危機なんてものは大袈裟な事件ではなく、思いもかけない日常の一コマあるいはひと言から発展していくものです。斎藤達雄がふと小さな男の子を「人生のお荷物」のように言ってしまったことが引き金になって、直前まで互いを思いやり安定していた夫婦関係が一気にガラガラと崩れてしまうという展開が、特にテクニカルに演出されているわけではないのにいかにもスリリングに感じられました。ここらへんが五所平之助の演出力なのでしょう。家の中を映したショットはややローアングル気味で切り取られていて、少し小津映画の雰囲気を思い出させますけど、夫婦関係が悪化していくプロセスは小津とは全く違った展開になっていました。
そんなわけで特段大きな事件が起きるわけではない普通の日常を描いた作品でしたが、1時間10分の上映時間を一気に見させてしまう吸引力が感じられました。まあ寛一役の葉山正雄が本当にナチュラルに小学校低学年の男の子を演じていたのも大きな成功要因だったでしょう。さすがに「松竹蒲田の名子役」といわれただけのことはありましたね。(Y102722)
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