恐怖のメロディ(1971年)

クリント・イーストウッド監督デビュー作はストーカーされるDJが主人公です

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、クリント・イーストウッド監督の『恐怖のメロディ』です。イーストウッドは、マルパソ・プロダクションを自ら設立してユニバーサル映画と自身の監督作品を撮ることができるよう契約を結びました。そして本作で監督デビューを果たしたイーストウッドは、ハリウッドの中でも主演兼監督ができる比類ない才能を発揮していくことになります。内容的にもまだ「ストーカー」という概念がなかった頃に、女性ファンから執拗に追い回されるラジオDJを主人公にしたサイコサスペンスになっていて、良い素材を発掘するイーストウッドのセンスが光る作品に仕上がっています。

【ご覧になる前に】イーストウッドが後に市長になるカーメルが撮影場所です

絶壁の上にあるテラスルームで海を眺めているデイヴはラジオ局KRMLの人気DJで、今夜も「私のためにミスティをかけて」という女性のリクエスト電話に応じます。仕事帰りになじみのバーに寄ったデイヴは、デートをすっぽかされたというエヴリンと知り合い、彼女に家で一夜の情事を愉しみます。翌日デイヴが自宅で仕事をしていると、買い出した食品を抱えたエブリンがやって来て料理を作り始め、事前に電話しろと窘めるデイヴは結局エヴリンにステーキを焼かせます。街で別れた恋人トビーを見つけたデイヴは、トビーと話し合いをしようと約束しますが、その夜自宅に帰るとエヴリンが待ち伏せをしていて、突然上着を脱いで裸になったエヴリンを仕方なく部屋に入れたのでしたが…。

クリント・イーストウッドはユニバーサル映画の重役ルー・ワッサーマンに本作を監督したいと申し入れ、ワッサーマンは監督させる代わりに3本の映画に本来より低いギャラで出演する契約条件を提示しました。映画監督として初作品を作るチャンスととらえたイーストウッドはその不利な条件を受け入れ、本作で監督デビューを果たすわけですが、『荒野のストレンジャー』で監督兼主演をつとめ、ウィリアム・ホールデン主演の恋愛ドラマ『愛のそよ風』を監督すると、ユニバーサルとの義務は果たしたということで、『ダーティハリー』を製作したワーナーブラザーズに拠点を移します。その後『アイガー・サンクション』を除いてユニバーサルとは仕事をしていませんので、やっぱり下積み時代にユニバーサルに解雇された怨念がイーストウッドの心の中で消えることはなかったんでしょうか。

ジョー・ヘイムズの原作をジョーとディーン・リーズナーの二人で書いたシナリオは言ってみればオリジナル脚本なわけで、デビュー作から市場に浸透した原作ものに頼らず、オリジナルで攻めようとしたことからもイーストウッドの意欲が伺えます。ジョー・ヘイムズは女性のライターで、当時はまだ「ストーカー」の存在自体が一般化されていなかったはずですが、女性が人気DJに付きまとうという発想にイーストウッドが着目したのは先見の明があったことになるでしょう。

イーストウッド自身も本作の20年前に元ガールフレンドに追いかけられ自殺未遂をされたという経験があったそうですが、映画作品としての数少ない前例は、J・リー・トンプソンが1962年に監督した『恐怖の岬』くらいでしょうか。でもグレゴリー・ペックの弁護士をロバート・ミッチャムの元服役囚が追いかけるのは、自分を有罪にしたことへの復讐という設定でしたので、本作で描かれたような一方的な恋愛感情というか恋愛妄想は、実際にあったとしても映画の素材になるのは初めてだったかもしれません。

低予算での製作を余儀なくされたイーストウッドは、カリフォルニア州カーメルの町をそのまま撮影場所にすることにして、KRLM自体がカーメルにある実際のAMラジオ局で実際のラジオスタジオで撮影されています。その他にもバーやレストランも実在のもので、デイヴの自宅も友人の家が撮影に使われました。カーメルは正式にはカーメル・バイ・ザ・シーという名称の市で、モントレー群に属しています。なのでモントレー・ジャズ・フェスティバルの会場はすぐお隣という位置関係にあります。

イーストウッドと共演するのはジェシカ・ウォルター。本作の印象が強烈だったせいか、他には代表作は見当たりません。また恋人役のドナ・ミルズは本作出演時にイーストウッドと深い仲であったことが噂されています。警部役で出てくるジョン・ラーチは『ダーティハリー』では署長に昇進してイーストウッドと再び共演することになります。

【ご覧になった後で】見ているうちにどんどん怖くなるスリラーの秀作でした

いかがでしたか?見ているうちにジェシカ・ウォルター演じるストーカーがどんどん怖さを増していって、小心者にとっては見ていて胸が圧迫されるような作品でした。イーストウッドの監督デビュー作とは思えない手腕が冴えていて、サイコスリラーとして秀作の域に達していたと思います。成功の要因は脚本にありまして、バーでのよくある男女の行きずりの関係が端緒となって、女性のほうが次第にその粘着質な妄想狂の本能を現していくサスペンスが非常に効果を上げていました。食事を作りに突然訪問するのはかなり積極的な人という感じですが、夜の自宅にぬいぐるみを置いて待ち伏せするあたりから変な人に変わり、バーから出てくるデイヴをつかまえて叫びだすに至っては完全に狂気の人として確定します。そのステップを踏むようにして常識の範囲からはみ出していくプロセスは本当にうまく書けていました。

イーストウッドの演出は、恋人のトビーと再会するシーンでややつまずきが見られるものの、行きずりの女性が徐々に恐怖の対象に変質していくのを抑制を利かせながら観客を映画の世界に引きずり込んでいきます。観客はほぼデイヴと同じ心境になって、エヴリンに近づいてもらいたくないような気分で映画を見進めることになります。なのでトビーと昔語りをするシークエンスでの話は続いているのに二人がいる場所が次々に変わっていく表現などを見ると、親しい恋人と一緒にいる時間が場所を変えてもずっと続くような感覚を味わうことができて、ほんの一時的にエヴリンの恐怖から逃れられるような不安の中の安心感が醸し出されていました。

自殺未遂をしたエヴリンを介抱するイーストウッドを長いディゾルヴで映して時間の経過を伝えるところもうまかったのですが、イーストウッドがやりたかったのはなんといってもエヴリンがナイフや長ハサミを持って凶行に至る場面でしょう。ハウスメイドが襲われる場面はキャメラをめちゃくちゃに振ることで突然襲われて混乱する非常事態を表現していましたし、トビーのルームメイトになりすましてデイヴの顔が描かれたキャンバスをメッタ刺しにする場面は、駆け付けるイーストウッドを極端に短いカットバックで見せることでいやおうなく緊張感を高めていました。ショッカー的演出は、なかなかの腕前だったと思います。

サスペンス映画として出来が良いのは言うまでもないのですが、このようなショッカー系のサスペンス作品は、別の見方をすれば設定さえ間違わなければある程度演出が定番化されているわけで、その意味ではナイフを振り回すエヴリンは、ヒッチコックの『サイコ』のなぞりを繰り返しているだけとも言えます。イーストウッドがマッチョな力強いタイプであまり表情豊かではないこともあって、デイヴのほうに追い詰められた感があまりなく、結局なんとかなちゃうんだろうなという先読みの感覚も働き、観客を怖がらせるだけで、それ以上でもそれ以下でもないなという印象も同時に沸き起こってきてしまいます。

なので、エヴリンが全裸になったからと言って部屋の中に入れて再びベッドを共にしてしまう軽率さは観客をあきれさせますし、協力的でないデイヴを守ろうとする職務に忠実な警部が、いとも簡単にエヴリンに刺殺されるのは良い人を死なせたくない観客の気持ちを裏切ります。女性に対して紳士的な態度を崩さないデイヴが最後に堪忍袋の緒が切れてエヴリンを殴り倒し、その勢いでエヴリンは断崖絶壁から落下して死んでしまうので、恐怖の原因は取り除かれるのですが、そもそもエブリンの狂気はパーソナリティ障害のような精神的な病気が原因なわけで、中途半端に収容施設から退院させたことが間違いでしたし、狂気の精神病患者は死んで当然という結末は、普通の観客にとってなんとも後味の悪いものでした。

クライマックスとなるトビーのテラスハウスで、ずっと音楽が鳴っているのが気になり、せっかくのサスペンスを音が邪魔していると思って見ていたのですが、あれは最後にデイヴのDJの声が詩を朗読するのを聞かせたいためだったようですね。でも朗読された詩もそれほどの効果はなかったので、まったくの無音のまま、暗闇の中でデイヴとエヴリンが対峙する設定にしたほうが盛り上がったのではないかと思われました。

この暗闇をうまくフィルムに収めたキャメラマンは、ブルース・サーティースで、『白い肌の異常な夜』以降『ペイルライダー』までのイーストウッド出演作のほとんどで撮影をつとめた人。『レニー・ブルース』ではその白黒映像が評価されてアカデミー賞撮影賞にノミネートされています。なんと父親は『ベン・ハー』でオスカーを受賞したキャメラマンのロバート・サーティースで、親子揃ってハリウッドのキャメラマンだったんですね。

原題にもなっている「Misty」は、1954年に発表されたエロール・ガーナー作曲のジャズ・スタンダードです。その曲にジョニー・バークが歌詞をつけると、ジョニー・マティスやエラ・フィッツジェラルド、フランク・シナトラらがレパートリーに加えて、ジャズ・ヴォーカルの代表曲のひとつになっていきました。本作では、一曲まるごとかかることはなく、ラストで海に浮かぶジェシカ・ウォルターの映像にかぶってやっときちんと流されるという扱いなので、まあアメリカ人なら全曲かからなくてもわかるからOK、というようなおなじみの名曲なんでしょう。(V092424)

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