NHKの人気TVドラマを映画化した東宝お得意のミュージカルコメディです
こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、古沢憲吾監督の『若い季節』です。昭和36年4月から昭和39年12月までNHKで放映された「若い季節」は化粧品業界を舞台にしたミュージカル仕立てのコメディで、お茶の間の人気番組になっていました。そこに目をつけた東宝が渡辺プロダクションの渡辺美佐をプロデューサーに立てて映画化したのが本作で、東宝スコープのカラー作品として昭和37年10月に公開されました。昭和30年には続編の『続・若い季節』も製作されていますが、いずれも昭和26年の松竹映画『若い季節』(原研吉監督)とは全く関係がありません。
【ご覧になる前に】NHK人気番組とクレージー旋風がミックスされています
「ウワーオ ウワーオ おなかの底からウワーオ」と芝生の上を腕を組んで出演者たちが歌うと、銀座の街を走り抜けた赤いスポーツカーから降りた女性社長がプランタン化粧品本社ビルに入って行きます。エレベーターを待ちきれず階段を上がって社長室に入ると社長はライバルのトレビアン化粧品が飲む白粉を先んじて発売したことで幹部を叱責。スパイがいるのではないかと人事課長に社内を探るよう言いつけます。宣伝部主任の植木は百貨店の売場で自社の「ドリンクローズ」の販売攻勢をかけるべくチャームガールたちにはっぱをかけるのでしたが…。
NHKの「若い季節」は黒柳徹子や水谷良重、渥美清のほかに渡辺プロダクション所属のタレントたちが出演するミュージカルコメディ番組でした。クレージーキャッツなどタレントの出演は渡辺プロが差配していたらしく、当時のドラマは生放送が基本だったため、キャスティングが決定してから台本が書かれていたんだとか。毎週日曜日の夜8時からの放映が定着していたものの、9時半スタートの大河ドラマが人気になり、「若い季節」の放映が昭和39年の年末で終了すると、昭和40年から日曜8時は大河ドラマの放送枠となったのでした。
渡辺プロに所属していたハナ肇とクレージーキャッツは、昭和36年8月にリリースした「スーダラ節」の大ヒットとともに超人気グループとして注目を浴びます。映画界がその人気ぶりを放っておくわけがなく、昭和37年はメジャー各社が奪い合うようにしてメインヴォーカルの植木等の出演作を製作します。3月に大映が『スーダラ節 わかっちゃいるけどやめられねぇ』、4月に松竹が『クレージーの花嫁と七人の仲間』、5月には再び大映が『サラリーマンどんと節 気楽な稼業と来たもんだ』という具合に毎月植木等がレコードのヒット曲を歌う作品が連続公開されました。
そして決定打となったのが7月公開の『ニッポン無責任時代』。大映や松竹に先を越された形になっていた東宝は、プロデューサーの安達英三郎が脚本家田波靖男が書いたプロットを採用して渡辺プロ社長の渡辺晋に映画化を打診。腹心だった青島幸男が企画を認めたことで渡辺晋は共同プロデューサーを引き受け『ニッポン無責任時代』の製作が実現したのです。
NHKの番組を映画化しようと企画したのは渡辺晋の妻で渡辺プロ副社長の渡辺美佐。小野田勇が書いたドラマを田波靖男が箱根の小涌園で脚色しようと悪戦苦闘しているところへ渡辺美佐がやって来たので、てっきり脚本の催促かと勘違いした田波靖男に興奮気味の渡辺美佐は「田波さん大変、クレージー映画が大当たりしてる!」と叫んだそうです。その勢いで年末には続編として『ニッポン無責任野郎』が公開されて東宝クレージーシリーズが始まるわけですが、この『若い季節』はそんなクレージーキャッツ旋風の黎明期にポツンと置かれたまま1980年代にTV放映されるまで忘れられることになりました。
渡辺美佐とともに製作を担ったのが日劇の演出家だった山本紫朗。監督は『ニッポン無責任時代』に続いて古沢憲吾が務めていまして、古沢は東宝のドル箱となるクレージー映画と若大将シリーズの両方を牽引することになります。TV版から継続して出演しているのはクレージーキャッツのメンバーのほか、松竹から東宝に活動の場を移していた淡路恵子、前年に「上を向いて歩こう」で紅白歌合戦初出場したばかりの坂本九、日劇ウエスタンカーニバルで登場したジェリー藤尾、ベテラン沢村貞子といった面々。東宝からは団令子・藤山陽子・浜美枝・中真千子・若林映子といった売り出し中の女優陣をはじめ、有島一郎や平田明彦、佐原健二などおなじみの顔ぶれが揃っています。
【ご覧になった後で】ミュージカルシーンはお粗末ですが気安く楽しめます
いかがでしたか?銀座の空撮から始まって赤いスポーツカーが常盤橋の旧大和証券本社ビル前に停まるオープニングから快調な滑り出しで、ライバル会社に先を越されて右往左往する化粧品会社幹部たちが東宝の見慣れた俳優たちということもあって非常に親しみをもって映画に入っていけました。団令子がリーダーっぽい位置づけのチャームガールは衣裳がカラフルで四人の個性づけもしっかりとされていました。中でも浜美枝のチャーミングさが群を抜いていて、本作出演時はまだ十九歳。その快活さが買われたんでしょうか、翌年には『日本一の色男』で植木等の相手役に抜擢され、クレージー映画のマドンナ役として活躍することになります。
プランタンとトレビアンというライバル化粧品会社の関係をミュージカルシーンで表現しようとした演出は東宝らしいバタ臭い展開で面白かったのですが、振り付けとダンサーがあまりに貧弱で会社の宴会の余興にしか見えませんでした。ホリゾント幕に照明をあててカラフルな演出をしているつもりになっているだけで、きちんとした美術セットは何ひとつありませんし、踊っているのもプロのダンサーではなくクレージーのメンバーと大部屋的な大勢の女優たちですし、一夜漬けで覚えたようなステップがほとんど揃っていなくてバラバラなところなど全体的にあまりに安っぽさが目立ちました。
集団で見せるミュージカルシーンは導入部以外にもたくさん挿入されていて、パリ帰りの研究者が入社するということで「パリは素敵」と歌い踊るシーンが出てきたり、本社ビルの屋上で軍艦マーチにのって背広の男性社員と制服の女性社員がステップを踏むという展開になったりします。こういう集団演舞はアンサンブルが重要なのでアイディアは良いとしてもまともに見ていられないくらいのチープさでしたが、さすがに坂本九や植木等がメインで歌い踊るシーンになるとその個性にスポットが当たり名場面ともいえる出来栄えでした。特に互いに持ち歌を交代して「どんと節」を坂本九が歌い、「上を向いて歩こう」を植木等が歌うシーンは、その当時の人気タレントの名人芸が映像で遺されたともいえる価値があったと思います。
クレージー映画に欠かせない名脇役となる人見明は本作製作時にはまだ『ニッポン無責任時代』くらいしか出演歴がない時期でした。にも関わらず本作の営業課長役には見せ場も多く、「ウエスト」を「ウエシタ」と訛りながらチャームガールの発声練習をするところは見どころのひとつになっていました。東宝はこういう脇役の使い方が巧くて、坂本九に内偵を依頼する有島一郎やイエスマン専務役の松村達雄など、映画全体の流れとは別に個々の出演シーンで笑いを誘う演技を披露していたのにも注目でした。
実質的な主人公でもある植木等は歌も上手なのですが本作では独特な振りが特徴的で、腰をひねって片足を前に出す動作は後のクレージー映画で見せる振り付けの原点を見るかのようでした。宣伝部長役のハナ肇がややステレオタイプ的であるのに対して、ニセ研究者をやる谷啓の飄然とした風体はクレージーキャッツにとって重要な持ち味になっていて、他のコメディユニットにはないキャラクターだなと改めて認識させられます。本作の研究者役は後年のクレージー映画の登場人物に引き継がれることになるわけで、植木等・ハナ肇・谷啓というクレージーキャッツの中心人物のポジショニングが明確化されたのが本作だったのではないでしょうか。
古沢憲吾作品おなじみの大団円は赤坂プリンスホテル前の庭園で、クレージー映画でも若大将シリーズでも繰り返し同じようなエンディングが登場します。何も考えずに気楽に見られる娯楽作にふさわしいような明朗な終幕で、昭和30年代前半をピークに衰退しつつあった日本映画にしては底抜けの明るさが印象に残ります。昭和37年においてはまだ映画が娯楽の王様だという自負が製作現場にもあったのかもしれません。(T121925)

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