宇宙快速船(昭和36年)

千葉真一の主演三作目はニュー東映が製作した特撮・SFヒーローものでした

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、太田浩児監督の『宇宙快速船』です。昭和36年に東映で映画デビューを果たした千葉真一の主演三作目で、太田浩児の初監督監督作となる本作は、海王星人による地球侵略をアイアンシャープが守るというSFヒーローものになっています。翌年にはアメリカで吹き替え版がTV放映されていて「Invasion of the Neptune Men」というタイトルがつけられました。

【ご覧になる前に】ニュー東映は10ヶ月のみ稼働し東映に吸収合併され消滅

宇宙研究で名高い谷川博士のもとで少年宇宙研究会に所属する6人の少年たちは丘の上から望遠鏡を空を観測しています。空から現れた飛行物体がすぐ近くに着陸したのを見た少年たちが現場に駆け付けると、いつのまにか宇宙人たちに取り囲まれてしまいました。その危機を救ったのがアイアンシャープ。宇宙人たちは宇宙船とともに飛び去り、少年たちが報道陣に囲まれた博士に宇宙人との遭遇を知らせても誰も相手にしてくれません。現場に戻った少年はアイアンシャープの光線銃によって破壊された宇宙船の部品を見つけるのでしたが…。

映画館の入場者数が11億3千万人とピークを迎えた昭和33年、TVの受信契約数は100万を突破して、翌年以降映画館入場者は下降の一途をたどることになっていきます。TVの台頭に危機感を抱いた東映はTV映画の製作にいち早く目をつけ、「東映テレビ・プロダクション」を子会社として設立します。その子会社は翌年に「第二東映株式会社」と名称変更されて、東映2:第二東映1の割合で第二東映は主にプログラムピクチャーを量産することになりました。

翌昭和35年、経営危機に陥っていた新東宝の大蔵貢社長は東映の大川博社長と組んで、新東宝と第二東映の合併を画策します。新会社では新東宝側が現代劇、第二東映側が時代劇を製作し、配給専門会社として新東映配給株式会社を発足させるという計画でしたが、大川博が交渉を白紙に戻して頓挫。結局は大蔵貢は新東宝社長を降り、第二東映は昭和36年2月に「ニュー東映株式会社」と改称することになりました。

「ニュー東映」のタイトルロゴは、東映の「岩に波」に対抗したのかどうかわかりませんが、富士山の噴火口から噴煙があがるという映像でした。TV映画専門という時代の趨勢に即した製作会社として発足したはずのニュー東映は、しかしながらわずか10ヶ月間稼働しただけで結局は東映に吸収合併されて消滅。日本映画界は観客をTVに奪われて沈没していくことになります。

本作はその10ヶ月の間に製作されたモノクロ75分のプログラムピクチャーで、アイアンシャープというヒーローが宇宙人の侵略を防ぐというSFヒーローもの。東映で映画デビューした千葉真一はニュー東映で「風来坊探偵」というシリーズで二作品主演をつとめていますので、本作は千葉真一の主演三作目にあたります。というのは映画の話で、実はニュー東映の前身である東映テレビプロダクションがNET(現・テレビ朝日)用に製作した「新七色仮面」でヒーローを演じていたのが千葉真一でしたから、アイアンシャープは七色仮面の延長線上にあるキャラクターだったともいえるでしょう。

監督の太田浩児は『森と湖のまつり』で内田吐夢の助監督をやったりしていた人で、本作で監督に昇格したものの『飢餓海峡』ではまた助監督に逆戻りした後は、東映東京撮影所でプロデューサーとして活躍を続けることになりました。太田浩児が企画として参加した作品には『ボクサー』や『二百三高地』『大日本帝国』などがあります。

【ご覧になった後で】チープな子供向けですが特撮だけは群を抜いています

いかがでしたか?本作と同じ日に東映動画の長編アニメーション第二作『安寿と厨子王丸』が公開されていまして、もしかしたら本作はその併映作品だったのかもしれません。だとすると子供向けの抱き合わせプログラムピクチャーとして低予算で製作されたことにも納得で、千葉真一には申し訳ないですが、自動車の上に船のようなハリボテをのっけた乗り物でヘルメットとマントに黒メガネと登場するアイアンシャープの安普請さはまさに噴飯ものでした。まあ主演三作目ということであれば、駆け出し時代でしょうから千葉真一も文句は言えない立場だったことでしょう。

そんな中でも宇宙研究所として登場する建物はなかなかSFっぽいムードを出していて、ロケハンは成功していたと思われます。ロケ地に選ばれたのは川崎市多摩区の長沢浄水場で、キノコのような柱と直線と曲線を組み合わせた手すりが続く建物は建築家・山田守による設計です。山田守が設計した建築物では日本武道館や京都タワーが有名で、モダニズム建築を体現した長沢浄水場は本作以降、『妖星ゴラス』、「ウルトラマン」のバルタン星人の回、「仮面ライダー」など多くの特撮ものでロケ地に採用されています。

そして特筆すべきはクライマックスの特撮シーン。海王星人の母船から数基の円盤が放たれて東京都心を光線で爆破させていくショットの連続は、その精緻なミニチュアの造作と実写モブショットとの緻密な合成が見事で、東宝特撮ものと同等かあるいは上回るのではないかと思われるくらいの迫力がありました。特に有楽町そごうビル(村野藤吾デザインのこれまたモダニズム建築の傑作)が破壊されるショットは実写と特撮が巧妙につながれていて、本物が破砕されたような衝撃がありました。またビルの壁面に掲げられたヒットラーの「我が闘争」の広告が爆撃されるのも、ほんの一瞬だけヒットラーの肖像画が映るので、「なぜここでヒットラー?」という疑問とともに印象に残りました。

実はこの映画を見たのもこの一連の特撮ショットがFacebookで取り上げられていたからなのですが、本作では特殊撮影とか特殊技術とかのクレジットがありません。誰がこの特撮を担当したのかと調べてみると、どうやら矢島信男の手によるものらしいのです。矢島信男は東映特殊技術課のメンバーで、もとは松竹大船撮影所に入社して川上景司に師事した人。川上景司は松竹が東宝から引き抜いた特撮のエキスパートで、昭和31年に川上が日本映画技術賞の特殊技術賞を受賞することになる『忘れえぬ慕情』で、矢島信男は合成を担当しています。

昭和34年に大川博が東映に創設した特殊技術課からの誘いを受けて、松竹特殊技術課の縮小に伴い不要になったオプチカル・プリンターとともに東映に移籍した矢島信男は、新東宝出身の上村貞夫と二人で東映の特撮を一手に背負うことになりました。矢島の才能が存分に発揮されたのが、日高繁明監督の『第三次世界大戦 四十一時間の恐怖』。昭和35年10月に公開されたこの映画で、世界の主要都市が核ミサイルによって壊滅する特撮を担当したのが矢島信男で、特に国会議事堂が爆破されるショットなどの評価が高かったと言われています。

国会議事堂の爆破というと、そのショットは本作のクライマックスでも登場しますよね。そうなんです。どうやら本作で見ることのできる見事な特撮の数々は『第三次世界大戦 四十一時間の恐怖』で使用されたショットをそのまま流用しているようなのです。本作を見ていると、アイアンシャープなどのチープさに比べて大がかりなモブシーンが出てきて、これはストックショットだなと思わせる場面がたびたびありました。まさかとは思いましたけど、こんなチープなSFヒーローものにあの精巧なミニチュアを作ったりオプチカル合成がふんだんに使用したりする予算なんてあるわけないですよね。流用であれば、スタッフに矢島信男の名前がクレジットされていないことも納得がいきます。

クライマックスの特撮は流用だとしても、海王星人の宇宙船や円盤のショットは矢島信男の手によるものでしょうし、そのデザインを担ったのは後にあのウルトラマンを造形した成田亨だったらしいです。千葉真一のチープな子供向け特撮ものと軽んじられるだけの作品のようでいて、実は日本映画界の特殊撮影史に名を残す名匠たちが携わった映画でもあったのです。寝ながら見るようなプログラムピクチャーにもそれなりの価値があるんですね。(U122625)

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