地下鉄のザジ(1960年)

地下鉄がストライキ中のパリで少女ザジが巻き起こす騒動を描いた喜劇です

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、ルイ・マル監督の『地下鉄のザジ』です。フランスの詩人で小説家のレーモン・クノーが1959年に発表した小説はすぐに大ベストセラーとなり、同年末には舞台で上演されるほどでした。翌年ルイ・マル監督が映画化したのが本作で、その後も漫画になったりラジオドラマが作られたり再舞台化されたりと、『地下鉄のザジ』はさまざまにメディア化されていきます。日本でも大貫妙子が歌にしていますが、クノーの名前が原作者として世界的に広がることになったのはルイ・マル監督の映画があったからにほかならないでしょう。

【ご覧になる前に】ザジ役に抜擢されたカトリーヌ・ドモンジョは十歳でした

パリのターミナル駅では到着客を出迎える人たちが列を作っています。その人たちの臭いを嗅いでいるガブリエルは姉が駆け寄ってくるのを見つけますが、姉は姪のザジをガブリエルに託すと最近出来た恋人の男に抱かれて行ってしまいました。ザジが乗りたいと思っていた地下鉄はストライキで運行しておらず、シャルルの運転する車でパリの名所を眺めながらガブリエル叔父の家へ。そこは酒場を経営している大家の二階で、美人の叔母アルベルティーヌが振る舞う夕食を食べて眠ったザジは、翌朝早くに目覚めるとパリの街を探索しようとひとりで出かけていくのでした…。

原作を書いたレーモン・クノーはソルボンヌ大学を卒業して兵役につきつつフランスの大手出版社ガリマール社で編集者として働きました。戦前から著作を発表していましたが文壇からは黙殺され、哲学者のジョルジュ・バタイユらの友人たちがポケットマネーを集めて自主的にクノーに賞を与えることにして、それが後にフランスの文学賞となるドゥ・マゴ賞の始まりになったと言われています。若いときからシュールレアリスムに傾倒していたクノーが1959年に発表した「地下鉄のザジ」は、当時では珍しかった口語体表現を大胆に取り入れた実験的な作品で、その革新性がフランス文学界に新風をもたらしそうです。

ルイ・マルは二十四歳のときに発表したドキュメンタリー映画『沈黙の世界』で1956年のカンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞しました。1958年にはジャンヌ・モローを主演に起用した『死刑台のエレベーター』を監督して、マイルス・デイヴィスのトランペットによる即興演奏を取り入れたクールで斬新な演出が注目を浴びルイ・デリュック賞を獲得します。同年に『恋人たち』を発表していますから、この『地下鉄のザジ』はルイ・マルの長編劇映画第三作にあたることになります。カイエ・デュ・シネマ出身の評論家たちが監督として映画を撮り始めたのがちょうど同じ頃だったため、ルイ・マルもヌーヴェル・ヴァーグの系譜に位置づけられる場合があるのですが、狭義でとらえるならばカイエ派とは全く関係なく映画界で活動し始めていたルイ・マルはヌーヴェル・ヴァーグの一員ではなかったことになります。

ルイ・マルと共同で脚色したジャン・ポール・ラプノーは、ルイ・マル監督の次作『私生活』でも共同で脚本を書いていますし、1963年にはフィリップ・ド・ブロカ監督の『リオの男』の共同脚本に参加した人です。キャメラマンのアンリ・レイシはロベール・ブレッソン監督の『スリ』で撮影助手をやったりしていたようですが、正式にキャメラマンとしてクレジットされたのは本作が初めてでした。また音楽はフィオレンツォ・カルピという人が担当していて、『私生活』で音楽をやっている程度であまり多くの作品は残していないようですね。

主人公の女の子ザジを演じたカトリーヌ・ドモンジョは当時まだ十歳で、ザジ役で一躍有名になった後は1961年にジャン・リュック・ゴダール監督がアンナ・カリーナ主演で作った『女は女である』にノークレジットで出演しているそうです。その後2本ほどの映画に出てそのまま映画界を引退し、教師になったという情報が残されているので、実質的な映画キャリアは『地下鉄のザジ』一本きりと言っていいかもしれません。

【ご覧になった後で】シュールな感じのスラップスティックコメディでした

いかがでしたか?しっかりしたストーリーラインもないですし、登場人物たちもきちんとキャラクタライズされておらず記号的にしか扱われないので、見ていてちょっとツラいところもありましたが、結局のところクライマックスではパイ投げならぬパスタ投げが繰り広げられるスラップスティックコメディになっていたような感じでした。コマ落としや中抜きを多用してサイレント映画風なチョコマカした動きを強調したり、アップめの移動ショットでいろんな人々の表情をなめていったり、短いカッティングでリズム感を強調したりと、スタイル重視の映画であることはわかるのですが、それだけで1時間30分をもたすのは映画としてはちょっと厳しかったかもしれません。

小説はもちろん映像がついていないわけなのですが、かなり曖昧でいろいろな想像ができるような書き方がしてあるらしいですね。例えばカブリエル叔父さんは男なのか男色家なのか女なのかどのようにでも解釈できるようになっているだとか、警官トルースカイヨンも名前がどんどん変わっていったり、それに伴って職業も変化したりと定まったキャラクターとして描かれていないだとか、かなり前衛的で実験的な小説のようです。そんな小説の映画化なので、ガブリエルはフィリップ・ノワレが演じているので男であることは確かですが、頻繁にザジが「ホモなの?」と聞いたりするのは原作を反映していたわけですし、トルースカイヨンが同じ顔の人物と出会ったり別の警官とすり替わったりするショットがあるのも原作の曖昧さを表現していたもののようです。

その点では本作はスラップスティックであると同時にかなりシュールレアリスムに満ちた作品になっているわけで、表面上は喜劇に見えますけど実はかなり超現実的な違和感のある映画でもありました。その人は本当にその人なのかとか、その建物は本当にその建物なのかとかいうような、当たり前のことを疑わせるような演出をあえてしているんですよね。例えば導入部で駅から家までザジをタクシーで連れて行く場面。ガブリエルがザジに「あれがパンテオンだ」とか「あそこに見えるのはアンヴァリッド」とかパリの名所を紹介するのですが、見えている建物はすべて同じ建物を別の方角から見上げているだけで、すべてラファイエット通りにある双塔の聖ヴァンサン・ド・ポール寺院を映しているだけだったというような、喜劇的なんだけどちょっとシュールな感じでした。

カルラ・マルリエという黒髪の美しい女優が演じるガブリエルの妻も常にキャメラを正面から見据えて一定の速度でトラックダウンして映し出されます。その無機質な無表情とキャメラに吸い寄せられるような機械のような動きがガブリエルに尽くすふうに見える妻の内的空虚さを表しているように思われました。また男を追いかけ回すムアック未亡人はドレスも車もすべて紫色で統一されていて、色彩の設計も映画全体で記号的に使われていましたね。本作の中で唯一暖かみを感じさせるのは主人公の少女ザジだけて、他はすべて現実からほんのちょっとズレたイメージで表現されているので、映画全体として異化作用が印象に残る作品になっていました。

小説もシェークスピアやダンテなどの作品が多く引用されているようなのですが、映画でもカルラ・マルリエの顔をクローズアップしたところにブラームスの「弦楽六重奏曲第一番第二楽章」がかぶって、ルイ・マルの前作『恋人たち』のパロディになっているのが映画的楽屋落ちでした。このほかにもたくさんの引用がなされているんでしょうけど、残念ながら『恋人たち』以外は読み取ることができませんでした。

というわけで、大昔にTV放映で見たきり何十年ぶりかの再見の機会でしたのですごく期待して見たのですが、期待はずれだったなあという大昔の記憶が蘇ってきただけに終わってしまいました。エッフェル塔やクリニャンクールの蚤の市など本物のパリでロケーション撮影しているところは当時のパリの風景が記録されていて楽しかったですし、シトロエンU55をクルーズ船のようなデザインに改造したパリ観光会社シティラマ社のダブルデッカーバスが走っているのが見られるのも眼福でしたけど、カトリーヌ・ドモンジョのザジでなくてもストライキ明けの地下鉄で寝てしまう気持ちがわからなくない映画でした。(V112723)

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