ハナ肇主演・山田洋次監督の「馬鹿シリーズ」第三作は小さな村落が舞台です
こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、山田洋次監督の『馬鹿が戦車でやって来る』です。タイトルロールでは「ハナ肇の」という主演者冠がまず最初に映し出され、「戦車」には「タンク」のフリガナがつけられています。海沿いにある小さな村落が舞台になっていて、村はずれに住むサブという主人公をハナ肇が演じています。昭和39年1月の『馬鹿まるだし』が好評だったため、4月に『いいかげん馬鹿』、12月に本作が続けて作られましたので、ハナ肇の「馬鹿シリーズ」は三作品とも昭和39年に公開されていたのでした。
【ご覧になる前に】作曲家・團伊玖磨の「日向村物語」が原案になっています
上司と部下の二人組サラリーマンが漁船で沖釣りを楽しんでいますが、釣れないので船頭が「タンク根」と呼ばれる漁場に船を移動します。なぜその名がついたのかという訳は、船頭によると日永村という村落で起きた事件に由来するといいます。村はずれに住む少年戦車兵あがりのサブは、耳の遠い老母と鳥の真似ばかりしている弟の三人で貧しい暮らしを送っていました。サブはかつて村の大地主だった仁右衛門と畑の境界争いをしていて、その仁右衛門の家には病気で長患いしているサブの幼馴染紀子が町の青年医師の往診を受けるのでした…。
男爵の家に生まれた團伊玖磨は、華族としての栄達を目指すのではなく、山田耕筰を師と仰いで作曲家の道を歩んだ人でした。加山雄三がこの二人の名前をとって「弾厚作」のペンネームで作詞作曲をしていたのは有名なお話ですが、團伊玖磨は作曲家としてだけでなく著述業でもいろいろな作品を残しました。作品の多くはエッセイでしたが、小説も書いていてそのひとつが「日向村物語」。團伊玖磨の「日向村物語」を原案にして、山田洋次が脚本に仕上げて『馬鹿が戦車でやって来る』という題名がつけられたのでした。
日向村は本作では「日永村」という名称に変更され、埼玉県比企郡鳩山村でロケーション撮影が行われたそうです。現在は町になった鳩山町は坂戸市の西に位置していて、鳩山ニュータウンなど東京都心部に通う人たちが住むベッドタウンになっています。また海釣りの場面は千葉県の房総沖で撮影されたようですから、映画の中で使われる方言も含めて「日永村」は日本のどこかにある架空の村として設定されています。
山田洋次は東京大学を卒業した昭和29年に松竹に入社し、野村芳太郎作品の助監督につく傍らで脚本を書いていました。脚本家としてのデビューは昭和33年の『月給13,000円』で、野村芳太郎との共同脚本作品。昭和36年に『二階の他人』で監督に昇格して、二作目の『下町の太陽』で監督としての手腕が認められ、「馬鹿シリーズ」三作品を任されるようになったというステップですので、本作は山田洋次の監督第五作にあたります。監督昇格以前から脚本の方では多くのシナリオを書いたものの、そのすべては共同脚本の一人としてクレジットされていまして、実は山田洋次の単独脚本作品は本作が初めてなのです。脚本家山田洋次としては、記念碑的な作品に位置付けられるのかもしれません。
主演のハナ肇はタイトルに冠がつくぐらいですから、当時最も人気のあったコメディアンのひとりでした。昭和36年に放映が始まったTV番組「シャボン玉ホリデー」はザ・ピーナッツを中心にした渡辺プロダクション制作の音楽バラエティーで、ハナ肇とクレージー・キャッツがフィーチャーされるとともに人気を獲得するようになりました。クレージー・キャッツが映画に出演するようになるのは昭和37年の大映の『スーダラ節 わかっちゃいるけどやめられねぇ』が最初で、同じ年には松竹が『クレージーの花嫁と七人の仲間』を、東宝が『ニッポン無責任時代』を公開します。
ジャズに詳しい渡辺プロダクション社長の渡辺晋を石原慎太郎が藤本真澄に紹介したことから、渡辺プロダクションは東宝と提携することになり、渡辺晋はプロデューサーとして東宝の映画企画に参画するようになります。当然ながらクレージー・キャッツの出演作は東宝に一本化されていくのですが、クレージーものは実質的に植木等主演作品でもありました。強烈なリーダーシップと独自のキャラクターをもつハナ肇が東宝クレージーものの脇役で甘んじるわけではなく、松竹はハナ肇の単独主演で喜劇作品を繰り出す作戦をとります。それがこの「馬鹿シリーズ」であり、『ハナ肇の一発大冒険』などの「一発シリーズ」につながっていくのでした。
【ご覧になった後で】今では見られない田舎の風景の映像化が見どころでした
いかがでしたか?本作を見ていちばん驚いたのは、かつて日本のそこいらにあった田舎の風景が完璧に映像化されている点です。なにしろどのショットを見ても近代的な建物はひとつも映っていませんし、電柱はコンクリート製ではなく今にも倒れそうな細い木のみです。また、道はすべて舗装されていないので、土の道はあちらこちらがデコボコしています。田武謙三演じる赤八夫婦が住んでいる雑貨店は、田舎の村に一軒しかない店なのに、夫婦が昼間から交合する居間は店先から丸見えですし、渡辺篤の理髪店はバーバーチェアが一台しかない小さな店です。サブの家は玄関から土間がつながっていて、鶏が走り回る中を飯田蝶子は上がり框に座ってもらった客にいつもお茶を出します。
こうした田舎の光景は現在では見ることができなくなりましたし、まして映画のロケーション撮影を行うことも不可能でしょう。本作は昭和39年に製作されていますから、現在までの間に電柱のない場所はほとんどなくなりましたし、舗装されていない道路も珍しくなりました。日永村でサブが騒動を起こすのを面白おかしく描く本作のいちばんの魅力は、村人たちがあっちへこっちへと走り回るその背景に、見事に田舎の風景が活用されていることでした。例えば盛装をからかわれたサブが村人たちを追いかける畑の横移動ショット。乾いた畑に立てられた柵をなぎ倒しながら走り回るサブと村人をキャメラはフルショットでとらえながら右から左に横移動していきます。遠景まで広がる畑の遠近感が効果を生んで、躍動感とダイナミズムがあふれ出るような活力あるショットが実現しているのです。
キャメラマンの高羽哲夫は「馬鹿シリーズ」で撮影技師に昇格しましたから、本作はまだキャメラマンとして三本目の撮影作品。それなのに後の「男はつらいよシリーズ」につながるような、観客の誰もが懐かしく感じるような日本の田舎の姿をものの見事に「絵」にしています。玉に瑕なのが安易にズームを使うところで、本作もすばらしい構図だなというショットなのに、ズームで画角が変わって台無しになっていました。それを除けば、本作はキャメラの良さで成立しているといっても良く、タンクの轍を田武謙三と天草四郎と常田富士男の三人がたどっていく終盤のショットの美しさとリズムはまさにクライマックスといっても良い出来栄えでした。
もちろん本作の基本設定はハナ肇の馬鹿加減にあるわけですが、少なくとも誰にも迷惑をかけずに生活しているサブに対して村人がちょっかいを出すのは、現在的な視点からすると「イジメ」にしか見えません。理髪店ではサブはくしゃくしゃのお札を出して200円の代金をしっかり払っていますから、あえてポマードベタベタのヘアスタイルに仕上げてしまう渡辺篤は理容師として失格ですし、ダンゴで懐柔しようとする花沢徳衛の地主はまだしも、耳の遠い飯田蝶子をだまして借金をさせる菅井一郎などは悪人というか詐欺師にしか見えません。ハナ肇が村人から疎まれるようなことを何ひとつしていないのに、馬鹿にされイジメに合っているように見えてしまうので、山田洋次の脚本は基本設定の部分が書き込まれておらず失敗作だったと思います。
岩下志麻のお嬢さんが床上げ祝いの席に安易にハナ肇を誘ったところから騒動が始まるのに、結果的には町医者の高橋幸治とくっつくのもやや身勝手な感じがしますし、犬塚弘の知的障害のある弟が火の見櫓から落下して死ぬという展開も最も力のない弱者を死なせるのは観客に同情を誘うことはあっても笑いのネタにはとても出来ません。サブが戦車で怒るのも当然という展開なので、村全部を焼き払ってしまうくらいの仕返しをサブがしても良いくらいに感じてしまいます。まあ、弟を亡くしたサブが可哀想なので、タンクの跡が海に向って消えていくところに哀調が表現されたのかもしれないですけど。
松村達夫と谷啓が釣りをしながら東野英治郎の回想を聞くという形式は、あってもなくてもいいような枠組みでしたけど、ラストで海に沈んだタンクの中にまだ犬塚弘がいるかもしれないというのはちょっとゾっとさせられますね。かたやハナ肇は飯田蝶子を連れて村を出て行ったという伝聞形式の結末はやや安心感があり、そこだけはホッとする気分になりました。
いずれにしても周囲からバカにされた男が村一番のお嬢さんと幼馴染という設定がやがては「男はつらいよシリーズ」の基本線に発展していったことを思うと、本作は山田洋次のキャリアにおいてはなくてはならない作品だったとも言えるでしょう。「馬鹿シリーズ」と「一発シリーズ」でハナ肇を主演に起用した山田洋次は、「男はつらいよシリーズ」以降、渥美清を生涯の相方として映画を作り続けることになります。ハナ肇がコメディアンとしては渥美清をライバル視していたというエピソードや、主役から脇役での出演が多くなりTVのバラエティ番組でもジングル扱いされるようになったハナ肇が肝臓癌で六十三歳で早逝したことを思うと、本作のサブというキャラクターの哀れさが増すように感じられてしまいますね。(V061025)
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