田村亮と内藤洋子が初主演・初共演した作品で監督したのは恩地日出夫です
こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、恩地日出夫監督の『あこがれ』です。昭和40年の黒澤明監督作品『赤ひげ』でデビューした内藤洋子は翌年に仲代達矢版『大菩薩峠』にお松役で出演しましたが、この『あこがれ』が初主演作品となりました。相手役の田村亮は言わずと知れた阪東妻三郎の次男坊で、デビュー三作目で同じく主役に抜擢されています。監督の恩地日出夫は東宝で堀川弘通の助監督をしていた人ですが、本作が好評だったようで昭和42年に内藤洋子主演で製作された『伊豆の踊子』でも監督に起用されています。しかしながら恩地日出夫は東宝の監督というよりもTVドラマの「傷だらけの天使」を演出した人というほうが通りがいいかもしれません。
【ご覧になる前に】木下恵介のTVドラマ原作を山田太一が脚色しました
大雨のある日、横浜の養護施設に連れてこられた幼い信子は日曜には来ると言い残して去っていった父親の言葉を信じて水原先生に反発しながら施設で過ごしますが、父親は訪ねてくることがなく、母親に捨てられた一郎に慰められます。歳月が経ち平塚の陶器店を営む夫婦のもとに養子に入った一郎は中華料理店の出前をする信子と再会します。建築現場の飯場を転々とする父親から酒代をせびられる信子を見守るうちに一郎は信子のことを愛する気持ちに気づきますが、一郎を養子に迎えた両親は一郎には自分たちがじっくりと選んだ嫁と結婚してもらいたいと世話焼きの伯母が持ってくる見合い話を断り続けていたのでした…。
内藤洋子の映画デビューとなった『赤ひげ』で演じた役は実は最終段階で酒井和歌子と比較されたうえで内藤洋子が選ばれた経緯がありました。東宝で翌年に『大菩薩峠』に出演した内藤洋子は、ほぼ同じ時期にTVドラマの『氷点』にも出演していました。『氷点』は三浦綾子の新聞連載小説で、朝日新聞の記念事業として当時では破格の1000万円の賞金を用意して懸賞小説を募集したところ選ばれた作品でした。この小説はすぐに話題になり、連載が終了した翌年の昭和41年春には若尾文子主演で大映で映画化されましたが、実はその前にTVドラマ化されていてそのときに主演に抜擢されたのが内藤洋子だったのでした。
『氷点』は内藤洋子の継子をいじめる継母が登場する小説でして、TVドラマで継母を演じたのが新珠三千代。この『あこがれ』のオープニングクレジットでトップビリングされているのは新珠三千代ですが、その新珠三千代がぜひ信子役にと推薦したのが内藤洋子だったといわれています。内藤洋子は本作に主演すると『お嫁においで』『伊豆の踊子』と東宝の新進若手女優として次々に映画に出演することになります。もっとも『赤ひげ』で役を争った酒井和歌子のほうが徐々に人気が沸騰し、内藤洋子は本作出演の四年後には音楽家の喜多嶋修と結婚してあっさりと芸能界を引退してしまうのです。
一方の田村亮は阪東妻三郎の次男として本作と同じ年の『暴れ豪右衛門』で映画デビューしたばかりの頃。兄の田村高廣が戦後早くから松竹で活躍したのに比べて、田村亮はサラリーマンになるつもりだったらしく本名で映画に出るのを憚って、『暴れ豪右衛門』を監督した稲垣浩に「亮」という芸名をつけてもらったそうです。主役の三人のほかには、加東大介、賀原夏子、小沢昭一、乙羽信子、沢村貞子などが脇を固めていますし、信子の子供時代を演じているのが林寛子で、アイドルとして活躍したあとに黒澤久雄と結婚して黒澤明の義理の娘になるとは本作撮影時には誰一人として想像しなかったでしょう。
原作は木下恵介がTVの「木下恵介劇場」のために書いたシナリオで、それを大胆に改変して脚色したのが山田太一でした。山田太一は教師になるつもりだったのが松竹に助監督として入社して木下恵介に師事した人。木下恵介が松竹を退社すると後を追うように山田太一も松竹を辞めてフリーの脚本家として「木下恵介アワー」の脚本を書くようになりました。本作は山田太一がフリーになってはじめて松竹以外の映画の脚色を担当した作品になります。
【ご覧になった後で】悪い人が登場しないさわやかでリリカルな恋愛劇でした
いかがでしたか?昭和41年といえば、映画館入場者数がピークだった昭和33年のわずか8年後にも関わらず入場者が三分の一以下に減っていた時期。その最大要因はTVの普及だったわけでして、本作も元はといえばTVの「木下恵介劇場」のエピソードが原作になっており、映画オリジナルの脚本では勝負ができなくなっていた時代でした。日本の大手映画会社が自社製作作品を減らしていた中で、この『あこがれ』は東宝が製作していますし、次世代を担う女優として内藤洋子をフィーチャーした作品でしたので、日本映画の旧システムが没落していく時勢に抗うようにして作られた良心的作品といって良いのではないでしょうか。特にこれといった特徴があるわけではないのですが、少なくとも好感が持てる映画に仕上がっていると思います。
その第一にはやっぱり内藤洋子の素直で可憐な演技があるわけで、取り繕うことのない正直さが内藤洋子のまっすぐな視線に表現されていたように感じました。田村亮もケレン味のない等身大の演技で、養護施設出身ながら寛大な養父母に愛されて育った健全さが伝わってきました。新珠三千代はさすがに歳を感じさせる年代にさしかかっているものの、結婚に失敗しながら養護施設の仕事に生きる道を見い出したという役どころをしっとりと演じていました。
もうひとつの要因は、全体的に暗い話なのに悲惨さがないのは悪人が登場しないからなんですよね。小沢昭一のダメオヤジも田村亮の進言を真剣に受け止めてひとりで徳島に旅立っていきますし、乙羽信子は男に翻弄されてついにはブラジル行きまでつきあわされながら自分が産んだ子供に対する愛情を忘れられないという複雑な立場を老けメークで演じていました。加東大介も信子との結婚に反対しながらも実の親を見送らないとは何事だと一郎を叱る姿勢が非常に真っ当さを感じさせて、この父親なら信子との結婚も許すのだろうという希望を持たせるエンディングになっていました。
そして本作の印象の決め手になったのは武満徹のリリカルな音楽だったのではないでしょうか。オープニングクレジットから流れるその曲調が、昭和40年代を感じさせながらもどことなく淋し気で、かつ甘くせつない恋愛感情を思い出させるようなセンシティブさをまとっていました。ちょっとボヤけたようなカラー映像も武満徹の旋律にフィットしていて、画面の中央のみピントが合っていて周囲をボカすという演出が臭みを感じさせないのもこの音楽のおかげなのだと思います。
しかしながら昭和40年代前半はマンガの「あしたのジョー」でも「タイガーマスク」でも当たり前のように養護施設が出てきましたので、まだ親から捨てられる子供たちが一般的だった時代なのでした。現在的にはそのようなシチュエーションはもう非現実的に見えてしまうくらい不幸な子供が減ったということなんでしょうけど、かつては歯並びの悪い林寛子のように不幸であるがゆえに暴力を振るってしまうような子供がいたということを思い出させてくれる映画でもありました。(T101922)
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