鶴田浩二主演のギャングもので岡本喜八によってシリーズ化される第一作です
こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、岡本喜八監督の『暗黒街の顔役』です。ハワード・ホークス監督の「Scarface」(1932年)の邦題が同じタイトルなので混同されることが多いのですが、本作は東宝によるギャングもので、岡本喜八監督によってシリーズ化された第一作です。昭和20年代の映画界ではアイドル的な存在だった鶴田浩二にとっては、松竹からの独立を経て東宝と専属契約を結んだ直後の主演作で、宝田明と三船敏郎が脇に回って鶴田浩二を盛り立てています。
【ご覧になる前に】脚本は関沢新一と西亀元貞によるオリジナルシナリオです
深夜のビルで銃声が鳴り響き、車で走り去る運転手の顔を目撃したのは食堂に勤めるかな子。射殺されたのは金融会社社長でしたが、かな子の目撃証言があったにも関わらず半年経過しても事件は未解決のままでした。足が不自由で施設に入っている幼い息子を訪ねようとしている小松は、電話で呼び出された横光組の親分から弟の峰夫に歌手を辞めさせるよう命令されます。小松は横光組の幹部で、弟の峰夫は運転手をつとめた射殺事件のあともクラブのステージで歌っていたのでした。小松の説得にも関わらず歌手を辞めないと言い張る峰夫ですが、もう一人の幹部黒崎によって自動車修理工場に呼び出されると黒崎の手下から痛めつけられるのでした…。
本作は昭和34年に東宝系映画館で正月映画第二弾として公開されていまして、同じ週に日活系映画館でかかっていた田坂具隆監督の『若い川の流れ』に主演していたのが石原裕次郎。昭和32年の年末に公開された裕次郎主演の『嵐を呼ぶ男』でブレイクした日活は配給収入ランキングでメジャー6社のビリ争いをしていたのが、昭和33年度以降は東映に次ぐ2位の座をしっかりと確保することになります。当時週替わりの二本立て上映が定着していた日本映画界にあって、日活プログラムピクチャーの二本柱が「アクションもの」と「青春もの」でした。アクションものは裕次郎や赤木圭一郎主演によるギャング映画から始まり、やがてはギャングだけでなく西部劇やフィルムノワールなどの世界がごちゃ混ぜになった無国籍アクション映画へと発展していくことになるのです。
ギャング映画というとハワード・ホークス監督の『暗黒街の顔役』に代表されるように戦前から戦後にかけて製作されたアメリカ製アクション映画の総称のようですが、戦後の日本映画においても現在的にいうところの「反社会的勢力」に属する男たちを描いた映画群が存在していました。すなわち裏稼業に手を染める犯罪組織があり、その犯罪組織は一家を形成していて、そこには「親分」とか「ボス」と称される親玉がいて「子分」とか「手下」などと呼ばれるチンピラどもが実働部隊の役割を果たします。そして映画の主人公はそんな組織に属しながらも、悪の道から逃れたいともがきながら、最後には「親分」を打ち負かすか、共倒れになるかの道を辿るというのが基本的なストーリーになっていました。
その発展形が東映における「やくざ映画」となるわけで、『人生劇場 飛車角』を嚆矢とする東映やくざ映画は別の言い方をすれば「任侠映画」とイコールでもありました。ギャング映画はそうした「やくざ映画」「任侠映画」とはあきらかに違っていて、どちらかといえばアメリカ映画の亜流を狙った作風であったと思われます。その路線にアクション映画風味付けを濃くしたのが日活だったわけで、昭和33年すなわち日本映画史上最高の観客動員数を記録した年に日活が飛躍したのは「アクションもの」と「青春もの」に的を絞ったからでした。
その流れを他社が見過ごすわけはなく、東宝は本作を第一作とした「暗黒街シリーズ」を放ちます。本作の一年後には『暗黒街の対決』、二年後には『暗黒街の弾痕』とギャング映画を毎年岡本喜八監督で製作していくことになります。実は前年に監督デビューしたばかりの岡本喜八にとって本作はまだ監督三作目というキャリアの浅い時期の作品でして、『独立愚連隊』でブレイクするのは本作の9ヶ月後のことになります。
脚本は関沢新一と西亀元貞の共作によるオリジナルシナリオです。西亀元貞は本作以外に目立った作品を残していませんが、関沢新一は清水宏監督が立ち上げた蜂の巣プロに助監督として加わった人。清水宏の戦後の名作『蜂の巣の子供たち』には製作同人としてクレジットされていて、その後は新東宝で脚本を書くことになり、昭和33年に東宝で『大怪獣バラン』のシナリオを完成させます。以降は本作をはじめとした「暗黒街シリーズ」を書く一方で『宇宙大戦争』『電送人間』『海底軍艦』などの特撮ものや『モスラ』『キングコング対ゴジラ』などの怪獣ものの主戦脚本家をつとめることになりました。
主演の鶴田浩二は松竹で売り出された昭和20年代後半にはブロマイド売上No.1を誇るアイドル男優でしたが、昭和27年に俳優として初めてとなる独立プロダクション「新生プロ」を設立しました。山口組三代目組長田岡一雄が黒幕となった襲撃事件の被害者としてマスコミを賑わせながら、映画会社に属さないフリーの立場で映画出演を重ねます。昭和33年に東宝と専属契約を結び、本作や『暗黒街の対決』で主役を張るものの思ったような活躍ができず、昭和35年に東映に移籍してしまいます。当時は六社協定によって映画俳優の引き抜きが禁じられていたのですが、東映の俊藤浩滋が東宝の藤本真澄に鶴田浩二の移籍を申し入れると、藤本真澄はいとも簡単に放出を認めたんだそうです。なので東宝にしてみたら一枚看板でトップビリングしろなどと我儘をいうばかりの鶴田浩二を使いあぐねていたのかもしれません。
【ご覧になった後で】緩い脚本に対してテンポの速い演出が小気味良いです
いかがでしたか?ギャング映画なのでヤクザ組織としての横光組はそれなりによく描けていて、河津清三郎演じる親分の存在感は圧倒的ですし、小津映画では温和な田中春男が珍しくドスをきかせて荒っぽく演じた側近幹部や平田昭彦がクールに演じる賭場主などのからみは見ごたえがありましたね。特に平田昭彦が「親分が黒を白と言ったら白になる世界」と繰り返し語るヤクザ組織の掟は説得力がありました。しかしそんな戒律をもった組織なのになんで宝田明のことは鶴田浩二に任せっきりで、野放しのままにしているんでしょうか。もっとも食堂の女給に顔を見られた宝田明があまりにも二枚目なので、女給がなかなか顔を思い出せないという設定も不自然ですし、クラブでステージをこなしている宝田明の身柄を確保しないわりに後半では宝田明がどこにいるかを組織全員で探しまくっているのはなんだか間抜けの集団にしか見えません。関沢新一の脚本の緩さは本作の緊張度を一気に低下させていました。
それに反して岡本喜八の演出は実にアップテンポで気持ちいいくらい歯切れが良かったですね。短いショットをタンタンとつなぐとともに省略法も効果的で場所や時間がとんでも全く何の違和感もありませんでした。切り返しや人物の移動などを無駄のないショットでつないでいくので、上映時間の割には内容がぎっしり詰め込まれているような圧縮度の高い演出で、脚本の緩さを補っていたと思います。
一番の見せ場は終盤の自動車工場でも撃ち合い場面。ここでは河津清三郎と田中春男らの横光組幹部、鶴田浩二と宝田明の兄弟、宝田明を見張る佐藤允、親分の愛人で鶴田浩二を案ずる草笛光子、工場長の三船敏郎、三船敏郎を監視する横光組子分など映画の登場人物たちが勢ぞろいすることになります。そこで銃の撃ち合いが始まるのですが、これだけ複雑にからみあった登場人物たちを銃撃戦とともに映像化していくのは普通のレベルの監督ならばしっちゃかめっちゃかになってしまうところです。しかしここが岡本喜八の腕の見せ所で、人物の配置をしっかりおさえながら撃ち合いを短いショットつなぎで表現していくので、観客を混乱させることなく理路整然としたアクションシーンをつくり上げていくんですよね。
たぶんこれは撮影現場に入る前のコンテを岡本喜八がしっかりと構成しているからだと思われ、頭の中にそのコンテが完璧に入っているからこそキャメラのポジショニングとアングルを間違えないでコントロールできるんでしょう。例えば三船敏郎が工場につとめる横光組の手下を投げ飛ばすところ。田中春男や鶴田浩二が撃ち合っている間隙をぬって三船敏郎が勇敢に飛び出して手下に銃を握らせることなく工場の一角に放り込むというアクションがしっかりと映像だけで描かれています。それが全く自然なアクションになっているので何気なく見過ごしてしまいがちですが、複数の人物たちが交錯する中で特定の人物の動きをスムーズに表現するショットの組み立ては実はなかなか難しいもの。いとも簡単にやってのける岡本喜八は、たぶん東宝の撮影所の中でも評判になったでしょうし、その実績が『独立愚連隊』を撮らせることにつながったのかもしれません。
『独立愚連隊』で主役に抜擢されるのが佐藤允ですが、本作で一番印象に残るキャラクターは佐藤允演じる五郎でした。「~なんで」という語尾でセリフが統一されているのは関沢新一の脚本を現場で岡本喜八が言い換えさせたのではないかと推測するのですけど、本来は鶴田浩二を見張る役目だったはずのヒットマンが鶴田浩二の人柄にほだされつつ組織内抗争の醜さにあきれ果ててこの仕事から降りると宣言する五郎のキャラクターが繰り返される「~なんで」の語尾でより個性的に強調されていましたよね。それをちょっとした表情の変化で表現しきった佐藤允はなかなかの強者だったといってよいでしょう。
佐藤允に比べると鶴田浩二はいかにも凡庸に見えてしまいますし、河津清三郎や田中春男も存在感があるとはいってもやっぱり悪者のステレオタイプでした。頼りがいのある先輩役の平田昭彦は、普段の優男風ではなく珍しく気骨のあるタイプを演じていて好印象でしたが、やっぱり本作の注目は三船敏郎がしがない工場主を演じているところでしょうか。クレジット上ではトメで出てくるのでもっと重要な役かと思って見ていたらこの工場主は最初から最後まで自分の自動車修理工場を守り抜きたいだけの実直な職人経営者なのでした。しかしそれを三船敏郎が演じると実にリアリティがあって、ほんのちょっとしたしぐさに長年の汗と脂がしみ込んだ自動車修理工の苦労が滲み出ているのです。黒澤映画での豪快なイメージがほとんどを占める三船敏郎ですが、本作のような端役をやらせると短い出番だけでその役の人生全部を伝えられるくらい高い表現力をもった俳優だということがわかります。
キャメラマンの中井朝一は明治34年生まれなので本作製作時には六十歳になろうかという時期。それにしては岡本喜八のテンポの良い演出にキレのある映像を提供していて、特に股の間から狙った三角形の構図や横移動ショットなどには非常にシュアな技術が感じられました。また音楽は伊福部昭先生。こんなギャング映画にもつきあってくれるなんて、本当に幅の広い仕事をされていたんですね。(U041324)
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