ブルー・スカイ(1946年)

ビング・クロスビーとフレッド・アステアが歌とダンスで共演するミュージカル

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、スチュワート・ヘイスラー監督の『ブルー・スカイ』です。ビング・クロスビーとフレッド・アステアが共演したのは1942年の『スイング・ホテル』以来二作目。当初ビングの相手役はポール・ドレイパーが演じていましたが、主演女優のジョーン・コールフィールドとウマが合わず、急遽アステアが演じることに。また、監督のヘイスラーも実は代役で、アステア&ロジャーズコンビの最初の共演作を撮ったマーク・サンドリッチが監督に指名されたのですが、撮影の途中で心臓発作のため亡くなってしまったのです。それはともかくとして、ビングとアステアが「Song and Dance Men」としてコンビを組んだ本作は、歌と踊りがいっぱいのゴキゲンなミュージカル・ロマンスに仕上がっています。

【ご覧になる前に】恋敵でありながらビングのキューピッド役になるアステア

ダンススターのジェドはバックダンサーのメアリーに好意を寄せていて、彼女を相手役に取り立てようと考えています。メアリーを口説こうとするジェドは、昔馴染みのジョニーが経営するナイトクラブへメアリーを連れ出しますが、クラブで歌を披露するジョニーにメアリーは惹かれて二人は急接近してしまいます。同時にジョニーはそのナイトクラブを売り払って、別のクラブを開店する計画に夢中なのでした…。

本作は第一次世界大戦で従軍した経験のあるジェドとジョニーの友情物語。ひとりの女性をめぐる二人の恋の駆け引きを第二次大戦後にラジオのキャスターになったジェドが振り返るという形式をとっています。その設定そのままに、ビング・クロスビーは1930年代にラジオの普及とともにトップシンガーになりました。それまでは劇場で地声を聴かせることが歌手の役割でしたが、ラジオの登場を契機にしてマイクロフォンとスピーカーによって歌声が電気的に変換されることとなり、声を張り上げず滑らかに発声する「クルーナースタイル」が主流となりました。ビング・クロスビーはそのクルーナースタイルを最初に確立したといわれていて、生まれ持った声の魅力をそのまま歌にのせることで、次々にヒット曲を飛ばしていきます。特に「サイレント・ナイト」や「ホワイト・クリスマス」などのクリスマスソングはビングの十八番となり、現在でもホリデーシーズンにはビング・クロスビーの歌は昔と同じように街のBGMになっています。

フレッド・アステアも1930年代にRKOでジンジャー・ロジャースとのコンビでミュージカル映画の一時代を築き、トップダンサーの地位を揺るぎないものにしていました。ジンジャーと離れてソロになってから数年が経ち、アステアは次第に映画以外の人生を思い描くようになり、競馬の世界で馬主として第二の人生を過ごそうと思うようになります。しかし失敗作を最後にしたくないという思いから、自らのキャリアの決定打となるような出演作を探していたのです。そこへ降ってわいたのがポール・ドレイパーの代役としてのオファー。アステアが快く出演を引き受けたのは、ビング・クロスビーとの再共演だったのとアーヴィング・バーリンが楽曲を提供していたからでした。バーリンは本作で共演するビング・クロスビーとフレッド・アステアのために「A Couple of Song and Dance Men」を新たに書き下ろし、二人がこのバーリンの新曲を歌い踊る場面は本作の見どころのひとつになっています。

アーヴィング・バーリンはロシアで生まれ五歳のときにアメリカへ移住しました。コール・ポーターなどとは違ってまともに学校にも通えず楽譜も書けなかったバーリンは、誰もが親しみやすいメロディを生み出す天才でもありました。本作のタイトルにもなっている「ブルー・スカイ」やアステア&ロジャースコンビの代名詞でもある「トップ・ハット」、そして誰もが知っている「ホワイト・クリスマス」など、あのジョージ・ガーシュインが「アメリカのシューベルト」と褒め称えるほどのアメリカを代表する作曲家です。本作でアステアが見事なダンスを披露する「Puttin’ on the Ritz」もバーリンの作品。『ザッツ・エンタテインメント』ではあのクラーク・ゲーブルがダンスを踊る場面で紹介されていましたね。

【ご覧になった後で】ビングの歌!アステアのダンス!でもやや尻切れかも

いかがでしたか?ビング・クロスビーとフレッド・アステアの二人の至芸がたっぷり楽しめて、メインディッシュが二皿あって二度おいしく二度うまい映画でしたね。第一にはやっぱり「A Couple of Song and Dance Men」 の場面。アステアの粋なステップを真似ようともしないビングの鷹揚さ。歌は二人ともにうまいのだけれど、ここはやっぱりクルーナースタイルを極めたビングの美声が一枚上手に感じられます。
実はビングとアステアの二人は、本作から三十年経った1976年に「A Couple of Song and Dance Men」 というタイトルのレコードを「Bing Crosby & Fred Astaire」のクレジットで出していて、レコードのクライマックスでこの曲をデュエットしているのです。本作のクレジットタイトルでも、上からビング、アステア、ジョーン・コールフィールドの順番で出てきますし、レコードでもビングのほうが先。年齢はアステアが四歳年上なんですけど、やっぱりラジオの影響なのかビングの名声が上回っていたのかもしれません。ちなみに共演したレコードのメインソングは「Top Billing」。この曲のプロモーションビデオがYouTubeで見られるのですが、電話をしながら「アルファベットならAのほうが先なんだけどね」なんて話すうちに曲を歌い出す二人が実にクールでシックで、見事なコンビネーションを見せてくれています。

そして第二にというか、これぞ極めつけの名場面と呼びたくなるのがフレッド・アステアの「Puttin’ on the Ritz」のダンスシーンでした。まずはステッキが床から跳ね上がる仕掛けがどうなっているのか不思議なのですが、ステッキを相棒にしてゆるりと踊っているかと思えば、次には実にリズミカルにステッキを打楽器のように打ち鳴らすあの展開が見事です。そして背景の幕があくとそこにはアステアと同じトップハットのダンサーが8人。その8人を従えてアステアが細かくタップを切ると寸分違わず8人のダンサーも同じステップを踏みます。この背景の8人はすべてアステア自身。そして8人それぞれが別撮りしたアステアのダンスなんですね。アステアが8回踊って、最後にその8人を背景にしてアステアが踊るのをどうやって撮影して合成したのか、さっぱりわかりません。合成の仕方や8人のアステアの完璧な同期とでもほんの少しハットの位置が違っていたりするあたりを見極めようとすると、このダンスシーンの本来の妙味を味わうことができなくなります。どうやったのかは考えずにひたすらアステアの至芸を楽しむことに集中したほうがよかったかもしれません。
ちなみにこの「Puttin’ on the Ritz」の歌詞に「ゲーリー・クーパーみたいに」と出てきます。この曲は1929年に書かれたものですから、もちろん発表当時は別の歌詞でした。本作公開の1946年には映画俳優ゲーリー・クーパーの人気は頂点に達していたことがわかるような歌詞の変更です。

しかしまあそんな二人の歌やダンスやコンビネーションをたっぷりと味わう映画なのですから、メアリーがどっちつかずでいい加減な女に見えたり、別れていたジョニーとメアリーがラジオ局で再会してヨリを戻したりと尻切れトンボ的な展開なのも仕方ないことかもしれません。それでも舞台での相手役をやるオルガ・サン・ファンは、濃い笑顔となまめかしい肢体が魅力的ですし、ビリー・デ・ウルフのおばさんコントなどある意味貴重な映像のような気もしますし、見飽きない作品であることは確かです。

本作を最後に映画界からの引退を宣言したフレッド・アステアは、夫婦仲良くあちこちに旅行する平穏な暮らしを楽しんでいましたが、『イースター・パレード』に出演する予定のジーン・ケリーが骨折して、急遽代役としてMGMからオファーが来ることに。結果的に代役出演を受諾したアステアは映画界に復帰し、そこから『バンド・ワゴン』や『足ながおじさん』『パリの恋人』といった傑作ミュージカルが世に出ることになります。本作でポール・ドレイパーの代役出演で引退し、『イースター・パレード』でジーン・ケリーの代役として復帰したフレッド・アステア。この二つの代役は、偶然にもミュージカル映画史を変えることになったんですね。(A122021)

コメント

スポンサーリンク
タイトルとURLをコピーしました